豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

食欲 その4 多分駄文な気分Neo

食べ過ぎた後に、美味しさの絶頂がそこにあったことを知る。

美味しさの絶頂にいる時、それが絶頂であることに多くの人は気付かない…。

『ケーキバイキングにて思ふ』


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おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

楽しい学級園づくりABC (楽しいクラスづくりフレッシュ文庫 12)

続・人間は自分が考えているような人間になる

倚天屠龍記 第3巻

人権教育の再構築: 全ての生命を権利の主体に

わたしの幸せ あなたの幸せ

統計 (モノグラフ 22)

一冊で日本怪異文学100冊を読む: お化けばなしの魅力と恐ろしさ

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6304 冊

食欲 その3 多分駄文な気分Neo

食欲自体がおかしいのか、食欲以外の「何か」に食欲が侵されているのか…?

それが問題だ……


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おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

係長・主任になったら読む本―基本心得から部下指導・職場づくりまで

続 授業による救い―南葛飾高校で起こったこと

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6297 冊

食欲 その2 多分駄文な気分Neo

「食欲がない(なさすぎる)」という悩みよりは、「食欲がある(ありすぎる)」という悩みの方が個人的には健康的だと思う。

「食欲がないけど元気」は聞くからに(見るからに)困難な話。
「食欲がある(ありすぎる)けど元気」はそれこそ、そこここにあり得る話…。

食べる幸せ。食べられる幸せ…。お腹が空く幸せ…。
食欲が今日もしっかりあるというのは「幸せ」だと、つくづく思う。
※食べ過ぎる不幸に注意が必要なのは、言うまでもない。

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食欲 多分駄文な気分Neo

置き換えダイエットで本当に置き換えてるのは、食べ物ではなく「欲」である。

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誤算 多分駄文な気分Neo

誤算したと嘆くほど計算していたのだろうか?

誤算がわかるほど計算能力があるのだろうか?

誤算というか、そもそも以前の問題はなかったのか…?

…などということからまずは計算したほうが良いと思う今日この頃。

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『「素材そのものを味わって欲しい」と聞くことがあるが、素材そのものの味は多くの場合、それほど美味しくない』 多分駄文な気分Neo

糖度を(人工的に)上げた果物や野菜は、素材そのものの味といえるだろうか?

新鮮な海鮮を、何もつけずに食べて、果たして「おいしい」と思うだろうか?
※船上で取れたての本当に海鮮を食べるにしても、それには明らかに「潮の味」がついているだろう…。潮の味は素材の味と言えるのか?

あえておいしく、食べやすくするのは、種子を運んでほしい植物くらいしか思いつかない。

結果的に「おいしい」と捕食者に認知されて食べられる頻度が増えるなんてこともあるだろうが…。
※「人の味を覚えた熊」なんてぞっとする。



食べてみないとおいしいかどうかはわからない。そういえば、本当の意味で

「素材そのものの味を味わった経験」

が数えるほどしかない。そして、その経験でおいしいと思った経験も残念ながらない。「(何とか)食べられる」「思ったほど不味くない」というのが、正直な感想だったように個人的には思う…。


今回はこんなところで。
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ドーナツとドーナツの穴 第125回『活躍する若者が取り上げられる社会』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第125回は『活躍する若者が取り上げられる社会』


 活躍する若者が取り上げらるということは、それがまだスタンダードではないということでもある。
スタンダードなら「若者」として取り上げられることはない。同様に、

活躍する女性
活躍する高齢者
活躍する技術者

等々……

活躍する〇〇の「〇〇」は珍しいから取り上げられるわけだ。


「〇〇」とは何らかの特殊性を表す。目を見張るような活躍であっても、それだけではなかなかニュースにならず、「〇〇」をつけないとニュースにならない。ニュースになるには「〇〇」をつける必要がある。


 意識的であるにしろ、無意識的であるにしろ、誰かの意図で「〇〇」はつけられている。場合によっては

「〇〇」を広めるために活躍を演出する……、なんてことも行われているかも知れない…。


 「〇〇」をつけないといけない活躍はまだまだである。「〇〇」がなくなった時、たぶんその活躍は「本物」になっている…。本物の、本当の活躍に「〇〇」はつけないし、多分いらない……。






「ドーナツ」= 『活躍する若者が取り上げられる社会』

「ドーナツの穴」=『活躍する若者がまだスタンダードじゃない社会(かも)』



今日はここまで。文責 江口
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「人の命」と「知る権利」

 京アニの放火殺人事件の被疑者が逮捕されたというニュースがある。37人の人が亡くなった事件だ。

「知る権利」があるからニュースになるし、ニュースにする必要がある。
ニュースにすることで、「ニュースになる」と思う人もいる。
「ニュースにしたい」「ニュースになりたい」と、事件を起こしてしまう場合もある。


時と場合によっては、「知る権利」を放棄することで守れる命もあるかもしれない…とも思う。


 殺人事件とは違うが、「自殺者」の情報を感染症対策と同じようにしてコントロールしている国もあると聞く。※稲垣吾郎さん司会のテレビでやっていたくらい有名な話だ。かなり昔の話である。詳細は省くが、日本とかなり友好的な国の話…。


 熱帯雨林の草食動物が捕食されている仲間を遠巻きに眺めている動画を見かける。どうやら「仲間の失敗」からどうすれば捕食されないかを学ぶために見ているらしい。それは本能にプログラミングされた行動だということだ。

その本能の名残が人間にも残っている。

近所の火事の現場を見に行く心境
救急車の音に思わず反応して「どこに行くんやろ?」とみてしまうこと
高速道路の反対車線で起きた事故のせいで渋滞が起こる


…といったこともそれが大きな要因の一つである。

『野次馬根性は本能にプログラミングされた行動である』

少なくとも「知る権利」は本能に根差している。考え抜いた末に出来た…、という要素だけではないのだ。
知る権利が優先されて命が軽んじられる状況だけは……、と思う。



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第124回『支配・被支配(書き込みによる誹謗中傷に思う)』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第123回は『支配・被支配(書き込みによる誹謗中傷に思う)』


 誹謗中傷がきっかけの、あるレスラー自殺が取り沙汰されている。ネット上の「書き込み」は一定の条件をクリアすれば自由に書き込めるのがその最大の魅力だ。その条件は「場を提供する人(側)」が決めている。


 書き込みの「匿名性」の是非が問われている論調がある。当然、匿名だから出来ることもある。逆に非匿名だから防げることもある。

現状の技術は匿名でも、発信者を特定することは出来る。発信者情報開示請求することを容易に、簡単にしようとする議論もあるが、そうすると匿名の利点まで失うかもしれない。


 コントロールを受けるということはどこかに支配・被支配が生まれる。だから人は自由を求め、コントロールの少ない「場」を作り、探す。


 自由に発言出来ないほどの支配・被支配は問題である。同時に、人の生死に関わるほどの自由も問題である。

誰かの誰かに対する行き過ぎた誹謗中傷もコントロールすべきだと思う。
誹謗中傷によって傷つく人が命を失わないようにコントロールすべきだと思う。


 人間関係の中で、

『誹謗中傷を拡散する能力の増加と、誹謗中傷によって傷ついた人をフォローする能力の減少』

これが同時に起こっているのが現在なのである。拡散をコントロールすると同時に、人間関係(社会)のフォローする能力の減少にも、何か対策を打つ必要があると言える。また何かを発信するということは、そういったことも含めたある種の「覚悟」が必要であることも、誰かが何かを「発信する前に伝える」必要があると思う……。





「ドーナツ」= 『支配・被支配』

「ドーナツの穴」=『誰かの生死に関わるほどの自由は何人にもない』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第27回『コロナウイルスを問題にできる国』

 コロナウイルスは大問題である。ただどこかで、

『コロナを問題にできるのは(まだ)何とかなる。しなければ!!』

とも思う。

『明日の食べ物に困るような状態で、コロナをどうこうは言わないし言えない』
『コロナなんか気にしている場合じゃない』


なんて国や地域も間違いなくまだ多くあるはず。


 問題が出るのは良い傾向でもある。悪い事ばかりじゃない。『問題がない』と言う状況の多くは、

『問題がないのではなく、問題がわからない。顕在化していない』

だけかもしれないのだ…。


 ある種の余裕が問題を生むことも多い。同時にある種の余裕が問題を発見させることもある。どこかにムダやムラ、ある種の余裕がない状況がないと、

『問題を問題などにしている場合じゃない』

のだ。


 コロナは国難で大問題だ。ただ、「コロナを問題として考えられる国」にいるという幸せもある…、と思う。



今日はここまで。文責 江口
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オンラインのリアル 第3回 オンラインは繋がっていてこそ成り立つもの

 当たり前の話だが、繋がらないオンラインは全く使えない。これは言い換えれば、

『繋がっているかどうかの確認がオンラインは(常に)必要』

だということを示している。オフライン、いわゆるリアルのコミュニケーションは必ず繋がっている。繋がっているかどうかなんて気にする必要は基本的にはない…。



 オンラインは、繋がっていなかった場合のプランも必要になることも多い。TVの見逃し再放送をネット上で流すような感じの処置だ。同時に繋がらなかった時の責任の所在がポイントになる。インフラが整い、ツールが発達すればオンラインの接続の精度は高まる。が、リアルほどの信頼を得るには相当の時間がまだまだ必要だ。


 オンラインかオフラインかはともかく、一度に多数に情報を伝達するということは、その多数に同じように情報が伝えられたかの確認が必要で、オフライン、リアルならばその確認をする必要はほぼなかった。数万人を集めるライブ会場で、アーティストのライブあったとしても、オフライン、リアルならばほぼ間違いなくその数万人に情報は届く。オフラインはそうはいかないのだ…。



 確実に繋がれる状況でつながないのは本人の自由。だが、不確実なつながりで、繋がれなかったのは誰の問題になるのだろうか?


 不確実なつながりを安心して使うには、オフラインよりもより強固な信頼関係が必要。不確実なつながりを気にせず使うには、気にならない程度の「情報のレベル」であるか、別の情報入手方法が少なくとも担保される必要がある。

繋がることが簡単になったからといって、信頼関係を築くのが容易になるわけではない。

・人間関係の信頼度
・通信インフラ(ネット環境)の信頼度


そして、

・それを使う人(しくみ)の練度、

これらが高まる必要があるようだ…。






今日はここまで。文責 江口
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オンラインのリアル 第2回 「四角の死角」オンライン料理教室中に起きた生徒の火傷は、損害保険で保証されるだろうか?

 オンラインはリアルではない。リアルでないことは発信者なら常識だ。発信者は意図的に死角を利用する。
だが、オンラインは双方向で誰もが発信者でもある…。

『オンラインは誰もが発信者。だが発信を意図している人ばかりとは限らない』

そこがポイントになる。


 オンラインは想像以上に死角が多い。四角く切り取られた部分以外は全て死角である。死角を意識している場合は問題ない。怖いのは、死角を意識していない場合のことである…。


『オンライン料理教室中に起きた生徒の火傷は、損害保険で保証されるだろうか?』

教える側の手元は死角にならないようにする。逆に教わる側の手元はほぼ死角だ。まず映すことは少ないはずだ。


 意図しない死角が、意図しない事故を生む可能性がある。

『意図しない発信者の意図しない死角が生む問題』

オンラインでは、『四角の死角』を誰もが意識しておく必要がある……。


今日はここまで。文責 江口
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オンラインのリアル 第1回 オンラインヨガ教室は、損害保険上、「ヨガ教室」になるのだろうか?

 「オンラインヨガ教室もヨガ教室である」

サービスを提供する側も受ける側も上記を了解しているから成り立っている。
…ふと、疑問がわいた。

『オンラインヨガ教室上でアクシデントが起こった場合、それを補償できるような保険があるのだろうか?』

コロナ前には想像もしなかったことだが、コロナ後は考えないといけないことかもしれないと思う。

 ヨガを例に挙げたが、ヨガだけでない。

『オンライン上で、人の身体、健康、ケア等に関わる全ての人に関係ある話』

だと思っている…。

 リアルなヨガ教室で指導する場合は目が行き届き、姿勢や「やり方」などをそれこそ直接指導できる。だから事故が起こりにくいし、事故が起きそうになっても対応できることが多い。なにより、

「教室内で起きた事故」

ということを双方とも納得した状況は確実にある。


 ところが、「オンラインヨガ教室」だとそうはいかない。

・どんなに映像がリアルになっても間接指導だし
・事故が起こりそうになっても助けることができないし

そもそも
・教室(中)内で起きた事故と判断してくれるのか?
……

 オンラインで「人の身体、健康、ケアに関わる人」は調べるなり、なんらかの対応は必要だと思う。

・インストラクター
・トレーナー
・セラピスト
等々……

 自己を未然に防ぐためオンラインの指導内容は、無意識的にでもリアルよりライトになる傾向にあるだろうし、それにつれて当然受講料などもリアルより安価になる場合が少なくない。だが、リスクはリアルより高い場合もある。現状で、「オンライン教室上で起きた事故に関しては、一切責任を負いません」なんて一文を契約書に書いたりして当面は対応しているところもあるかもしれない…。


 「オンラインヨガ教室もヨガ教室である」

だからこそ、オンラインの特性を把握し、準備する必要がある。


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第123回『テイクアウトサービスと食中毒』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第123回は『テイクアウトサービスと食中毒』


 コロナ下で飲食店がテイクアウトを始めている。季節はもう五月下旬。季節的にも食品が傷みやすい時期になっている。


 テイクアウトが何故危険か?「ほっかほっか亭」以前にほっかほっか亭がなかった理由がそこにある。

「食中毒」リスクを考えてのこと

だったと創業者の一人が述べられていたのを思い出す。飲食のプロならば絶対にさける戦略が、作りたての弁当を提供するということだったらしい。今は主流の一つになっているが…。


 『温かいまま提供』≒『湿度と温度が菌の繁殖に最適になる時間帯がある』。これは素人でもわかる。同時にテイクアウトの怖さは、

『料理が作られてから、実際に食されるまでの時間にタイムラグがあること』

だ。店側ではいつ食されるのかわからない。だからすぐ食さない人の為に、

・保存方法
・賞味期限
・おすすめの食べ方、食べる温度

等々……

といった情報は必ず伝えるのが常だ。


 店舗内で食されている分にはそれは考えなくてもよかった。ところで、フードロス対策で「持ち帰り」がクローズアップされている時期があった。その際は同時に、「食中毒」に関しての注意喚起もあった。


 持ち帰りを進めていた店は、おそらくテイクアウトでもすでに対策していると思う。今、テイクアウトを進めている店は考えた方がいい。コロナを乗り越えようとして「食中毒」を出してしまったら元も子もない。「食中毒」は、今もそこにある危機なのだ…。

『大きな危機がある。そしてそこにある危機もある。大きな危機があるからといって、そこにある危機を忘れてはいけない』




「ドーナツ」= 『大きな危機≒コロナ危機』

「ドーナツの穴」=『大きな危機に惑わされて、そこにある危機≒食中毒を忘れてはいけない』



今日はここまで。文責 江口
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作るか埋めるか(再放送の増えたTVに思う)

 TV番組を見ていて、再放送が増えたとつくづく感じる。再放送でないドラマの話題がネットニュースになるくらいに再放送が増えている。というか、ほとんど再放送である…、といっても言い過ぎではない状況だ。


 当然、撮影もコロナ前より少人数になっている。キャストそのものがカメラを設置し、道具を準備できれば、その撮影そのものはほぼ一人のものも増えていると思う。それは、

『道具立てが整えば人が少なくてすむこと』

を示している…。


 そもそも、再放送である程度成り立つというか、再放送でもリメイクでも何でも、

「時間を埋める」

必要があるのがTV番組の宿命である。
番組を作れなくなったから、

「この時間は放送しません」

とは出来ないのだ。
本当は、TVだけでなく放送全般がその宿命を抱えている…。

「作れなくても埋める必要がある」

ということだ…。※コロナ前でも、「ネット動画」を流してコメントを言い合う、ネット動画の再放送的な番組が増えていた。

……


 コロナだから集まって仕事するのが難しい。それはある。だが根本的に、

『集まらなくても成り立つことがある』

ということにコロナで気づいたといえる。仕事のある場面において(本当は人生のある場面において)

『集まることの価値の有無に、コロナによって人は気づいた』

のだ。


 コロナ後に集まらなくてもいい仕事に、集まることが戻るだろうか?

・「集まり方」の変化が起きた
・「集まること」自体の選択に変化が起きた
・「集まらない」で何とかできないかが第一選択になることが増えた

等々……


 コロナ下では、人が集まって仕事することが難しい。コロナ後にコロナ前のように人を集めるのは難しい。集まることの価値のなくなったものに人を集めるのは難しい。


 続けたいのか?、止まれないのか…?
作りたいのか?、埋めないといけないのか…?


今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第26回『コロナ後の売上』その2

 コロナ後は、「お客を集める系」の仕事を継続することは難しいと思われる。ここでの「集める系」とは、

『特定の場所に人を集めて、商品やサービスを提供する仕事』

ということだ。該当する仕事は結構ある。飲食業界や映画館などがそれにあたるが、「コロナ下」で影響を受けいやすい業種の代表格である。話題になりやすいパチンコ業界などもそれにあたる。


 感染を避けるには、大前提として3密状態にならないようにすること。それは、

『一人でも(多く)集めたいのに(過度に)集まらない状態をキープする』

というかなり困難なミッションをクリアする必要があるということである。


 3密を避けるには、一定時間に店内に入る客数をこれまでのキャパより少なくする必要がある。よく行われる対策の一つとして、「席を一つづつ空けて座ってもらう」というものがある。これで物理的な距離は保てるからだ。だが、一つ間を空けるということは、単純に言えば、そのお店などの最大の受け入れ客数が半分になるということである。家賃はそのまま、広さもそのままで、

『稼働率がこれまでの50%に下がるということ』

を前提にして、お店を切り盛りする必要がある状況になるということだ。考えただけで恐ろしい…。


稼働率が50%になった状況で売り上げをキープするには、

1)客単価を倍にする
2)回転率を今までの倍にする


必要がある。

1)の対策をしようとしても、商品やサービスはそのままで、値段だけが上がれば客数は減る可能性が高い。客が減ればさらに値段を上げる必要がある……。となっていく。これは困難なミッションとなる。

2)の対策をしようとしても、回転数を上げるとは、「お客の滞在時間を短くする」ということ。つまりは単純に施行すれば、これまでよりサービスの質は下がることを意味する。これも困難なミッションである。


 回転数、価格アップはそのままではお店の都合。お客さんに、回転数と価格アップを納得してもらえるようなサービスを提供しながら、感染対策をきちんと行う…、それを達成できたところが生き残っていくということだ。

「売上高」=「客数」×「客単価」
「客数」=「客席数」×「客席回転数」

「売上高」=「客席数」×「客席回転数」×「客単価」

上の式で、「『客席数』が半分に減った状況で、どうしますか?」というのが、コロナ後の経営において、まず最初に解くべき課題なのかもしれない…。




今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第122回『重力のおかげで生物は進化した』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第122回は『重力のおかげで生物は進化した』


 個人的に「無重力」に憧れがある。僕も、

『重力に魂を縛られている人々』

の中の一人だからだ。※わかる人だけわかればいい台詞だ。
なぜ憧れるかといえば、重力の全くない状況を「知らない」からだ。
※この文章を書くために調べたら、名古屋で40万円前後で無重力は体験できるらしい。


 重力を普段意識することはほとんどない。だが、僕らは重力があるから上下の位置関係が分かる。というか意識する。宇宙船では上下はない。自分で決めない限りは…。


 生物の進化の過程で、重力があるから骨格が出来たといわれている。無重力なら体を「支える」必要は基本ない。それこそ「漂う」ように生きていける。重力があるから知性が出来たともある。重力があるから飛びたいと思う。無重力ならそもそも「飛ぶ」という概念が出来たかどうか……。


 ふと思うと、重力がより強い場では知性はより進化するのか?なんて疑問が沸く。地球の2倍のGが常にかかるような惑星に住む知的生命体は、「人間」よりも知性があるかも知れない。もちろん(知的)生物が生存できるGの強さに限度はあるだろうが…。ただ、地球上では一般的に、日常よりGのかかる場所に行ける人は知性が高い傾向にあるようだ。※あくまでも個人的意見です。


 とはいえ、重力がないと感じるには、重力がある状況から重力がない状況に行く必要がある。負荷があるから、負荷が無くなったとき軽く動けるように感じるのだ。

日常的な負荷が、自分を強くする。ただし、その強さがわかるのは場を変えたときだけ。

『自分が行くべき、行きたい場に合わせて、日常の負荷を調整する』

無重力を感じられるのは、重力あってこその話……。




「ドーナツ」= 『重力』

「ドーナツの穴」=『無重力を「感じられる」のは、重力あってこその話』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第121回『呟きさえ大声になってしまった世の中で…』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第121回は『呟きさえ大声になってしまった世の中で…』


『いつの間にか、呟きさえ大声になってしまった…。出口のない喧騒の中で、沈黙だけが語り掛ける…。』
※大分むぎ焼酎 二階堂TVCM「本を読む人々」より


 二階堂のCMシリーズは好きで、見かけると見入ってしまうことが多い。ちょっと引いた感じというか、落ち着いたトーンのCMは、逆に印象に残る。

……


 名の売れた人のツイッターが荒れるというニュースがある。昨今も、『#検察庁法改正案に抗議します』でツイートしている芸能人が話題に上り、それこそ炎上したりしている…。


意見を言うのは自由
意見に意見を言うのも自由
意見によってたかって意見を言うのも自由
「意見を言うな」という意見も自由
「意見を言うなと言うな」という意見も自由
「意見を言いたくない」というのも意見である
「意見を言ってもいいですか?」という人には意見がある
「意見を言わないといけませんか?」という人にも意見はある
意見がないという意見もある

…という意見が言える日本は、まだ大丈夫だとも思う。

 炎上するような意見も、炎上を煽るような意見も、炎上を真っただ中にあるような意見も…、そして

『炎上していることを取り上げるような意見も…』

ツールが発展して、「呟きさえ大声になってしまった世の中」だからこそ起きること。

……

 沈黙(だけ)が語り掛ける。沈黙は意見しない…。このCMの「沈黙が呟く」とは言わないセンスが好きである。沈黙が能動的ではいけない。受け入れ、飲み込み、動かない…。ただそこにある。こちらの存在を、思いを、こちら自身に思い起こさせる…。それが「沈黙(だけ)が語り掛ける」ということなのかも知れない。



「ドーナツ」= 『呟き、意見』

「ドーナツの穴」=『呟きさえ大声になってしまった世の中だからこそ、沈黙の語り掛けを聞く必要があるのかもしれない…』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第25回『コロナ後の売上』

 コロナ下で売り上げが伸びている商品、サービスがある。ただそれが、コロナ終息後も売れ続けるわけではない。

コロナ下で売り上げが落ちている商品、サービスがある。ただそれが、コロナ終息後に売り上げがコロナ前まで戻るわけではない。ほぼ戻ることはないものの方が圧倒的だ。


 オンラインにすると、オフラインより価格が下がる傾向が強い。オンラインにして、オフラインより価値を高め、価格を高くできるにはどうするかが勝負。オフラインのモノやサービスを「そのまま」オンライン上に乗せても、売れるわけではない。

『リアル≠リアル感』

コロナ下、コロナ後はある種リアルは贅沢になると思うが、リアルに触れることが叶わない状況の中で、リアル感を伝えるにはリアルをそのままオンライン等に乗せるには無理があるし、それがリアルでないことはさすがに素人でもわかる。「リアル感」を出すためにどうデフォルメするか、

『リアルから離れて、リアル感を出す』

といった工夫も必要になる。デフォルメがうまくいったものがコロナ後は流行るのかもしれない…。


 コロナ下で人はこれまでの購買行動を振り返る。そして、コロナ下で人はこれからの購買行動を考える。商品を手に入れる以外の購買理由があれば、その商品はコロナに関係なく売れるはず。商品を手に入れるのに購買以外の方法があれば、少なくとも人はそれを選択肢に入れる。少なくともこれまで通りの購買行動になるとは限らなくなる。

『商品を手に入れる以外の購買理由が、購買しなくても手に入るなら、その商品は売れなくなる』


 コロナ下でも、「手に入れたい理由」が本当の商品、サービスである。「手に入れたい理由」が手に入る商品、サービスがコロナ後も生き残る。「手に入れたい理由」のない商品をいくら工夫、改良しても、それこそムダなのである。



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第120回『修繕』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第120回は『修繕』


 一般的に、長く使えるものに価値があると言われることが多い。もちろんそれはそうなのだが、実は

『長く使えるようにする使い方に価値がある』

同じものでも大事に使えば長く使える。修繕、メンテナンスも含めてそういう「使い方」にも価値があると思う。


 使う頻度が多いものほど修繕が必要になる。だが面白いことに、全く使わなくても、経年劣化のため修繕が必要になる。何なら、

『使わないから早く傷むということがある』

というものまである。車やバイクなど、販売店や修理屋さんから「ある程度乗っていないと早く傷むよ」なんてセリフ、聞いたことがないだろうか?


 当然、修繕にもコストがかかる。ただ、新しいから価値があるわけではない。どんどん新しいものを使うこと、つまり 新しい≒使い捨て だと仮定すれば、

『使い捨ては修繕コストより購入コストが安いから成り立つ』

ただ、それだけの話だ。修繕コストが安ければ普通はそちらを選択する。使う以外の目的がある場合が別だが……。


 使い古されているから価値がないわけではない。本来、修繕そのものに前向きな意味も後ろ向きな意味もない。普段から使っている、使い勝手が良いものほど、そのありがたみを感じることが少ない。無くて困るものほど、ある時のありがたみが少ない。自分自身が一番のその例である。

『一番長く使う道具は自分自身』

だから、修繕が必要だし、修繕しながらでも使うしかない。少しだけ、自分自身が在るということに、ありがたみを感じる……。


 


「ドーナツ」= 『修繕』

「ドーナツの穴」=『使い古されているから価値がないわけではない。本来、修繕そのものに前向きな意味も後ろ向きな意味もない。一番長く使う道具は自分自身』



今日はここまで。文責 江口
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ハードルがあるから人生は楽しい

ハードルは認識できるからハードルだ。


簡単に乗りこえられるハードルはハードルではない。
乗り越えられないハードルは、ハードルどころの騒ぎではない。


不思議なことに、仕事や人生の中で、ハードルは絶妙のタイミングでやってくる。
同じようなハードルが次々現れるならば、それはハードルを乗り越えていないサインである。


大事な人であっても、他人のハードルを変わりに超えてあげることは出来ない。
だが、ハードルに気付かせてあげることは手伝えると思う。


自分のハードルを他人のせいにしてはいけない。
前に進む限り、人生でハードルが無くなることはない。
とはいえ、ハードルがあるから人生は楽しくは楽しい…、と思う。


 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第119回『家と屋』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第119回は『家と屋』


政治家と政治屋
画家と画屋(画屋は画商か?)
研究家と研究屋
料理家と料理屋(本来の料理屋の意味ではない)

等々……

単語的に正しいかはともかく、こうやって並べると、「家と屋」のニュアンスは伝わると思う。


 家が正しいとか、屋が良いという話ではない。
家の中に、屋の要素がないと家として続かない…。
屋の中に、家の要素がないとそもそも屋として成り立たないし、必要とされない…。



 家と屋はどちらかだけしかない…、ということは実は稀である。
ただし、どちらかの要素が強いというのはあるし、

「状況によって求められるものが変化する」

家としての言動を求められているのに、屋の側の論理で話をしたり、
屋として具体的な数字などを求められるときに、家としての理想を語ったり…、
ちぐはぐな状況は散見される。


 家のつもりで本人は行動しているのに、圧倒的に屋の要素が強い人もいる。その逆もまた然り。そのずれが周囲と本人を苦しくしたり、関係性をおかしくしたりする。


 家寄りか屋寄りか?、家風か屋風か?、家側か屋側か?……
自分がどちらなのか、今、そこでどちらを発揮すべきなのか?……
そこが問題だ。

※吉村府知事は、いま「家か屋」がかっちりはまっているから、受けが良いという要素もあると思う。

 


「ドーナツ」= 『家と屋』

「ドーナツの穴」=『家が良いとか、屋が正しいとかではない。自分がどちら寄りなのか?今、そこでどちらが求められているのか?それを知ることが大事』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第24回『見解の相違』

 同じものを同じ方向から見て、それで見解が違うこと。それが、「見解の相違」だ。


 同じものを違う方向から見て、違うのは結構ある。立体で言えば円錐や角錐といったものがその典型例だ。というか、ほとんどの立体は見る角度によって違う。逆に違う方向から見ても同じになるものは立体で言えば、「球」くらいしか思いつかない。同じものを見ても、見ている方向が違えばまず違って見える。

「見ている方向が同じなのか?」

これを確認する必要がある。


 違うものを違う方向から見た場合、まず違う場合が多い…。とはならない。これがなかなかやっかいで、同じように見える場合も少なくない。半径10pの円と半径10pの球は、真上から見れば同じようなものに見えてしまう。実際は、平面と立体で全く違うのにも関わらず…。

『同じものを見ているのか?』
『同じ方向から見ているのか?』


それを確認してはじめて、「見解の相違」がわかる。


 『多くの場合、見解の相違がわかるほどの関係性があるのか?』

をまずは疑うべきかもしれない。「見解の相違」以前の問題かもしれないのだ……。それこそ「見解の相違」を問題にしているのは、時間のムダかも…、ということになる。


今日はここまで。文責 江口
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秘訣と知識

 少人数しか知らない知識が「秘訣」。その秘訣を伝えることによって報酬を得ている人がいる。やがて秘訣は多くの人が知る「知識」となり、その報酬は減少していく…。

……とこんなに単純ではないが、陳腐化、一般化して過程の多くはそんなもんである。だが、陳腐化しない知識、いわゆる「秘訣のままの知識」なんてものも確かに存在する。知識の使い方というか、知識の活かし方というか、「知恵」なんて言い方もするが、

「知識を活かすための知識」

といったことは、秘訣のままなのかも知れない…、とも思う。


 秘訣を得た人がそれを得るには相当の投資をしている。だから、その秘訣を伝えてもらうにはこちらも相応の投資が必要なのは至極当然な話。

だから、「秘訣詐欺」をするような人は、それを得るために「相当の投資をしてきたフリ」をする。そうすることで単なる知識レベルの話を「秘訣っぽく」するのである。

……

 ある分野の秘訣を得た人が、その秘訣を伝達するのが上手いとは限らない…。その辺りが悩ましい問題である。オンライン化がすすむ中で、「知識は伝えられても、秘訣は伝えにくい」状況はまだまだ続くはずである。


 また、もし天才的に秘訣を伝達するのが上手い人がいるならば、

「秘訣の知識化」

も急激に進むということでもある。伝え上手が損をする?ということだ。しかも、一度出した情報は半永久的にネット上に漂うことになる…。ますます秘訣が秘訣である期間は短くなる…。少し悲しい話でもある。


 秘訣を秘訣のままでキープしやすくには、閉鎖空間でかつ、その知識や情報にアクセス制限をかけるのがポイントだ。そんな小細工をしないといけないことが秘訣なのか?と思わないこともないが、

「秘訣とは、閉鎖空間でアクセス制限をかけた情報、知識である」

とすれば、少しだけ見えてくる。秘訣を理解するよりも、秘訣にアクセスする権利を得る方が、実は相当な投資が必要だということなのかもしれない……。

『内容よりもアクセス権を得ることの難しさ』

それが秘訣の正体かも知れない。


※もちろん、内容そのものが秘訣であるものも存在している…、と信じている。


 
今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第23回『ムダな抵抗』

 「ムダな抵抗をするな!!」

刑事ドラマなどでもよくつかわれる決め台詞である。ムダな抵抗があるくらいだから、ムダではない抵抗というものもどこかにあるはずだが、

「有意義な抵抗をしたな!!」

と誰かが言ったという話は寡聞にして聞いたことがない…。抵抗される側にとって、良い抵抗なんてまずないし、抵抗する側からすれば、メリットのない抵抗をするなんてありえないのである。

……


 「反対のための反対」という言葉がある。「抵抗のための抵抗」とほぼ同義にちかいのだろうが、もしかしたらこれが「ムダな抵抗」の代表みたいなものなのかもしれない。抵抗は必ずしもムダではない。何らかの意図、大儀、目的などのない抵抗がムダなのだ。そう思う。


 「時間稼ぎのための抵抗」といったこともありえるのだろうが、それですら、

「何のために時間を稼いでいるのか?」

という目的があるはずだし、あって欲しいと切に願う。もしかして、

『時間稼ぎのための時間稼ぎ』

なんてものも世の中には存在するのか?それこそ、「ムダな抵抗」だと思う…。


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第118回『成り立っていないけど嚙合っている』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第118回は『成り立っていないけど嚙合っている』


 人は必ず、ツールはともかく「会話」でコミュニケーションをとる場合が圧倒的に多い。その会話を考えるとき、

『成り立っていないけど、嚙合っている』

会話は個人的には好きで、そういう人とは共通の趣味など全くないのに一緒にいることが出来る。ただし、その会話そのものには実用性がないことが多い。


 逆に、

『成り立っているが、嚙合ってない』

会話ばかりの人とは、一時的な関係性は保てるが、長くは続かない…。実用性しかない会話に面白みなどないからだ。


 仕事上は、成り立って嚙合えば最高だが、プライベートは違う。成り立っていないほうが面白かったりする。成り立っていないほうが、より嚙合うということすらありえる…。

「ずれを楽しめる」
「違いを楽しめる」


そういう関係が、「成り立っていないけど嚙合っている」関係だ。ずれを楽しみ、違いを楽しめるなら、いざというときはずれと違いを合わせればいい…。嚙合っていればそれが出来る。

「ずれを許せない」
「違いを許せない」


そういう関係は、いざというとき脆い…。「成り立っているけど嚙合っていない」関係だ。ずれ始めると修正が効かない…。表層だけの脆い関係性なのだ…。


 『成り立っていないけど嚙合っている』関係には余裕がある。嚙合うには余裕が必要である。今(コロナ下で)はその余裕を社会を成り立たせるために使っている時期だ。普段成り立っているだけの「脆さ」が露呈しているのか、嚙合っているおかげで「強さ」が発揮されているのか…?「強さ」であってほしいと思う。


「ドーナツ」= 『成り立っていないけど嚙合っている』

「ドーナツの穴」=『嚙合っていれば、成り立たせることは難しくない。嚙合っているならば、違いを理解し、違いを受け入れ、違いを愛しているということだからだ。』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第22回『いいわけ』

 シャ乱Qの歌の題名ではない(かなり懐かしい。わからない人はスルーしてください。)。文字通りの話…。ある事柄において、説明を求められているにも関わらず、説明すると

「いいわけするな!」

と言われたことはないだろうか?あるいは言ったことはないだろうか?これを相当理不尽だと書いた作家がいたが僕も同感である。


 いいわけは発信する側、いいわけする側がなんらかのメリットを得るためにするもの。半面、説明は、受信する側、説明を受ける側に基本的にメリットがあると思っている。だから、

『発信する側にしかメリットのない説明は、ほんとうは「いいわけ」じゃないか?』

と邪推したりもする。個人的には、詐欺師はいいわけを説明と思わせるのが上手い人間なんだと思う。


 いいわけするつもりで説明している人は見たことない。説明するつもり、あるいは説明している体(てい)でいいわけばかりしている人は結構見る。(と個人的には感じている)


 「いいわけ」はムダかもしれないが、「いいわけ」を許せる、「いいわけ」が許されるくらいの社会の状態が心地よい。説明「しか」求められない、説明「だけ」が許される社会は世知辛い。早くお互いの「ムダ」に寛容な生活が取り戻せればと思う。

 『不必要に、言葉尻だけを捕らえてやりあうようなことは、出来るだけ少なくしたい』

そう思う……。
 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第117回『4月入学9月入学』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第117回は『4月入学9月入学』


 グローバルな人材を目指しているのに、「現時点で、4月入学、9月入学をどうこう言っている人が、本当にグローバルな人材になれるのか?」と素朴に感じてしまうのは僕だけでしょうか?


 基本的には、学生をはじめとした関係者が一番納得できる形ですすめばいいと個人的には思う。それ以上でもそれ以下でもない。


 準備期間が…、調整が…、混乱を生じるし…、その通り。でも問われているのは、

「その状況でどうするのか?」

なのだ。準備万端、調整万全、混乱なし…、そんな状況でことをすすめたられたなんてこと、僕にはない。もちろん今回のコロナのようなことが人生で起きたことはないが……。


 「仮にグローバルな人材を育成することを目標とする。」とした場合、入学時期だけではなく

「必要な単位等を、努力次第や能力次第で早くとれる仕組み」

を作ることが大事なのではと思う。いわゆる飛び級とかそういうことだ。


 一般科目、共通科目の多くは、アーカイブ化できるはずだし、実際Courseraみたいなものもあって、オンライン学習も含め、そういうシステムでカリキュラムを組みなおせば、おそらくかなりのコストダウンとシステム化は十分可能性がある話だと思う。

そもそも、

3か月でできることを1年でやる

ような状態で
、優秀な学生ややる気のある学生を縛ること自体がナンセンスだと、やる気のない大人の僕でも思ったりもする。


 コロナ下だからこそ……、なんてことはなく、

「コロナに関係なく、4月か9月かの議論は進めるべき」

だし、

「4月入学、9月入学に関係なく、グローバルを目指す人は頑張って欲しい」

そういう人を少しでも応援できるような社会にしたいと、「ローカル」な僕は思う。


「ドーナツ」= 『4月入学、9月入学』

「ドーナツの穴」=『「4月入学、9月入学に関係なく、グローバルを目指す人は頑張って欲しい」
そういう人を少しでも応援できるような社会にしたいと、「ローカル」な僕は思う。』



今日はここまで。文責 江口
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薄口政治評論家

 『薄口政治評論家』

元衆議院議員でタレントの杉村太蔵さんの肩書である。僕は趣味で人の肩書を研究しているのだが、様々な肩書の中でも秀逸な肩書の一つだと思っている。


 通常、評論家なら、自分の評論する分野において、

『辛口か甘口か』

が一般的である。なのに薄口。薄口の対義語は『濃口』。濃口な評論家の話はおそらく「狭くて深い」。需要はあるだろうがそれほど多くはないと思う…。


 薄口政治評論家という肩書の薄口は、話のハードルを下げる効果がある。専門的な話をしてもいいし、一般的な話をしてもいいし、極端な話信ぴょう性の低い話だったとしても許される部分もある。

薄口は『広くて浅い』。だから聞きやすいし受け入れられやすい。批判もしやすいし、気楽である。この肩書の巧妙さはここにあると思う。この肩書の本質は、

『気楽さと間口の広さ、そしてお互いの寛容を生み出していること』

だと思っている。


 ご本人が考えられたのか、周囲のブレインが考えられたのかは知らない…。ただ「策士」だなあと思う。

・奇妙な発言は「薄口」で吸収され
・的を射た発言は「評論家」で吸収される


すごい肩書である……。


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第116回『会議を続けていこうということが結論の会議』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第116回は『会議を続けていこうということが結論の会議』


 「会議は結論を出すために行う」

言うのは簡単だが、実際にそういう会議ばかりとは限らない。むしろ、

「結論を出さない(出せない)ことが決まっている会議」

だったり、

「結論を確認するだけの会議」

というものも多いのではないかと思う。

『会議は会議室でやっているんじゃない。会議室に入るまでに終わっているんだ!!』

なんて言葉を織田裕二さんに叫んで欲しい…、と思ったりもする。


 未知のもの、現在進行形のもの、変化している、し続けているものに対する会議は、完全な結論は出ないことが多い。というか、結論が出てもその結論ですべてに対応できるわけがない。

ところが、既知のもの、過去に完了したもの、変化しないものについては会議をしなくても結論は出ていることがほとんどである。つまり、

『会議をするという時点で、会議が必要だという認識がある』

のだから、

『会議をするという時点で、確定できない何かを含んでいる』

ということになる。


 『会議を続けていこうということが結論の会議』

は結論の先延ばしでもあるが、変化を受け入れていると取る事もできる。また、変化に対応し続けなければならないことも示している。


 会議をする、会議が出来るならば、まだ可能性があるということ。状況は変化するし、変えられる状況でもあるということ。すべての会議が有意義だとまではいわないが、会議が出来る状況があるならば、まだ余裕があるんだと思う。克服できるから話し合える…。現状はそうなんだと思う。


 


「ドーナツ」= 『会議を続けていこうということが結論の会議』

「ドーナツの穴」=『会議をする、会議が出来るならば、まだ可能性があるということ。状況は変化するし、変えられる状況でもあるということ。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第115回『片付け上手』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第115回は『片付け上手』


 片付け専門家、収納の達人…、といった肩書の人を見かけるとすごいと思う。僕自身が片付けが苦手だからだ…。ただ、正直に言えば、

『片付ける必要性を感じない』

ことの方が多い。
片付け下手の多くの人もそうではないだろうか?


 片付けたくないわけではない。ただ、片付けなくても困らない。なんなら、現状でも十分片付いている(とおもっている)。自分の思うとおりに片付けたい人から見れば、片付いていないのかもしれないが、片付いていると思っている側から見れば、いつまで無駄な時間を片付けに使っているのだとも思う…。


 片付けたから幸せになれるわけでもないし、片付けなかったからその分時間を有効に使えるわけでもない。片付けて大成功している人は多くいるかもしれないが、片付けずに大成功している人も相当数いると思う。

「片付けない、幸せの魔法」

なんて本を誰かに書いて欲しいものである。多分売れないし、そもそも普遍性もないだろうが…。


ただ、片付けによる成功本に関しても、

『片付けられていないから〇〇なんだ』

という言い訳を残しておくくらいの意味しかない(と個人的には思う)。自分が快適にくらし、周囲に迷惑が掛からない程度に片付けられればそれで充分だと思う。片付けにこだわっていること自体が、個人的にはなんか損した気分になる…。


 コロナ下で、現状において「自粛」の意味、必要性を共有することは、片付けの意味を共有するよりは簡単だと思っていた…。が、どうもそんなことはないようである。外出自粛し、散らかった部屋を片付けながら、海岸の混雑やパチンコ店の行列を見て思う……。


 


「ドーナツ」= 『片付け上手』

「ドーナツの穴」=『片付け下手は、片付ける意味も必要性も感じていない。そもそも上手な人と下手な人の間で片付けに対する価値観の共有が出来ていない。コロナ下での「自粛」の意味もまた然りである。』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第21回『撤退戦』

 アフターコロナ、ウィズコロナ…言い方はともかく、

『コロナ感染が収束しても、元の生活には戻れない』

そういう業界は間違いなく増える。コロナ下では、オンライン〇〇というものが隆盛で、ちょっと気の早い話をすれば、今年の流行語大賞には、何らかの形で「オンライン〇〇」というのは入ってくるのではと個人的には思う。

コロナ感染の中、オンライン上で便利に問題なく提供できたサービスを、コロナが収束した後にもう一度オフラインに戻そう……、なんて動きが起こるだろうか?オフラインにもどるのは、

・オフラインでないと成立しにくいもの
・オフラインの方がありがたいもの
等々……

といったものだけだ。もし戻るとすれば、それは「本来、固執してはいけないものに固執する誰かの、何かの意図」が働いていると個人的には思う。そこにムダとムリが生じるわけである。固執するためのコスト、維持管理コストが発生する。


 戻れないものに固執するのは良くない。もちろん衰退と絶滅の間には大きな差があるので、

「衰退しながらも残る」

という業界もあるだろう。とはいえ、例えば今から「レンタルDVD店をやろう!!」なんて人は相当なチャレンジャーだと思う。※サブスクのサービスで放映されていないような映像等を多く入手できれば、可能性がないこともないだろうが、そもそもそういった映像はレンタルの対象にもなっていないことが多い。


 「やらないことを決める」「手放すことを決める」なんて言い方は、あまりにもありふれているのであまり使いたくはないが、結果的にしろ、戦略的にしろ、

「撤退する」

という選択をしないといけない業界、会社組織、個人は増える。



 撤退戦は気持ちのいいものではないし、気乗りしないのもわかる。「前向きな撤退」というのはほとんどあり得ない。だが、変化するために必要ならば、生き残るために必要ならば、

『撤退はタイミングが重要』

になる。


 今手掛けているもの、かかわっているもののすべてから撤退することはないが、関わり続けるために、残すために手放す必要があるもの、手放した方がいいものは必ずある。非常時ほどそれが見えてくる…。本来は、

「コロナ下でなくても、撤退すべきこと』

が顕在化しただけなのかもしれない……。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第114回『Too big to fail(policy)』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第114回は『Too big to fail(policy)』


 社会的に影響があるほどの大きな企業はつぶせないときに使われる言葉。最近も、とある企業グループの巨額赤字が発表されたときに誰かが言っていた…。


 この言葉、ひっくり返せば、

「社会的影響が少ないくらいの小さい起業なら、潰れても仕方がない」

ということを含んでいる。コロナ下においてはそれは絶対に間違いだ。


 言うまでもなく、日本企業の多くは圧倒的に中小零細だ。コロナ下では、その多くが時間差でバタバタ倒れていく…。今はまさにそんな状況なのだ。何も手を打たなければ、最終的には大企業が倒れる以上の影響があるのは必至だ。


 津波や地震、台風等の大きな災害が襲来したときは、「一度に大きな被害」を多くの人が同時に受けるので、危機感を共有しやすい。反面コロナのように、

『時間差で多くの人が影響を受けるような災害の場合、個々人や企業間で、危機感のズレが生じやすい』

ということが起こる。
ズレがあるとといっても数年の間に起こるごく短期間の災害であるにも関わらず。


 今、情報の伝達に関しては、起きた時にほぼ全国に伝えられる状況にある。伝えたいという意図さえあれば…。そして臨場感あふれる動画で危機感や感動を共有できる時代だ。なのに、これほど情報網が発展しても、

『危機感のズレは生じている』

と個人的には思う。


 企業規模の問題だけではない。個人の価値観もいったん横に置いた方がいい。全体で「危機感のずれ」を生じないようにする必要がある。企業や個人によって多少のタイムラグはあるにしても、影響を受ける「数」が桁違いになるという意識が必要なのだ。

『時間差で多くの人が影響を受ける災害』

コロナは、大災害ではあるものの、むしろ影響の受け方から言えば「(超)長災害」という認識が正しいのかもしれない。


 


「ドーナツ」= 『Too big to fail』

「ドーナツの穴」=『コロナ下では、社会的影響が小さいから潰れても仕方ないはありえない。大災害であるとともに、(超)長災害なのだから。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第113回『見える本音、言えない本音』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第113回は『見える本音、言えない本音』


 非常時は、より人の本性とか本音がよく見える。だから状況に対応しながら、「人」をしっかり見ておく必要がある。本来は日常、通常時でも見えているのだが、

『取り繕う余裕がない状況』

が、良くも悪くも人の本音をあらわにする…。


 当然、より多くの人に接する人、より多くの人に影響がある人ほど、見せたくない本音があらわになったとき、哀れな状況になることが多い。国のトップやその家族の行動など、それこそ「忖度なし」に報道されたりもする。


 ただ、その状況であっても、面と向かって本音を言ってくれる人は少ない…。近しい人ほどその人の影響を受けるので、周囲からは

『丸見えの本音を言えない』

という状況が出てくる。これが「言えない本音」である。まさに裸の王様状態…。


 丸見えの本音を伝えてくれる人がいない…、悲惨な状況である。国家や会社なんて大きな組織の話だけではない。家族や友人関係といった非常に小さな集団でも頻発している…。


 非常時は、人の本音、本性をあらわにする。忖度する、忖度される余裕があるうちに……、と思う。


「ドーナツ」= 『非常時は人の本音、本性があらわになる』

「ドーナツの穴」=『その人に近しい人ほど、あらわになった本音を言えないという状況、「言えない本音」がある』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第20回『長距離索敵陣形』に学ぶ

 就寝前に本を読む癖がある。その中で何度も繰り返し読んでいる本が、

・「進撃の巨人」
・「巨匠に教わる絵画の見かた」

の2冊だ。もうかれこれ3回以上読み返している。今日は「進撃の巨人」の方の話…。


 原作を知っている人にとっては解説の必要はないだろうが、「長距離索敵陣形」とは簡単に言えば、

・未知の敵(原作では巨人)に対し、
・出来るだけ被害を最小限に抑えながら、基本的には敵と戦わないことを前提にして、
・人類の活動領域を広げるために、
・拠点と物資を準備、配置するための、

調査をすすめるための集団(調査兵団)の陣形だ。
個人的にはそう認識している。
※エルヴィン団長が考案したものとして登場。「女型の巨人」との戦い前後で主にフォーカスされた陣形で、アルミンが兵団の中に潜む「スパイ、敵」の存在に気づくきっかけの一つになっている。


 さて、この「長距離索敵陣形」の考え方だが、今のコロナウイルスに対する対策にも共通する点が多い。

・コロナウイルスに対して、
・出来る限り、接触機会を避けながら、
・重症化した人の命を多く救うために、
・医療崩壊を防ぎながら、ワクチンと治療薬の開発する時間を稼ぐ

という戦略
をとっているわけだ。特に、

『出来る限り接触機会を減らしながら、情報収集と対策を練る、準備する時間を稼ぐ』

のがポイントになる。蛮勇や正常性バイアスで被害が拡大するほど、その被害に対応することに時間もリソースも取られる…、ということを避けるのが今は一番だ。


 コロナウイルスに対する対応が「長期戦」になるという人も多いが、むしろ「時間を稼ぐ」ことによって被害を最小限に食い止めるのが基本戦略になるのだ。現在公開可能な情報(※進撃の巨人的な表現だが)の一つに、素人でも知っているコロナ感染者の「8割は軽症」がある。それを基に最大限に経済活動だけを優先し、犠牲者が出るのも止む無し…、なんて方向に対応が向かえば、そもそも時間は大幅に短縮される。だが、それでいいわけはない。少なくとも日本では。
※実際に、一定の犠牲を覚悟して経済活動の方を優先しようとしている国もあるようだが……。


 日本の場合、僕の知る限り蛮勇的な行動は少ない。ただし、正常性バイアスに基づくような行動は残念ながら散見されている。もちろん、多くは自制し、自粛し、時間を稼ぎながら被害を最小限にしようとしている。

『出来る限り接触機会を減らしながら、情報収集と対策を練る、準備する時間を稼ぐ』

少なくとも今はそういう時期だと思う。時間は確実に人類に味方するはず。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第112回『感染したときどんな状況なのかの問題』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第112回は『感染したときどんな状況なのかの問題』


 約1週間ぶりの投稿である。先週月曜日にバイクで転倒し、両前腕を強打。骨折はなかったもののいまだにペットボトルを、全身全霊を傾けないと開封出来ないくらいの状況である。とはいえ、痛み止めを飲む必要はなくなったので再開した次第…。

……

 「時を戻そう(ペコパ風に)」。

 専門家が十分に情報発信してくれている通り、コロナは「どうやって感染を広げないか」という状況ではなく、どうやって広がるスピードをコントロールするか?言い換えれば、まだ感染していないあなたがいるとして、

『感染したときどんな状況なのか?』

の問題に完全に移っている。※もともとそうなのだが…。


 集団免疫の話によれば、人口の7割以上が何らかの形で 感染≒免疫 をもたないと、コロナ感染は終息には向かわないということである。つまりは、もし今あなたが感染していなくて、感染者数が少ない県にいたとしても、

『あなたが感染するまで、免疫をもつまで』

コロナの問題は終わらない
ということだ。


 スペイン風邪が流行した頃と現在の状況を比較した論調がある。それによれば、外出などの自粛をして一時的に感染者数が減ったとしても、自粛を緩めればすぐに感染者数が増えるというデータが出ている。しかもその波が、大きなものであと1回、あるいは2回くるということである。しかも2回目の波の時、「死者率が増える」なんて話もある。※スペイン風邪は完全に終息するまで2〜3年かかっている。


 自粛は誰かのためなんて話ではない。自分自身のためだ。利他的利己的なんてどうでもいい…。行政が頑張って、1000床の重症者用のベッドを確保しても、満床になって、あなたが1001人目ならば助からない…。治療すれば助かったとしてもだ…。


 どんなに賢くても、社会的立場があっても、お金持ちでも、「感染しない」という選択肢はない。いずれ感染する。

・どうやって感染するのか?(ワクチンによるものも含めて)
・感染したときどんな状況なのか?


その為に今がある。自粛も含めやれることはきちんとやるべきだし、絶対に来る、避けられない、あなたがいざ感染したときのために、後悔しない選択をすべきだと思う。自粛は決して大事な誰かの為だけではない。自分の為だ。正常性バイアスを意識して行動すべきだと思う。

自分も感染しないと終わらない話なのだから……。


「ドーナツ」= 『感染したときどんな状況なのかの問題』

「ドーナツの穴」=『感染しないで終息するという選択肢はない』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第111回『「無題」という題』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第111回は『「無題」という題』


 絵画にも「無題」という題の絵がある。音楽も同様だ…。おそらく外の芸術作品にもあるはず。なぜ「題」が必要なのか?それは何かを伝えるために必要だからだ。あるいは、絵や音楽といった作品そのものを認識して、理解し、伝えてもらうために必要なのだ。


 伝わったり、理解し合えるならば、「題」はいらない。そのものを見せて終わりだからだ。長く生活している家族が、お互いの名前を呼ばず、「醤油」といっただけで誰かが誰かに自動的に醤油を取ってあげる。そこに名前や「題」、ましてや説明など存在しない…。そういうことである。


 無題は「無題」とは限らない。題を決める主体を選べる状態に残していたり、あるいは、

「『無題』という題だとエッジが効くかも」

といったマーケティング的な発想もあり得る。


 「題」が目的ではなく、「題」によって何かを伝えることが目的なのだ。逆に言えば、

『目的が達成できるなら、題は必須ではない』

ということである。


 コミュニケーションで、「題」を意識しなくくて済む関係は、相当密接な関係だ。
密接な関係が終わる時、再び人は「題」を必要とする。また、密接でないならば、人は「題」を求める…。


 政治家と国民には、「題」は永遠に必要である。理解する、理解してもらう努力が必要なのだ…。なんて大げさな話をしなくても、コミュニケーションとはお互いの努力である。

『題を必要としない関係は、気づけばコミュニケーションを必要としない、お互いを必要としない関係になっている』

かも知れないのだ。『親しき中にも礼儀あり』、それはお互いを必要としている、お互いの意思表示ともいえるのである。





 
「ドーナツ」= 『「無題」という題」

「ドーナツの穴」=『題を必要としない関係は、気づけばコミュニケーションを必要としない、お互いを必要としない関係になっている(かも)』



今日はここまで。文責 江口
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無害無益、無害有益、有害無益、有害有益

 「正しい情報」と「正確な情報」を、非常時ほど混同してはいけない。

 正しい情報の方が正確な情報より、情報の「精度」は基本的に下がる。

『正確な情報は正しいが、正しい情報が正確とは限らない』

ということである。ところが難しいのは、

『正確な情報が、正しい情報より使えるとは限らない』

のが現実には多々存在することだ……。


 情報には、害の有無、メリットの有無で分類すると、

・害もなく、メリットもない(無害無益)
・害はないが、メリットはある(無害有益)
・害はあるが、メリットはない(有害無益)
・害はあるが、メリットもある(有害有益)


というパターンに分類できる。非常時に求められるのはまずは有益であること。とすれば正確なだけの無害無益な情報はいらないし、有害なだけの有害無益な情報もいらない。


 無害有益な情報なら、取り入れられる範囲でどんどん取り入れればいい。日本政府が発表した「人との接触機会を8割減らす」などは出来るだけ取り入れる価値のある情報である。

『8割の正確な根拠など、必要な人はほとんどいない』

8割の話が出始めたころ、この8割の正確性を疑問視する意見の人も多く見られた。疑問を持つ、正確な情報を発信するのは大事なことだが、コロナ下は非常時である。もし疑問、批判をするなら、

・8割では足りない
※仮の話である。

とか、

・7割5分で十分だ
※仮の話である。

とか、そういう「正確な」情報を発信するならともかく、

『8割の正確性を(私は)疑問視する』

という正確な意見、情報は無害無益である。視聴する人の時間をとるだけ有害かもしれない…。


 有害有益な情報は、そのまま取り入れることはできないが、害を減少させながら取り入れられれば、有益なのだから役に立つはずだ。害が大きく使えなければ、使わなければいいだけだ。


 非常時での情報発信は、少なくとも「有益」であることが絶対条件。それだけは間違いないようである。正確な情報は大切だが、誰にとっての、何にとっての正確さなのかは意識しておくほうがいいかもしれない。


 『精度よりも益。正確さよりも(より多くの人に伝わる)正しさが求められる』

非常時は、そういうことなんだと思う。少なくとも『有害無益』だけは避けたい…。


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第110回『Stay at home より「家に居ろ!!」』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第110回は『Stay at home より「家に入ろ!!」』


 僕は子供の頃、九州にいたので「家に居らんか!!」「家に居らんば!!」「家に居れ!!」…、という言葉の方がしっくりくる。


 行動変容を求めるのなら、

「体(てい)よりも熱」

を意識するべきである。もちろん、公の場での発言になるので、通常ならば体裁やコンプライアンス等に配慮するのはもちろん大事だが、今は非常時。非常時ならば、絶対に「熱」≒「思い」が伝わる必要がある。

「Stay at home」

で、心が動く日本人が増えているのかもしれないが、僕自身は、

『夢を見ているときにしゃべっている言語』
『思考するときに使っている言語』


で伝えた方がいいと思っている。だから、日本人なら「家に居ろ!!」だし、もっと言えばご当地ごとの発言力のある人が、方言でいった方がいい。東国原英夫さんが、県知事時代、

「宮崎ば、どげんかせんといかん」

といったように…。


 「体よりも熱」

今は、それがそれが必要なんだと思う…。





 
「ドーナツ」= 「Stay at home」

「ドーナツの穴」=体よりも熱。 『(なっだけ)家に居れ!!』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第109回『出し抜かない、欲張りすぎない、諦めない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第109回は『出し抜かない、欲張りすぎない、諦めない』


 TV等の報道スタイルは改善され、品薄の棚を映す機会は減っているようである。その調子で、

『この状況で人が密集している場所』

を取り上げ、きちんと報道し、注意喚起すべきだと思う。


 生活必需品は確かに必需だから、自粛するわけにはいかない。だからスーパーは今後も開いている。でも、今、スーパーが三密の状態になっているのは明らかだ。

『生活必需品購入の為に、三密のところに行かざるを得ない』

どうやって、感染を防ぐのだろう。ゴルフの打ちっぱなしを休業するより、

『スーパーなどの三密にならない販売方法』

を専門家は考えて、指導して欲しい。そう、思わないだろうか?

……

 近所のドラッグストアには、連日開店前の行列が出来ている。もちろん「ソーシャルディスタンス」など意識されてない距離感でだ。開店30分以上前から、限定販売のマスク購入のために1メートル以内の距離で人が並んでいる…。

必需品を買うために、「三密に飛び込んで行かざるを得ない」状況が、あなたの周りにもあふれてないだろうか?


 出し抜かなくてもいいような施策、買いだめしなくても安定供給されるような施策、感染が広がっているからこそ、感染することを覚悟しなくても、感染してしまうとあきらめなくてもいい施策、そして未来をあきらめなくてもいい施策が必要になると思う。


 少なくとも、スーパーは営業時間の短縮より、

『一定時間内の顧客数の制限=混み過ぎない店内の構築』

に力を入れて、必需品の購入が三密の状況で行われないようにした方がいいのではと、個人的には思う。流行りの飲食店のように、

・整理券を配る。

といったことで、

・入店時間
・一定時間内の顧客数
・退店時間
・一定時間内の購入可能な商品数

等々……、

のコントロールを図った方が、感染拡大はましになるのではないかと思う。お客である僕自身も、

『出し抜かない、欲張りすぎない、諦めない』

を肝に銘じて、今は生活したいと思う…。





 
「ドーナツ」= 『出し抜かない、欲張りすぎない、諦めない』

「ドーナツの穴」=非常時こそ『出し抜かない、欲張りすぎない、諦めない』という感情が起きないような「仕組み」を作る必要がある。 



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第108回『0.2×0.2=0.04』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第108回は『0.2×0.2=0.04』


 これまでと変わらず通常通り、すべての人が人と接触する機会を持ち続けることを1として、その時に感染者と接触する確率を100%とすると、

全ての人が人と接触する機会をすべての人が8割減らすと、感染者と接触する確率は、

『0.2×0.2=0.04』

4%になる。何もしなかった場合と比較して、感染者と接触する確率は1/25になるということ。

仮に、みんなが油断して、2割しか人と接触する機会を減らさなかった場合は、

『0.8×0.8=0.64』

64%になる。8割控えた場合と比較すると、16倍になる。だから、

『「人と接する機会を8割控えよう」という話を政府はしている』

ということ。


 仮に誰かが、それでも油断して5割しか控えなかったとしても、あなたが1割に出来れば、

『0.1×0.5=0.05』

5%、結構感染者と接する確率を減らせるともいえる。今の時期、

『人との接触を2割減らすか、8割減らすかで、感染する確率は16倍も違う』


 外出を減らすのは、シンプルだが有効。小学生の算数でもわかる話。




 
「ドーナツ」= 『0.2×0.2=0.04』

「ドーナツの穴」=『自分の行動だけでも、結構効果的な感染防止になる』 



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第19回『価値』 鴨を見て思う

 近所の側溝に鴨の家族がいた。鳥類の好きな僕は、ちょっとした暇を見つけてはぼんやりとその鴨の家族を眺めていた。今はもう子供たちも成長し、その側溝にはいない時期になっているが…。


 さて、その鴨を見ることはもちろん無料である。その鴨を写真や動画に収めたり、絵を書いたりしても基本無料だ。面白いのは、

『出来上がった写真、動画、絵には値段がつくことがあるということ。』

そもそもが無料のものが、人の手が加わったり、人を通じて手に入れたり、人を通じて知ることによって価値が出る。これが付加価値である。基本的にその付加価値は手を加えた人が手にする。
※もちろん、モデルになった鴨に何らかの権利が発生するわけではない。


 くまモンやQRコードの例を考えると、くまモンの仕掛人も、制作者も、QRコード開発者も、「自分に手に入る価値」を自分のものにせず、あえて循環させることでより大きな価値を生み出している。そういう人は、短期的に手に入る価値を手放して、より大きな価値を手に入れていることがわかる。まあ、そういう人は、その価値をまた循環させるのだろうが…。


 『短期的に手に入る価値に飛びついて、自分の価値を下げるような行動』

それは、最終的には短期的に手に入る価値も縮小する行動である。種もみを食べるような行動だからだ。


 鴨の写真や絵といった作品も、もともとは「鴨」がいてこそ成立したもの。そこを忘れてはいけないと思う。鴨を生み出したり、飼育したり、(最初に)発見したわけではないのだから…。


 正当な権利は認められるべきである。それまでかけた時間や労力がムダにならないように。ムリ(努力)が報われるように…。ただし、その周囲に

『認めらた権利をどう行使するのか?そこに本当の価値が問われている』

ことも忘れないようにした方がいいのかもしれない…。鴨を見て、そう思った…。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第107回『選択肢』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第107回は『選択肢』


 感染リスクを下げようとすれば、経済リスクがあがる。
経済リスクを軽減しようとすれば、感染リスクがあがる。極端に書けばそういう状況がある。


 コロナウイルスに関して言えば、残念ながら、数カ月単位で解決する問題ではないようだ。奇跡的な何かがなければ、オリンピックは再延期か中止になるだろう。


 追い込まれている。それは間違いない。追い込まれているとはどういう状況か?

「選択肢が少なくなっている」

ということである。
何をどう選んでも、何らかのダメージが残る状況。だから追い込まれているのである。ただし、実は選択肢が少なくなっているということは、

「やるべきことが見えやすい」

ということでもある。もっと書けば、

「やってはいけないことが明確」

なのかもしれない…。


 コロナでいえば、「重症化しないように、医療崩壊しないように感染を抑えながら、経済活動が崩壊しないように資源、資金を投入する」という選択しか、現状ではないわけである。この文脈にそぐわない選択や行動をしてはいけないことだけは明確だ。


 マスクを世帯に2枚配ることは、最善ではないかもしれないが、感染抑制には多少でもプラスである。それをとやかくいう暇はない。児童手当を一万円プラスすることは、最善ではないかもしれないが、多少なりとも救われる人も確実にいる…。


 「思考を止めない。行動を止めない。」

国レベルだけでなく、二人以上の「組織」に関わっている人ならば、そういうことになる。一つの行動をして終わり…、一個決めたら終わり…、ではない。

『関わりのある人の為に、考え、行動し続ける』

関わる人が多い人ほど、それが求められる……。その為に普段から権限と権利が、その人にはあるのだから…。

 
「ドーナツ」= 『選択肢』

「ドーナツの穴」=『追い込まれているとはどういう状況か?「選択肢が少なくなっている」ということである。』 



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第18回『オンラインオフライン』

 オンライン、オフラインと分けていること自体がナンセンスである。
オンラインを使った方が便利なものは、オンラインの方向に向かうし、
オフラインを使った方が効果が高いものは、オフラインが残る。


 『オンライン飲み会が主流になることはないが、オンライン飲み会は広がる』

当たり前の話である。オンライン飲み会という新しい手法が手に入っただけだ。オンライン飲み会の方が良ければそれで開催するし、直接会いたければ普通の飲み会になる。それだけだ。


 飲み会だけではない。オンラインが便利なのに、わざわざオフラインを残しているようなものは、よほど規制をかけないと、便利な方に流れる。ただし、規制をかけられる範囲のものは問題ないが、規制をかけていないところとの競争になると、絶対に勝てない…。それがグローバル化である。

……

 ここからやっと本題なのだが、

『オフラインが便利なものを、わざわざオンラインに置き換えるようなことをしていないだろうか?』

あるいは、

『ローテクで十分なものを、あえてハイテクに置き換えて、かえって不便になっていないだろうか?』

そう思うことが多い。

「最新だから使わない」は絶対違うし、
「最新だから使えない」は違うし、
「最新だから使わないといけない」も違う…。


そういうことである。目的に合った(出来るだけ最適な)手段を使う。本来ならそれだけの話。


 看板広告は減ってはいるが、無くなることはない。紙媒体も減るだろうが、無くなることはない。オフラインのセミナーも無くならないし、実店舗の飲食店も無くならない。衰退と絶滅には、「大きな差」がある。目的に合うものは適正な量、適正な形で生き残る…。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第106回『どこまでを自分として見ているのか?』その3

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第106回は『どこまでを自分として見ているのか?』その3


 会社のような組織において、創業者やリーダーといった主要メンバ以外に、

『自分のことのようの組織のことを考えてくれているメンバー』

が少なからず存在している。所属している組織そのものも、「自分(の一部)」として見ているメンバーである。


 当然のことだが、そういうメンバーが存在する組織は強い。リーダーのカリスマや「損得」≒「欲」だけで集まった組織はもろいものである。100年以上存在する会社が少ないのは、リーダーの寿命より長く組織を残すというのが、どれくらい難しいかを示している。
※そもそも、100年後、つまり自分の死後とかを想像して生きている人がそう多くはない。生きてる間だけ、自分だけが何とかなればそれでいい…、という思考の人の方が圧倒的多数なのだ。もちろん、そうじゃない人も結構いる。


 さて、組織を自分のことのように思ってくれるメンバーが集まるにはどうしたらいいのか?それは、メンバーが集まる集まらないかはともかく、

「組織のメンバーのことを自分のことのように考えてくれるリーダーがいるかどうか?」

にかかっている。言い換えれば、

『自分の利益以上に、組織と組織のメンバーのことを考えるリーダー』

ということになる。

 実は、

『自分の利益を最優先するリーダーというのは、周囲にはすぐにばれる』

ばれてないと思っているのは本人だけだ。
ただ、組織のパワーバランスの中で「知らないフリ」をしたり「我慢している」メンバーがいるだけだ。

組織が十分に大きく、小さな分配率でもほかの選択肢より「得」を得られるなら、「知らないフリ」も「我慢」もメンバーはしてくれる。大企業はそうやって組織が残っていく。だから、出来た組織は基本的に大きくなろうとするし、大きくなれない組織が生き残るのは難しい。


 小さな組織は、「組織の目的」と「リーダーの質」、そして大きな分配率で大きな「得」を得られるとメンバーが思えれば、メンバーが残る。ただし、組織である以上、大きくなる方向に絶対なるので、その過程で組織変容が起こっていく…。目的が変化し、求められるリーダーの質も変わり、さらに「分配率」は下がるからだ。シュリンクしている時代ではよりその傾向が顕著になる。


 現実には、組織の大小にかかわらず上記のことは起きている。そもそも固定したリーダーだけで何かを乗り切るのは難しい。「ある種の柔らかさ」「ある種のゆるさ」が組織に求められてる時代だと個人的には思う。

「柔らかさ」と「ゆるさ」を持ったまま、組織として成り立つには、

『自分のことのようの組織のことを考えてくれているメンバー』

は不可欠になる。そしてそんなメンバーが集まる組織を作るには、

『自分の利益以上に、組織と組織のメンバーのことを考えるリーダー』

が不可欠なのだ。無論、これまでの形の組織がなくなることはない。リーダーもメンバーも

「どこまでを自分(のこと)として見ているのか?」

が互いに問われる時代になっているのかもしれない…。コロナウイルスで、それが顕著に見えるようになっている……。



 
「ドーナツ」= 『どこまでを自分として見ているのか?』

「ドーナツの穴」=『自分の利益を最優先するリーダーというのは、周囲にはすぐにばれる』 



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第105回『どこまでを自分として見ているのか?』その2

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第105回は『どこまでを自分として見ているのか?』その2


 自己最適化、自己利益最大化、自己損失最小化のために、都合よく自分の範疇を変化させる人の特徴は、「損得」で見るとよく見えてくる。

・自分が得している時は、自分の範疇を狭くして、その得を独占する方向に思考し、志向する。
・他人が得している時は、自分の範疇を広くして、その得を共有する方向に思考し、志向する。
・自分が損している時は、自分の範疇を広くして、その損が分散する方向に思考し、志向する。
・他人が損している時は、自分の範疇を狭くして、その損が(相手に)集中する方向に思考し、志向する。


企業などで、起業時の苦労は共有するが、次第に利益が大きくなるとメンバー同士で得、利益を奪い合う方向にいったり、あるいはある組織内での大きな失敗などを部下(他人)に押し付ける傾向が強い上司の行動様式といったことは、ある程度上記の理論で考えれば説明できる。要は、

「自分の損得を優先して、都合よく自分の範疇を変える人」

、信頼できない人とはそういう人のことなのだ。※平時ではわかりにくい場合も多いが…。


 昨今、オンラインサロン等、ネット上でうまくいっている集団組織の特徴は、その組織の求心力、中心となる人物が、

「得も損も(出来るだけ)平等にしようと志向している」

ということがあげられる。ここでは、平等≠均等であることに注目する必要がある。組織そのもの、あるいは組織のプロジェクト等に対する関わりの度合いで損得に差をつける。その差に公平性がある。これが担保されていることが、組織運営に欠かせない要素になっているということである。そしてそれが、

『どのような状況にあっても安定している』=『自己の範疇がぶれない』

、ということの上に成り立っているからこそ、組織に対するほかのメンバーの忠誠心を高めているのである。

『(自分も含め)損も得も(出来るだけ)平等にしようとするリーダー』

が、うまくいっている組織のリーダー像の一つだと思う…。付け加えれば、自己を犠牲にして組織のために尽くすようなリーダーは、これはこれで別の問題があるのだが、ここでは割愛する…。


 非常時ほど、良くも悪くも「本性」が現れる。コロナを乗り切ったとき、組織に何が残るのか…?組織に誰が残るのか…?



 
「ドーナツ」= 『どこまでを自分として見ているのか?』

「ドーナツの穴」=『組織内で信頼されない人の特徴に、自分の損得を優先して、都合よく自分の範疇を変えるということが挙げられる』 



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第104回『どこまでを自分として見ているのか?』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第104回は『どこまでを自分として見ているのか?』


 去年、「俺か、俺以外か。」という言葉が流行った。この言葉を聞くと、

『俺か、俺以外か。のどこまでが俺なのか?』

と思うのである。

……

自分自身だけを自分と認識しているのか?
自分と家族だけを自分と認識しているのか?
自分と近しい人だけを自分と認識しているのか?
自分の会社や所属する組織を自分と認識しているのか?
自分の生きる地域を自分として認識しているのか?
自分の国を自分として認識しているのか?
全世界を自分として認識しているのか?
人間という種以外も自分として認識しているのか?
等々……

 もちろん、状況によって「自分の範疇」は変化する。変化すること自体は普通で当たり前だ。ただし、

『自己の範疇の変化が少ない安定した人』

ほど、関係を取りやすく、かつ

『自己の範疇が大きい人ほど信頼される』

傾向にある。常に自分自身だけを自分と思っている人は、「器」は小さいが安定はしている。利己的だと思って関わればいいので関係はとりやすい。「器」が大きい人は器の大きさが安定して大きく変化が少ないから、「器」が大きいのである。立場や状況によってころころ「器」の大きさが変わる人を、「器」が大きいとは誰も思わない。


・どこまでを自分の範疇と考えているのか?
・その範疇=器がどれくらい安定しているのか?


ただ単に、自分の範疇が大きければ良い…、とは必ずしもならないのが難しい。範疇が大きいというのは、裏を返せば、他人に対するこだわり、執着が強くもなったりするわけである。人に限らずモノに対することでも同じ。

繰り返すが、「器」が安定しているというのは、間違いなく人から見れば「関り易い人」。「器」の大きさもさることながら、実は「安定」しているかが結構大事だったりするのである。


「ドーナツ」= 『俺か、俺以外か。』

「ドーナツの穴」=『どこまでが俺なのか?が気になる…』 



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第17回『不要不急だがやってもいいこと』

 不要不急の外出を控える。コロナ感染を考えれば当然だ。必要緊急は外出していいのだが、必要緊急な外出でも感染は広がる。感染が広がることを防ぐのは、もう難しい状況になっていると思う。だからといって、わざわざ感染確率を高める行動はしないに越したことはない。

『コロナ感染を広げるようなことは、避けられるなら避けた方がいい』

それに決まっている…。

 
 こんな状況でも、やれることを考え、やっている人がいる。

・最新のコロナウイルスに関する情報を発信し続けている人
・リアルのサービスを、ネットに置き換えてフォローしている人
・リアルでしかできないサービスを、調整、制限しながら、何とか感染防止と経営を両立しようとする人

そして、

・最前線で治療にあたっている人

等々……。本当にすごいと思う。


 感染リスクを高めるような行動を控えると同時に、感染リスクの低い行動はどんどんやった方がいいと思う。

『不要不急だがやってもいいこと』

は現状でもたくさんあるはずだ。
やれることだけではない。情報発信だけでもやった方がいいかもしれない。


 情報が氾濫している時代。多くの人が情報発信するのは混乱を招くかもしれない…。だが、例えば「助けて」と情報発信して、助けを求めれば助かる人が増えるかもしれないのだ。


 『ムダ』≒『不要不急』だけど、やってもいいこと、やった方がいいこと、やれば何かが変わる可能性があるならばやった方がいい。特にできる情報発信はやったほうがいいと思う。今、誰かを助けられる状況の人も、誰かを助けようと考えるほどの余裕はないのが現状なのだから…。
 

 とにかく、

『やらない方がいいことはできるだけやらない。やった方がいいことはできるだけやる。』

遠慮している場合ではないし、お互い様なのだから…。

 
 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第103回『インフォデミック』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第103回は『インフォデミック』


 『画になるからといって、商品棚が空の映像を流せば流すほど、買い占めを助長する可能性が高い』

わかっていても、

・多くの人の「いいね!」が欲しい
・視聴率が欲しい
・儲けたい
……

といった心情で、「パニック感情」「不安を煽る」情報の方がどんどん取り上げられる。


 正確な情報と「興味を引く情報」「儲かる情報」はイコールにはならない。

『普通とかわらない状況で、何も起きていませんよ』

という情報に人は反応しない。日常ならそうだ。コロナ感染は明らかに非日常。

『非日常な状況で、どこかに日常的な状況あるならば、その状況ではそれが「非日常」である』

出来るだけ、「不安を煽らない」情報もしっかり収集したいと思う。


 影響力のある人が、「買い占めの不必要性」を訴えるようなメッセージを多く出している。とあるスーパーが、山積みにされた商品の映像を発信したりしている。

『日常的で大丈夫なこと』
『日常を取り戻すために必要なこと』


そういったことにも注目したいと思う。


「ドーナツ」= 『インフォデミック』

「ドーナツの穴」=『非日常な状況で、どこかに日常的な状況あるならば、その状況ではそれが「非日常」である』 



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第16回『皮と身の間』

 「皮と身の間に一番栄養がある」とか、「皮と身の間が一番おいしい」ということをよく聞くし、自分もいっている。果物や魚、肉など、「皮のある食べ物」では間違いなく使われる常套句なのではないかと思う。


 実際、人間は「際」「エッジ」「境目」「境界」が好きである。学問や研究なども本来は「エビデンス」を求めているのではなく、どこか、

「エビデンスの(有無の)境目」

を求めている気がしてならない。そもそもエビデンスだけを求める研究はわくわくしない。研究で「エビデンスの境目」を求めた結果、何らかのエビデンスを得る。それが醍醐味なのではないだろうか?…などど勝手に思ってしまう。研究の内容にもよるだろうが……。

逆にエビデンスを求めた結果、よけいに「エビデンスの境目が際立つ」なんてこともあるから、「エビデンスがあるか、それ以外か」と単純にいかないこともまた面白いと思う。


 ムダになるかならないか、ムリを出来るかできないか、ムラが出るか出ないか……、そういうところに人は魅かれる。そして同時に恐れる…。皮と身の間だけではない。

・火が通るか通らないかくらいのお肉
・発酵しているか腐敗している間くらいの食品
・食べられなくぎりぎりの熟成
・食べられるぎりぎりの辛さ
・液体か固体かぎりぎりのとろみ

等々……

食べ物の話ばかりになった。満腹感より、満足感を求める必要がある、「糖質の(高低の)境目」を今日も生きている。


 
 
今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第15回『話のハードル』

 『話術のハードルをコントロールするほど、ハードルの高いものはない』


 芸人さんが「面白い話」や「すべらない話」をするとき、大前提として周囲の笑いに対するハードルを下げようとする。その方が面白いと思ってもらえるからだ。

僕も含めた一般人は、自分が面白いと思ったことを「面白い話」や「すべらない話」として話そうとして失敗する。丁寧に「面白いを今からするよ!!」なんて予告したりする人までいる。……そうやって話はすべり落ちていくのだが。


 話のレベル、ハードルをコントロールできるというのは相当な高等技術である。そんなことは誰にでもできることではない。少なくとも僕は苦手である。

第一、話している相手(多数の場合もある)のレベルを推し量ることが難しいし、もし推し量れていると感じているとすれば、それは幻想か、そもそも初期段階からコントロールされている関係だから成り立つのである。※自分でコントロールしている場合も含めて。

しかもそこに何らかの「上下関係」が加われば、ますます話し手の「推し量れている感」は出るものの、実際とは乖離することになる。

初対面や、事前準備なしで話のレベル、ハードルをコントロールできる人もいるだろうが、よほどの才能だと思う。


 ともかく、話のハードルをコントロールするのは難しい。だからこそ事前準備、お膳立て、アフタフォロー等が必要になる。話が上手い人というのは、実は話そのもの以上に、そういうことが上手いんだとも思う。「空気を作る」なんて言い方もあるように…。


 オリンピック延期が決定した。「もっと早く決定して発表して欲しかった」等、いろいろ意見もあるだろうが、「空気を作る」必要もあったのではないかと思う。どう選択しても、誰かにしわ寄せがいく選択なのだから…。


※あっ!!「ムリ・ムダ・ムラ」の要素が全くない文章になってしまった。
 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第102回『音のしないカーテンレール』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第102回は『音のしないカーテンレール』


 「音のしないカーテンレール」、あなたは欲しいだろうか?

カーテンレールの音が気になるほどの細やかな神経は持ち合わせていないし、そういった細やかな神経の人と暮らしたこともないし、日常的に音が気になるほどカーテンを開け閉めことはない…。

……というのは僕の偏見だった。静音設計のカーテンレールというジャンルの商品は存在している。

「音のしないカーテンレール」

というのはニーズがある…、ということを知った。


 「音のしないカーテンレール」は、僕が20歳前後のころ流行っていたドラマ「ツインピークス」に登場する、とある夫婦の妻の方が、特許で一山当てるため研究しているものとして登場していた。周囲は「そんなもの売れるか!!」などという冷ややかな目で見ていたのだが、偏執狂的にその妻はのめり込んでいる…。という設定だったと記憶している。
※ドラマ内では、ひょんな偶然で「音のないカーテンレール」は完成するのだが、当然周囲に受け入れられることもなく、その妻は非常に落ち込んで…、という展開になるのだが……。


 「音のしないカーテンレール」を当時は、「作るのは難しいが、そもそも必要性の少ないもの」として見ていた。が、今は商品として存在している。まあ、ややマニアックなニーズを拾えるのもネットの特性だから、多数派ではないだろう。…が、とにかく成立しているのである。(商品化まではされている)


「自分が興味があるから、他人も興味があるだろう」
「自分が知っているから、他人も知っているだろう」
「自分がそう感じるから、相手もそう感じるだろう」


……などどいったことが、思い込みであり、エゴであることを思い出させてくれる、そんなものの一つが、

『音のしないカーテンレール』

なのである。


「ドーナツ」= 『音のしないカーテンレール』

「ドーナツの穴」= 「音のしないカーテンレール」が商品化されているということは、少なくともニーズはあると誰かが思ったということ



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第101回『淘汰』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第101回は『淘汰』


 ある業界が、今後は淘汰が進むだろう…、ということをいう人がいる。

ありふれて、あふれてくれば、当然あぶれはじめる…。それが淘汰である。

淘汰は種や集団の行きつく先の一つである。ただし、淘汰されることはわかっても、

『どういう方向に淘汰が進むかはわからない』

のが現実。


 『どう生き残るのか?』

淘汰が避けられないのなら、積極的に変化する必要がある。
一方向だけが正しい方向ではない。

大きくするのか?小さくなるのか?
拡げるのか?絞るのか?
効率を極めるのか?
こだわりを極めるのか?
等々……

淘汰が進んでも、残るところは残るのもまた事実。


 淘汰は平等には起きない。淘汰はコントロールできない部分が大きい。だからコントロールできることに集中した方がいい…。コントロールできる部分を大きくする努力はした方がいい。淘汰に対して抗うことばかりが正解ではない。淘汰がプラスに振れることもあるのだから……。


「ドーナツ」= 『淘汰』

「ドーナツの穴」= 淘汰が進むことは分かる。が、淘汰がどういう方向に起こるかはわからない(ことが多い)



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第14回『不謹慎』

 不謹慎を良い意味で使うことは少ない。不謹慎は文字通りなら謹慎していない、謹慎じゃないということだが、そもそも

「謹慎」

の言葉の意味を正確にイメージできる人がどれくらいいるのだろうか?…と思ってしまう。
※上記の文章が、場合によっては「不謹慎」ととられるかもしれないが…。


 不謹慎は、基本的にある集団の置かれた状況や、その集団での立場の中で、ある人の

「言動がそぐわない」

ことで生まれる「集団の感情」「群集心理」の一つである。空気を読めない人間が不謹慎と言われることが多いのはその為である。


 さて、この「不謹慎」であるが、不謹慎と判断した集団にとってはムダな言動である。もし不謹慎に意味がある、不謹慎が意味を持つような言動になれば、それは「不謹慎」とは呼ばれない。面白いのが、その言動が「謹慎」にはならないところなのだが…。


 そもそも「謹慎」は慎み、謹んでいる状態。言動が目立つようでは「謹慎」にはならない。つまり何かを発信したり、行動を起こしている人間は謹慎することは不可能なのだ。どんなに行動、発言に注意しても、ある集団で一定数は、

「不謹慎な」

という感情をもつのだ。発言、行動する限りは…。


 不謹慎をムダ、意味がないと感じる人も多い。だが、その不謹慎な言動で事態が動き出す。問題や課題、

「今、向き合うべきこと」

に集団がきちんと向き合いはじめる…。…ことも多い。


 個人的には謹慎する、謹慎している体をとるのは楽だと思ってしまう。謹慎が必要なこともあるし、謹慎が悪いとは思わないが、謹慎が思考停止にならないようにしたい。どんな状況であっても「出来ること」を考え、発信、行動できるような人でありたい。…と「不謹慎」にも思うのである。


 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第100回『私を侵害するなといって他人を侵害する人』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第100回は『私を侵害するなといって他人を侵害する人』


 自分の権利や立場、役割等を侵害されることには敏感な人が多い。そういう人に限って、

『他人の権利や立ち場、役割等を侵害していることには鈍感』

という場合も少なくない。そういう状況は個人的には面白いと思う。起きていることとしては最悪の部類にはいるが…。


 自分も誰かを侵害するなら、他人にもあなたを侵害する権利がある。まあ、お互い侵害はしないほうが良いが…。


 『あなたもOK、私もOK』

価値観が違おうが、場所が違おうが、職種や、興味が違おうが、関係ないし、どうでもいい…。やることをやって関係か成り立っていればあとは自由でいいと思う。無理に合わす必要もないし、もし何かが合ったなら、その時は、

『その奇跡を静かに喜んだらいい』

と思う。というわけで、

『自分が侵害されない限り、あるいは侵害されても影響がないならば、できるだけ他人は侵害しないように生きたい』

と思うし、

『知らぬ間に誰かを侵害して、それに気づいたら、素直に謝罪したい』

と思うし、

『もし自分や、自分の大事な人が、誰かに徹底的に侵害されたら、命を懸けて侵害する強さは持ちたい』

と思っている。侵害しなくてもいいことを祈りながら…。


 幸福なことに、人生でそこまで侵害されたことはない…。知らぬ間に誰かを侵害しているのかも知れないとは時々思う。それについては、ただただ反省しかない……。


「ドーナツ」= 『私を侵害するなといって他人を侵害する人』

「ドーナツの穴」= 誰かを侵害するなら、誰かに侵害されることも受け入れる必要がある



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第13回『最大限最小限』

現状での自分の最大限の力を知ることは大切である。


今、自分に求められていることを達成するために最小限の力を知ることは効率的である。


常に最低限、(自分の)効率を最優先する人は、周囲も最低限で接するようになる。
あなたが動的であるように、周囲も動的である。
あなただけが変化して、周囲が変化しないことはない。
あなたが成長するように、周囲も成長するのである。
あなたが手を抜いたと悟られたとき、周囲もあなたに手を抜くのである…。



常に最大限、(自分の)力を発揮しつづけないといけない人は、継続することが困難である。
常に全力というのは聞こえはいいが、ようはムラがあるのである。
あなたの調子で結果が左右されるようでは、周囲はあなたに安心して何かを任せられない。
あなたが全力を出すことと、あなたが信頼を得ることは同義ではない。
求められる結果(以上)があるから、周囲は信頼するのである。
誰かに何かを託して一番困るのが、ムラがあることである。
出来上がらないとわからない、仕上がりが不安定な人に、何かを依頼できるだろうか?……



僕らが何かについて努力するのは、最大限の値を上げることで継続性を高めるため。


実は、僕らが最小限、効率を求めるのも、ムダを省くことで継続性を高めるためだ。


最大限と最小限の間に、継続性が見えてくる。


両極端を知っているほうが、多分加減は効く。


加減できるような状態を保つのがプロなのかもしれない…。


今日はここまで。文責 江口
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『あとA』

 ネーミングについての話である。名前は十分に考えた方がいい。凝った名前やこだわった名前、分かりやすい名前や個性的な名前…、じっくり考えるべきだと思う。

……

 なんてことは当たり前で、今日はもっと当たり前の話をしたい。表題の「あ」と「A」であるが、これはリスト化されることを意識する時、名前の最初につく文字として選択肢に入れるべきものである。一般的にあることがリスト化されるとき、

・名前
・歴史(登録順や設立順など)
・値段(価格帯や高い順、安い順)
・評価(☆の数など)
・利便性(特に交通の便)

等々……、で順序付けされることがほどんど。ネットで検索される場合などはまずそうである。不動産を検索する時などを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない…。

当たり前の話だが、リストの上位、早く視認される程選ばれる可能性が高い。だからリストの上位に来ることに皆必至だし、リストの上位にくるようにすることが商売になったりする。

『あるサイトの検索結果のトップに広告枠があるのは「いち早く見てもらうこと」が商売になるなによりの証拠である』

自分が良く使うサイトを見て欲しい。必ず検索結果より先に広告がついているはずだ。


 リストの順位付けの特徴に、

「公平性を担保したいものほど、名前で順位付けされている」

というものがある。公的なところが発行しているものはいまだにその傾向がある。ネットにもその名残はある。あるいは登録番号の若い順、先着順なんてところもあるが…。特定の「言葉」を探す場合、登録順より名前順の方が圧倒的に簡単だ。ほとんど使わなくなったが、「辞書」などはその例である。


 「見つけられやすさ」は意識した方がいい。それが平仮名なのか、カタカナなのか、アルファベットがいいのか、それは「探される場所」の特性によるが…。あっ、細かい話だが、フリガナをつけないと漢字の音読みと訓読みで順番が変わる…なんてこともあったりする。あくまでも個人的な意見だが、

「青木愛」

という名前は、名前による検索では、なかなか強い名前だと思う。そういえば、医療系の名前で「愛〇〇」なんてところが多かったりするが、それも見つけられやすさというのを意識しているのだろう。

「愛」
「あい」
「AI」
……

名前でリスト化されれば、かなり強い名前だろう…。


 「あ」というラーメン屋がある。
「ああ探偵事務所」という漫画もあったりした。

最近、漢字仮名表記からアルファベットに変えた「名前」の人は、そのリストの「探される場所」の特性を使っているかも知れない…。そういう人を見ると、センスがあるなと思ってしまう。単にグローバルな人間関係を持っているだけかもしれないが…。




今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第99回『ちょっとネガティブで丁寧な人が好き』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第99回は『ちょっとネガティブで丁寧な人が好き』


 思考や感情がポジティブかネガティブであるかと、言動や人当たりが丁寧か雑かでマトリックスを考えると、

・ポジティブで雑
・ポジティブで丁寧
・ネガティブで雑
・ネガティブで丁寧


の4つに分類される。あくまでも個人的な意見、好みになるのだが、

『ポジティブで丁寧』な人には、畏怖を覚え、
『ポジティブで雑』な人には、親近感がわき、
『ネガティブで丁寧』な人には、憧れがあり、
『ネガティブで雑』な人には、興味がない

といった感じになる。仕事するなら「ポジティブで丁寧」な人…、と思う人もいるだろうが、「ポジティブで雑」な人の方が、こちら側にある程度の自由度がありそうなので、僕は「ポジティブで雑」が好きである。

「ポジティブで丁寧」な人との仕事は、糧にはなるが、少し息がつまる…。


 「ネガティブで丁寧」な人の笑顔には、もう、魔力がある。自分には全くない要素だし、そういう人には純粋に憧れる。俳優さんで言えば、少し前の石田ゆり子さんのイメージだ。(わかる人にはわかるはず)※最近の石田ゆり子さんのイメージは「ポジティブで丁寧」になった。今でもお綺麗だが、イメージは若いころとは変化しているように思う。


 「ネガティブで雑」な人のことはあえて多くは書かない。一点だけ。

『他人には雑で、自分には丁寧に』

という人が多いのがこのカテゴリーの人間で、「アクティブもどき」が多いのもこのカテゴリーだ。そこには出来るだけ関わらなくて済むように心がけている(つもりだ)。

※繰り返すが全てあくまでも個人的意見である。

 少なくとも、自分が誰かの『ネガティブで雑』な人間にはならないようにしたい…、と思う。

 

「ドーナツ」= 『ポジティブ・ネガティブ・丁寧・雑』

「ドーナツの穴」= 本当は、何に対してポジティブで、誰に対して丁寧なのかが問題だ。(もちろん誰には自分も含む)自分も他人も大切に…



今日はここまで。文責 江口
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マスク不足とマスクのポイ捨て

 コロナ騒ぎでマスク不足が叫ばれている。オークションで転売した議員のモラルの問題なども取りざたされている。……という話ではない。


 濃厚接触の可能性が極めて低く、一人での活動で、かつオープンエアなので自粛の必要はないかと思い、「事務所周囲のポイ捨てごみ」はコロナ発生後も続けている。毎週、雨天ではない月・水・金に小一時間ほど活動しているのだが、経済活動を中心に活動量は減っているにもかかわらず、

『ポイ捨てごみの量は減っていない』

ことにびっくりする。ちなみに今日のポイ捨てごみの重量は、1.8キログラム。コンビニのホットスナック系のごみや缶酎ハイの缶など、相変わらずの存在感を発揮している。


 昨今のご時世を反映しているのは、

『マスクのポイ捨て』

だ。おおよそ、3枚〜5枚くらいは毎回見つかる。今日は7枚。


『マスクを買い占めたり、転売したりするモラルの問題は大きく取り上げられる』

が、

『使用したマスクのポイ捨てのモラルの問題は全く取り上げられない』

如何なものか?……とちょっとだけ思う。感染の可能性は低く、安全だとしてもだ…。

ちなみに今日のゴミはこんな感じ。
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今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第12回『自己満足ではなく自己納得』

 『勉強はもっとも勝率の高い投資である』みたいなことを書いていたとある大学の元教授がいた。その元教授によると、その次に率のいい投資は「仕事」らしい…。


 ムダな努力という言葉があるが、ムダをさけた努力ということができるなら、それは努力なしで出来るのでは?と思ってしまう。努力とムダは切っても切り離せないように思う。少なくとも努力の真っ最中に今やっていることがムダがどうか考えているようでは、それこそ努力不足だろう…。
※考えるなら、努力を始めるまえに。やるかやらないかを考える努力をまずすべき。


 とはいえ、努力すれば誰でも結果が出せるわけではない…。むしろ、努力してもなかなか手に入らないものほど努力を要するなんてことも多い。もちろん結果を手に入れるために努力するわけだが、結果の如何にかかわらず、

『自己納得』

のために精一杯努力するという一面もあると思う。


 自分がそれ以上出来ないくらいの努力をして結果が出なければ、不満はゼロではないだろうが、ある部分で納得できることもある。結果を受け入れ、次に進むこともできると思う。これが『自己納得』。


 自己納得に似た言葉に『自己満足』という言葉がある。結果が出ての自己満足は問題ないが、結果が出ていないのに自己満足しているようでは多分成長がない。納得できても、満足はできない部分が残る。それが正しい失敗の受け入れ方ではないだろうか?そのためには精一杯の努力が不可欠である。


 自己納得なら、失敗を糧に出来る。だが、自己満足ならば多分失敗にも満足しているわけだから、成長できない。あるいは努力不足で失敗した自分に言い訳したりするかもしれない…。


 自己納得できるくらいの努力はした方が、いいかも知れない……。

今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第98回『コロナの回復者の数』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第98回は『コロナの回復者の数』


 ニュースでは、コロナウイルスの日本国内の感染者の数と共に、

『回復者の数』

もきちんとアナウンスしている。



 感染者数の情報ももちろん大事だとは思うが、回復者数も大事だと思う。根拠のない楽観は問題だが、根拠のない悲観はもっと問題だ……。

『ポジティブな情報もネガティブな情報も両方フラットに受け取る』

姿勢が大事。


 一番怖いのは、

『ネガティブな情報に蓋をして、ポジティブなふりをすること』


本当に必要なのは、情報がネガティブかポジティブかではなく、正確な情報を基に、ポジティブな姿勢でいること。

『事実を基に、出来ること、やるべきことをやる姿勢』

なんだと思う。


 余談だが、コロナウイルスの影響を配慮して、事務所を借りている大家さんが、『2か月分の家賃を半額』にしてくれた…。ありがたい話だ。日々の仕事を、出来ることをきちんとして、想いにこたえようと思った。
 


 

「ドーナツ」= 『感染者の数』

「ドーナツの穴」= 『回復者の数』  ネガティブもポジティブも、両方おさえ、「事実」を基に出来ること、やるべきことをやる



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第11回『ちょっとしたムリとムダから始まる…』

 コロナウイルスの件で、「感染、流行のピークの高さを下げて、医療機関等の機能がパンクしないようにするために、小中高校の休校は適切である」と最初にマスコミで発言した人は誰だろう?

その後、大勢が政府の「休校の措置」を肯定する方向になったと感じているが、最初に発言した人はすごいと思う。

悪質なデマを流した人を特定するくらいの勢いで、「良い意見」や「良い発言」を最初に行った人も特定して称えてもいいのではないかと、個人的には思う。まあ、そういう発言をする人は、そもそもそんなことどうでもいいと思っているだろうが…。

……

 何かを始めるときにはパワーが必要。車もエンジンをかけたときに多くの燃料を使う。動き始めれば、後は惰性も働くので、パワーは最初より少なくて済む。

『最初はムリする必要がある


 どんなに事前に準備しても、最終的には「やってみない」とわからない。やってみて改善点や修正箇所、なんなら一から作り直しすることも含めて初めてわかることがある。やる前からわかるムダは省くのは当然だが、やってみないとわからない「ムダ」は残る。

『最初はある程度のムダを引き受ける覚悟がいる』


 なんでも最初にやるから価値があるとか、賞賛に値するとは限らないし、「挑戦」を無条件に肯定するわけでもないが、何かを始めるには、何かを始めた人は、意識しているにしろ、無意識的にしろ、

「最初のムリやムダを引き受けている」

ことは間違いない。


 何かが動き始めるとき、それは誰かの『ちょっとしたムリとムダから始まる…』

 最初のムリやムダを引き受けてくれた人に、素直に感謝したい……、と思う。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第97回『日常』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第97回は『日常』


 コロナウイルスで日常を失っている人も多いとは思う。そういった人には出来るだけ援助や協力をすべきだ。それ以上に、

『日常を失っていない人は、出来るだけ日常に近い生活』

をすべきだと思う…。


 今回のコロナウイルスで、『非日常』を取り上げる人は多い。だが逆に現状でも、「ほぼ日常」と変わらない人も多いはずだ。たぶん、誰かに誰かを助けてあげられる余力があるということは、日常に近い生活を送れている人もいるということだ…。


 不足、閉鎖、休校、中止、下落…。こういった情報も必要だとは思う。同時に、こういう時だからこそ

『失われていない日常』

にも注目したいと思う…。


「ドーナツ」= 『日常』

「ドーナツの穴」= 『非常時にも、失われていない日常にも注目したい』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第96回『ミスから学ぶ』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第96回は『ミスから学ぶ』


 就職面接などで、「あなたがこれまでやった大きな失敗と、それから学んだことは何ですか?」と聞かれたことはあるだろうか?もし聞かれたことがあるならば、就職先や相手はセンスがあるかもしれない。…と少なくとも僕は思う。


 逆に自分が面接官で、「得意分野は何ですか?」とか「熱心に取り組んだことは何ですか?」などと聞いたとき、得意分野や取り組んだことだけでなく、それによる失敗とそれをどう乗り越えたかを合わせて答える人はセンスがあると思ってしまう…。


 あることに真剣に取り組めば取り組むほど、失敗は起きる。それは思考や行動量が増えるからだ。

『やればやるほどミスの絶対量は増える』

はずだからだ。もちろんミスそのものの質は変化するはずだし、してほしいと思うが…。
※やればやるほどミスの割合は減る。取り組み始めてからカウントすれば、絶対数は絶対増える。ただし率は減る。そういう話。


 『ある物事に本気なら、必ずミスはしているし、それを乗り越えている』


 書いてしまえば当たり前の話だが、なかなか表に出てこない。それにわざわざ自分から言う人も少ない。だから「ミスをどう乗り越えたか?」を聞き出そうとする人と、自ら話そうとする人はセンスがあるなと思ってしまう…。


 「巧妙な自己開示」に弄ばれてしまうこともないことはないが、それからも学べる自分でいたいとは思う。
 




「ドーナツ」= 『ミス(失敗)』

「ドーナツの穴」= 『ある物事に本気なら、必ずミスはしているし、それを乗り越えている』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第10回『引き継ぎ』

 今、バリバリの現役で、どんなに健康に自信があっても、生涯現役の気概があっても、役割を「引き継ぐ」時期が必ず来る。仕事に限らない。相続もそうだ。事業継承、転職、退職するときには「引き継ぎ」が必須である。


 誰しも「きれいに引継ぎたい」と思うことは多いが、現実的に全く遺恨も何も残らずスムーズに引き継ぐというのはとても困難なミッションである。

『完璧な引継ぎはムリ』

なのかも知れない…。退職時にまったく迷惑をかけなかったこともないし(むしろ迷惑のかけっぱなし)、かけられなかった人も思い浮かばない…。残る人にとって、「退職は絶対に迷惑」なのだ。一個人の退職でそれだけ面倒なのだ。

『多くの人と関わる人ほど「引継ぎは難しい」』

ということには異論はないだろう…。多くの人と関わる機会のある人ほど、それは自覚が必要になる。ここでいう関りとは、別に雇っている人の数とか、部下の数のことだけではない。一般的に

「収入と人間関係の量」

は比例する。人間関係とはほぼ「お客さん」と同義である。お客さんが多いから収入が多い…、当たり前の話だ。だから「自分が誰をお客さんにしているのか?」を知ることは、引き継ぎの観点からも必須になる。


 確実なのは、「引き継ぎ」には、

・絶対にやり残したことが残る

ことと、周囲の人に

・何らかの遺恨は残る

ということである。「公明正大な引き継ぎ」「平等な引き継ぎ」は理想ではあるが、それはムリである。

こちらと相手の公明正大は違うし、
こちらと相手の平等は違う


からだ。では、思い切り偏った引き継ぎでもいいかというとそれも違う。だから引き継ぎは難しい。


 やり残したこと、遺恨が残るのが「引き継ぎ」。だからこそ、

『自分に何らかの決定権、力があるうちに引き継ぐ』

ことが重要である。引き継ぐ準備はもちろん大事。そしてそれと同じくらい大事なのが、

『引き継ぐ時期』

なのだ。動けなくなるまでやって美談になるのは一部のスポーツ選手くらいの話。動けるうちに、まだ力があるうちに「引き継ぐ」。これがムダやムラの少ない、相手にムリをさせない引き継ぎなのかもしれない…。個人的には、

始め方より終わり方の方が圧倒的に難しい…。

と思うのである。
 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第95回『汚職事件とお食事券』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第95回は『汚職事件とお食事券』


 日曜の午後、夫婦のたわいもない会話からそれは始まった…。

関西ローカルのワイドショーがTVでは流れ、コロナに対する政府の対応に対するオピニオンをぶつけ合うコメンテーター…。激論かどうかはともかく、その番組の話題が「政治家の汚職事件」の話になったらしい…。※妻談


 本を読みながらその番組を聞き流していた僕は文脈が分からず、「お食事券」の話だと思って妻から聞いていた…。妻は「汚職事件の話」をしている…。

妻:「汚職事件は良くないよね?」

僕:「何のお食事券?」

妻:「さくらの会とか、森友問題なんかの話みたいやけど…」

僕:「さくらの会って、お食事券があったの?」

妻:「何の話?」

僕:「お食事券の話でしょ?」

妻:「……、お食事券って!!汚職事件やー!!」

……リアルなアンジャッシュコントのような話。



 一対一でも、コミュニケーションは難しい。どちらも『おしょくじけん』で間違えてはいない。とはいえ、

『成り合っていないけど、噛み合っているコミュニケーションは楽しい』

と思えた話である。




「ドーナツ」= 『おしょくじけん(汚職事件とお食事券)』

「ドーナツの穴」= 『成り合っていないけど、噛み合っているコミュニケーションは楽しい』



今日はここまで。文責 江口
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自分だったらどうするのか?(批判する箇所、場所を間違えないようにしたい)

 コロナウイルスに対する政府の対応が、3月2日より劇的に変わる。昨日の夕方から、てんやわんやしているところも多いと思う。


 政府の対応を批判したり、提案したりするのはありだと思う。ただ、少なくともコロナウイルス自体に関して、

「政府の責任」

はない。対応後の起きたことに関しての責任はあるが…。


 言っても「新型ウイルス」である。未知だったものに対する対応だ。どんなに考えを巡らしても、完全な対応などムリだ。必ずモレやミスが起こる。でも、時間は待ってくれない…。


 TVの取材に、「走りながら考えるしかない」と答えた政府関係者がいたと聞く。今回の政府の対応で何らかの問題や不利益を被る人は必ずでる。そういう意味では「絶対に被害(者)の出る」状況での決断になる。


 自分だったらどうするのか?と考えれば、現状でこの件に関して、政府を責めることはしない。もちろん、決断したことに対する責任は明確にすべきだが。少なくとも、政府の決断に対して、

『モレやミス、問題を突っ込むだけの批判』

は出来るだけしないようにしたいと、今は思う。

絶対に正解のない、言い換えれば、

『誰かにとっては必ず間違いになることを決断しないといけない』

というの話なのだから…。



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第9回『ゴールにはムラがある』

 スタートにムラがあるのは事実だ。で、変化の多い時代は、ゴールにもムラがある。

 ゴールにムラがあるとは、「ゴールが予測しにくい」ということを意味している。目標をもって何かをやっていたとしても、その目標そのものが陳腐化したり、なくなったり、まったく違うものになっている…、そんな感じだ。

ある島を目指して旅していたら、島そのものが移動している。なんならラピュタみたいに宙に浮いたりもする…、くらいのイメージだ。※わかりにくい喩えですみません。


 変化が多いとは、変化が早いことでもある。2、3年前に有効だった、流行っていたやり方が全く通用しないなんてことは普通で、どうかすれば、1年足らずで状況が激変しているようなこともある。ドッグイヤーならまだましで、マウスイヤーが普通だ…、という認識の人も少なくない。

……


 いつの時代も変わらないものを法則。その時代にはまったやり方で、ほかに通用しないものを方法(ノウハウ)とすれば、法則を知るべきである。また自分がいま学んだり、取り組もうとしているものが、

「方法(ノウハウ)なのか、法則なのか」

は知っておくべきかもしれない…。


 それでも、自分が取り組もうと思ったことならば、継続的に取り組んだほうが絶対に良い。

『ゴールにムラがあるということは、自分が思わぬところにゴールが見つかる』

ということなのだ。法則に触れていれば、法則を体感することができれば、ゴールは見つかるし、ゴールすることもできるはずだ。人が見つけた法則ならば、人である僕たちが見つけたり、体感したりすることは可能なはずだ。真剣に取り組んでいるならば…。


 『ゴールにムラがある時代には、法則を知る必要がある』

実際はいつの時代も当たり前の話だが…。少なくとも今、取り組んでいること、考えていること、人生を賭けようとしていることが、

『法則に従っているのか、単なる方法(ノウハウ)に沿っているだけなのか』

を思索する時間はとったほうがいいかも知れない。……とノウハウコレクターの僕でも思う。


今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第8回『(人生の)スタートにはムラがある』

 人生はスポーツではない。スタートがすでに違うのだ。これに異論がある人はいないだろう。ひとそれぞれ生まれた環境が違う。


 環境だけでない。生まれ持った個性、才能にも差がある。これもスタートが違う原因になる。才能も人それぞれ違う。


 人生のスタートにはムラがある。これは事実である。環境の面からみても、才能の面からみてもそうである。機会は平等に…、とは思うが、最初の「入口」は残念ながら違うし変えられない。ただしそこからは選べる…。もちろん選択による難易度はあるにしても…。


 人生のスタートにムラがあるとは、「生まれた時代」も選べないことを含んでいる。スマホが、生まれたときからある世代と、ワイヤーにつながれた電話が普通に使われて、パソコンがまだ珍しかった時代の世代とは、明らかに差がある…。情報に対する感度というか、対応する速度が全く違うのだ…。

逆に、日本の人口が増え、内需が活発だった時代、早い話が経済成長している時代に生きてきた世代と、経済成長が鈍化している時代に生きている世代の経済格差も厳然と存在している。※年金制度などは、基本的に後に生まれた世代ほど確実に損である。


 選べないことをいつまでも考えたり、悔やんだりしても仕方がない…。時間は選べること、未来に使うべきである。少なくとも、

「これから自分がやること」

は選べるのは事実なのだから…。



 『(人生の)スタートにはムラがある』

これは受け入れたほうがいい。だが、スタートしてからどうするのかは選べる。もし自分が今苦しい状況にあるとき、スタートの問題はもちろんあるが、選択の問題、選択してからの行動の問題も忘れてはいけない。スタートのムラだけに全ての原因を押し付けるには、ちょっとムリがある。


 『(人生の)スタートにはムラがあるが、それを起きたことの原因のすべてにするにはムリがある』

変化の大きな時代は、ゴールにもムラがあるのだが、それはまた次回…。
 


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第94回『っぽい・っぽさ・らしさ』その3

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第94回は『っぽい・っぽさ・らしさ』その3


 『僕らは、「っぽい」から卒業して、次の「っぽい」になっていく…』

子供に向かって、「子供っぽい」とは言わない。大人に向かっても「大人っぽい」とは言わない。そうでないものに対して、それらしくないこと、それらしくないものであることに対し「っぽい」を使う…。

「っぽい」を使われる側は、より境界に近い存在である。子供と大人で言えば、

子供寄りの大人
大人寄りの子供


に対して「っぽい」は使われる。年齢的に大人であっても、境界を越えてしまった大人は、もはや子供である。「っぽい」は使われない。


 「っぽい」という表現は、まだなれない、あるいは、もう戻れないものに対する憧憬やノスタルジーの感情も含んでいる。そう、「っぽい」には、

・自発的になりたいと思うもの
・自分の意思と関係なく、時間の経過とともにならざるをえないもの


に対する思いがある。子供のころ、早く大人になりたいと思った人は少なくないはずだ。逆に、こどものころはよかったと思う大人も少なくないはずだ。大人になっても、大人と子供の境界周辺は覚えている。子供の頃は、成長とともに大人と子供の境界周辺が見えてきたはずだ…。


 自発的に次の「っぽい」を求めている人は若々しく、時間の経過とともに次の「っぽい」に移行させられる人は老けていく…。そんな印象がある。生物は基本的には必ず老ける。それは望む望まないにかかわらず、生老病死の中で時間は無常に過ぎていくだけだからだ。

子供が早く大人になりたいと思うときは、時間の流れと意思が同じだから、子供が老け込むことはない。大人が若いままでいようとするとき、時間の流れと意思が逆だから、何か、ある種の痛々しさが伴う。子供なのに大人になりたくないと思うとき、これまた時間の流れと意思が逆だから、不都合が生じやすい…。


 時間の流れを受け入れながら、次の「っぽい」を求めていく…。自発的であることが「若さ」や「元気」を保つことの第一歩だと思う。環境を整えたところで、それらに対し受動的であるならば、人は時間経過以上に早く「老いて」いく…。


 「っぽい」とは境界にいる人に対し使われる。人によっては「っぽい」と誰かに言われるとき、それは何かへの「移行期」なのかもしれない…。移行するとき、自分の意思で、

・次の「っぽい」を目指しているのか

自分の意思と関係なく、時間経過で

・次の「っぽい」にならざるを得ないのか

それが大きな違いになる。





「ドーナツ」= 『子供っぽい』

「ドーナツの穴」= 『子供に子供っぽいとは言わない。だってまだ子供なのだから…。』
by今野 浩喜


今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第93回『っぽい・っぽさ・らしさ』その2

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第93回は『っぽい・っぽさ・らしさ』その2


 お客さんが、送り手、作り手が「本物」としているものを「本物」とするかは全く別の話である。お客さんが「本物」だと思うものが本物である。

「リアルファー」と「フェイクファー」

「リアルレザー」と「フェイクレザー」


を想像するとちょっと面白い。当たり前だが、本物は「フェイク」の付いていない方である。一昔前は、「フェイク〇〇」はチープで格好悪いイメージだった…。

エコや動物愛護がCoolとされる昨今、リアルファー、リアルレザーが「格好悪い」「意識が低い」とされることも多くなった。

『フェイクが本物≒お客さんが求めているもの』

に変化しているのである。


 フェイクとは、いわば「本物っぽさ」を追求したもの…、しょせん偽物…、というのは作り手、送り手側の見方である。


 「使い勝手」「使いたい」あるいは、

『使いたくないものを使っていない』

そんなお客さんの気持ち、意識をきちんと拾えたものが、本物になっていくんだと思う…。

『っぽい、っぽさ、らしさ(の方)が求められる、本物になる場合もある』


 作品なのか、商品なのか…、お客さんが求めているのは商品だ。商品とは、お客さん自身の「自分のこだわり」を満たすもの。

作り手は作品が売れているのではなく、作品がお客さんの「こだわり」を満たす商品になるから売れていることを知る必要があると個人的には思うのである。



「ドーナツ」= 『本物っぽい』

「ドーナツの穴」= 『っぽい、っぽさ、らしさ(の方)が求められる、本物になる場合もある』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第92回『っぽい・っぽさ・らしさ』その1

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第92回は『っぽい・っぽさ・らしさ』その1


 お客さんは、初めて何かを買ったり、初めて何かのサービスを使う時、

「っぽさ」

で判断している。

・本物っぽい
・良さげ
・効きそう
・使えそう
・おいしそう
……

現実に本物かどうか、良いものかどうかは「実際に使ってみないとわからない」。
だから、人は皆最初何かを選ぶとき、

「っぽさ」

で判断している。


 使ってもらうには「っぽさ」を磨く必要がある。だからセルブランディングや「見せ方」の書籍やセミナーなどがたくさんあるわけだ。

『本物だからではなく、本物っぽいからお客は選ぶ』

このことは少なくとも選ぶという行動の入口では間違いないことだ。


 本物である人ほど、本物っぽさも追及する必要がある。きちんと

「相手が感じる本物っぽさで!!」

面白いことに偽物っぽいことやものほど「本物っぽさ」を徹底的に追及している。特殊詐欺の電話対応のプロトコルなどを、きちんと分析し、ちゃんとした「本物を提供する会社」が参考にすれば、素晴らしい商品やサービスが世の中にもっと広がるかもしれない…。※きちんとした会社ならちゃんとしたプロトコルがすでに存在するだろうが…。


 『本当の本物なら、「本物っぽさ」にもこだわっている』

 本物なら伝わると思うのは、本物の驕りか勘違い。今の時代は、本物ほど「本物であること」を丁寧に伝える必要がある。※とはいえ、偽物がばれやすくなった時代でもあるわけだが…。現在の問題は、情報が早く伝わりすぎて、真偽がわかる頃には、かなりの被害が出てしまっている場合も少なくないことだと思う。


「ドーナツ」= 『本物っぽい』

「ドーナツの穴」= 『本物が「本物であること」を伝えるのをおろそかにしがちで、偽物っぽいことやものが「本物っぽい」ことを伝えるのに本気だったりする』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第7回『ムダを減らすためのムダ』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


参考文献はこちら↓


☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第7回は『ムダを減らすためのムダ』

 「道に落ちている一円玉を拾うコストは一円以上だから拾わない方がいい」

とか

「一円玉を作るのに、一円以上のコストがかかっている」

なんて話がある。今日はそんな話から始める……。何かをやるには必ずコストがかかる。それは、「ムダを省く」「コスト削減」をやる時も同様だ。

……


 あなたの職場、

「コピー用紙の裏紙、使ってますか?」

それは地球環境の為だろうか?コスト削減のためだろうか?スタッフ教育の一環だろうか?……。
目的はいろいろあるだろうが、多くの会社は「コスト削減」あるいは「コスト意識の醸成」の為に使っていると思う。


 ここで、素朴な疑問、

「コピー用紙の裏紙を使うことが、コスト削減やコスト意識の醸成の役にたっているのか?」

というのが浮かんでくる。あなたはどう思うだろうか?


1.裏紙を使うコストを考える
裏紙1枚を使って削減できるコストは、新しい用紙1枚分。これは多分そうだ。で裏紙を使う為のコストには、

・裏紙をストックする場所。
・使うときに裏紙か新しい用紙かを選択する時間。
・裏紙を使うためのルール(使ってもいい裏紙とシュレッダーにかける裏紙の選別など)
・裏紙をメモ用紙として適度な大きさにカットする作業時間(これは会社にもよるだろうが)
などなど……少なくとも

『作業や管理するための人件費』

が裏紙を使う為には余計にかかるようになる。新しい用紙を使うだけなら、選別したりルールを決めたり、裏紙をストックしておく必要などない。

仮に裏紙を使用するために、時給1000円のスタッフが週3回一日30分だけ作業をしたとしよう。
そうすると年間に7万円強の「人件費」がかかることになる。

『裏紙を使用するために、7万円/円以上の人件費が必要』

だともいえる。さて、この7万円。A4のコピー用紙なら、どのくらいの枚数になるか?仮に500枚250円だとすると、14万枚となる。つまり、

『年間に14万枚以上の新しいA4用紙を使わずに済むなら、コストは削減できている』

ということになる。週1回一日30分だけだとしても、4万枚以上削減できないとコスト削減の効果はないという計算になる…。あなたの会社はどうだろうか?そもそも自社が年間どれくらいの用紙を使うか、知っている人は案外少ない……。

※計算はあくまでも例である。


2.コスト意識の醸成を考える

裏紙を使うことの意義を説明しているだろうか?あるいは説明されたことがあるだろうか?
「裏紙を使う」ルールだけを説明していないだろうか?説明されていないだろうか?

「裏紙を使うことになっているから使う」

という状況で、コスト意識が醸成されるだろうか?

『コスト意識を醸成するためのコスト』

をかける必要があるのだが、それをかけている会社がどれくらいあるだろうか?……


 裏紙を使うというのは、あくまでも例である。

『ムダを減らすためのムダ(コスト)』

も意識する必要があるようだ……。


 最後に断っておくが、今回の記事で「コスト削減」、「裏紙を使うこと」を否定しているわけではない。あくまでも、「裏紙を使うにもコストがかかる」ということを言いたいだけだ。なお、文章内の計算はあくまでも試算であり、その通りのコストがかかるということではない。


今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第6回『ムリしていることが分かっているならまだまし』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


参考文献はこちら↓


☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第6回は『ムリしていることが分かっているならまだまし』

 自覚的にムリ出来ているならば、まだそれは本当にムリしているわけではないかもしれない…。瞬間的なムリで、まだ長期的には修正ができるからだ。※まあ、長期的なムリが祟って…、なんてことは結構耳にする話だが。……ということは今日の本題ではない。


 『ムリを自覚できるとはどういうことか?』

という話である。怖いことに仕事や日常では、「ゴール」「終わり」が見えにくいことも多い。何なら、相手の都合や環境の急激な変化で急にゴールが変わる…、なんて経験、よくある話だ。ただ、

『ゴールが分かっていれば、自分のペース配分を考えることができる』

ともいえる。つまり何となくであっても、

『仕事や日常のゴールが見えれば無理がきく』

ということである。


 もちろん、急激な変化があればゴールは変わる。だが、余程のことがない限り、ある程度のゴールは見える(と思って僕らは生きている)。※今回のコロナウイルスの問題は、余程のことになる人も結構いるかもしれないのがちょっと気がかりである。


 ゴールが見えずに迷うこともある。ゴールが見えない理由は周囲の変化だけの問題ではない。

『そもそも、参加した競技(仕事、人生など)が何なのか、わかっているだろうか?…』

100メートル走のつもりで参加したら、実はマラソンだった…。こう書くと結構滑稽に思う人もいるかもしれない…。陸上やスポーツならわかりやすいが、仕事や人生では笑えないことが起きる…。

『100メートル平泳ぎのつもりで参加したら、実はアーティスティックスイミングだった』

とか、

『サッカーのつもりで参加したら、実はラグビーだった』

なんてことが普通に起きる…。いや、起きている…。いやいや起こしてしまっている……(こともある)。


 中には競技が違うことに気付いて、その競技を辞める人もいる。だが時々競技が違ってもそのまま対応できるスーパーな人もいる。もちろん僕はスーパーではない凡夫だ。誰もが気づいた時点で辞めてもいいし、対応してもいい。ただできれば、

『早めに自分が参加している仕事(人生)の競技は何なのか?』

は知っておくほうがいいし、もし周囲に知っている人がいるならば、できるだけ早く、その人が

『参加している仕事(人生)はどんな競技なのか?』

は伝えたほうがいいかもしれない…、と思う。


 『ムリがムダにならず、身になるのは、そのムリの意味を知っているからこそ』

なのだから…。
少なくともそう思えることが必要だろう。何かを続けるには。

 
今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第5回『ムラが魅力になる』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


参考文献はこちら↓


☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第5回は『ムラが魅力になる』

 気分にムラのある人とは仕事がしにくい…。なんてことを聞いたりする。一方でプライベートなどでは「遊び心」のない人を面白くないといったりする。「遊び心」とは余裕であり、ある種のムダであり、オフィシャルな場面との差、つまり「ムラ」があることを是としている状態である…。


 人生サイズで考えれば、自分がそういった生き方をしたいかどうかはともかく、

「ムラのある人生」

を他人には望む。浮き沈み、場合によっては沈みっぱなしの人生を他人には望む。小説やテレビドラマ、今受けてたり注目されている人のエピソードを思い浮かべればそれは明確だ。

『浮きっぱなしの人生のドラマ』

というのが成り立つのは、浮き方が半端じゃない人だけだ…。ただし、それですらエピソードには必ず、

・失敗
・挫折
・苦労

の話を混ぜる。なんなら無理矢理にでも混ぜないと、そもそも他人はその人に興味を持たない。

『生まれてから死ぬまで大成功、幸せだったというエピソード』



『生まれてから死ぬまで不幸のどん底というエピソード』

という話を聞くことがないのはその為である。
※そういう人も必ずいるはず。まあ、成功や幸せの定義にもよるが…。

『ムラに人は魅かれるのである』


 ムラの無い人生を送れる人はまずいない。で、ムラのある人生をドラマティックだと人は思う。だから、

『ムラが魅力になる』

わけである。ただし、ムラが魅力になるのは「沈んだ状態」を乗り越えた場合のみ。ダイヤなどの宝石も磨かないと光らない。人の不幸は蜜の味…、なんて言うが、ひたすら不幸なのはドラマでも気持ち悪い。ホラー映画やサスペンスでも一時的に「ほっと」する場面を挿入する。そしてさらに「沈む」方向にいくのがホラーなのだが…。

『禍福は糾える縄の如し』が、人生でのある種のムラを生み、人の魅力を生む……、と思う。


 とはいえムラには、自分自身でコントロールできるものと、自分ではどうしようもないものがある。自分自身でコントロールできるものでも、「あえて怠惰に、あえて大失敗」するような人も世の中にはいる。ただし、その人たちがそのままでいることはない。必ず乗り越えて、あるいは最初から乗り越えるつもりである種の「企み」をもってやっている…。

それは『ムラが魅力になる』ことを知っているからだ…。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第91回『混ぜるな危険!!は混ぜたやつがいるからわかること』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第91回は『混ぜるな危険!!は混ぜたやつがいるからわかること』


 毎朝の習慣として、「豆乳カフェラテ」を飲んでいる。当然ながら、コーヒーと豆乳を混ぜている。

僕の習慣はともかく、人は経験的に混ぜた方がおいしいものがあることを知っている。というか、とかく人は混ぜられそうなものは『混ぜたくなる』ようである。先週も市販の「鍋の出汁」をミックスして自分独自の味を出す…というようなTV番組のコーナーが放送されていた。調味料に詳しい小学生が、ある料理用の「たれ」に海外の調味料を足してさらにおいしく…、なんてことを紹介するようなものもあった。

『混ぜてあるものをさらに混ぜる』

性というか癖というか…、調味料を混ぜることが話題になるくらい、平和なんだと思う。
※一方で、「隔離」の仕方が問題になっていることの方が、連日ニュースのトップになっているが…。

……

 話を本題に戻そう。混ぜるな危険!!は混ぜたやつがいるからわかること。成分がわかっていれば、最初から混ぜないのでは?という反論もあるかもしれないが、そもそも、

『毒にも薬にも、得にも損にもならないようなことは、人は分析したり、調べたりしない』

ものである。危険なことがあったから分析して、わかるようになった…。というのが正しい因果だ。でまだ知らない、分からない人に対する注意が、

『混ぜるな危険!!』

なのである。


 混ぜられそうにないものについては、基本人は混ぜない。それは経験則でも事実に基づいた話でもない。

「混ぜたら危なそう」

だと思うから混ぜない…、そういうことである。
※もちろん、生命にかかわるようなことならば、「基本は混ぜない」を否定はしない。


 一方で、一部の知識や経験のある人、フラットな視点から物事を見る人たちは、「混ぜる前から排除する」ということはあまりしない。もちろん、混ぜる前に知りうることは徹底的に調べたうえで、「混ぜる」ことも選択肢に常にある。だから、そういう人は新しい発見をする可能性も高い。そういうことである。

分かっていることについては、「混ぜるな危険!!」は正しい。

分かっていないことについては、『「混ぜるな危険!!」の方が危険!!』

の場合もあることはどこか片隅に置いておくべきだ…、と思う。


 未知の事について、「混ぜればいい」とか「混ぜなきゃいい」という単調な議論ではなく、混ぜることも選択肢として排除しない…。その上で慎重に混ぜたり、混ぜずに分けたりする…。そういう姿勢が大事なんだと思う。


 料理でも、自分好みの味を探すとき、調味料は「ちょっとずつ」足す(混ぜる)はずだ。いきなり「ドーン」と足す人は少ない。そういうものである。ただ、足さない(混ぜない)限りは自分好みに味になることはない…。


「ドーナツ」= 『混ぜるな危険!!』

「ドーナツの穴」= 分かっていないことについては、『「混ぜるな危険!!」の方が危険!!』の場合もある…



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第90回『犬のフン』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第90回は『犬のフン』


 ガーボロジー的な話である。「ゴミに出る個性、本質」といったところか。大学に通っていたころ、「学部ごとのごみ箱に個性はあるのか?」みたいなことで、ごみ箱の動画を撮影しては分析したという記憶がある。もう遠い昔の話……。


 先に断っておくが、「アマチュアゴミ拾いヤー」の僕が最近ゴミ拾いをしている事務所周囲の話ではない。あちこち見て回った、主に関西、近畿周辺の一部の傾向の話である。

……

 実は、ポイ捨てごみの量は、季節や時期、天候の影響を受けて結構変化する。さらに言えば、「ボランティア」活動している人がいれば、結構ごみの量は少なくなったりする。ところが、変化の少ない「ゴミ」がある。それが、

「放置された犬のフン」

である。これは、結構残っている。というかボランティアの人でもなかなか拾う人は少ない。逆に他人の飼い犬のフンを拾っている人には本当に頭が下がる…。


 犬の散歩は定期的に行う。だから、定期的に「フン」が出る。なので、放置されている場所には明らかな傾向がでる。さらに言えば、自宅の周囲で基本犬の散歩はする。よほどこだわりのある人でない限りは、

『毎日、遠方で飼い犬の散歩をする人というのはまずいない。』

つまり、

『犬のフンでそこに住んでいる人のモラル』

も透けて見えるのである。まあ、当たり前の話だといえばそれまでだが…。地域の軽犯罪率などとはおそらく相関関係がある可能性が高いと個人的には思う。「犯罪にわざわざしない罪」がもしデータが取れるなら、もっと関連があるだろう。

『これくらいならいいか…、の塊が「放置された犬のフン」』

なのだから…。


 「どんな町か?」が犬のフンからも透けて見える。噂や印象レベルではなく、事実としてそこに存在しているし、「住む町」をもし探しているなら、そういうところは避けたくなるのが人情ではないかと思う。


 大都会では、放置された犬のフンは少ない傾向が強い。田舎でも放置された犬のフンは少ない傾向が強い。では、どんな町が多いのだろうか?ここでは詳細は書かないが、自分が住んでいる街が好きなら、犬を愛するように街を愛して欲しいと思う。


 『自分以外の人が、自分の街を愛してくれるようにするのが地域活性化の第一歩』

なんだと思う。そして今日もちょっとだけでもゴミを拾おうと思う…。


 


「ドーナツ」= 『犬のフン』

「ドーナツの穴」= 『放置された犬のフンは、その地域の状況をよく表している。フンそのものは犬の所業。それを放置するのは、人間の所業。』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第4回『ムリと無謀と無鉄砲』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


参考文献はこちら↓


☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第4回は『ムリと無謀と無鉄砲』

 何かを会得しようと思えば、ムリ≒負荷を自分にかける必要がある。ムリしなくても会得できること?(日本語的におかしいが)は、すでに会得していることなのに、会得していることを知らなかった、失念していただけ…、といった類の話になる。


 ここで微妙になってくるのが、

『ムリ≒負荷をかけても、会得出来ないものがある』

ことである。そういうものに賭けたムリを周囲は『無謀』といったりする。
これから僕がプロのクライマーを目指す…、といったら家族はきっと『無謀』どころの騒ぎではないだろう…。

 
 ムリと無謀の境目は明確には存在しない。ただ、無謀に近づくにつれて、

『ムリにムダの要素が増えていく』

のは間違いない。
しかもそれがムダかどうかは本人にはわからない状況で…。面白いのは、報われればムダがムリになる。報われなければムリがムダになるという構造だ。結果で行動の意味が変わる。

『最終的には結果でしか、行動の意味は判断できない』

ということである。ムダになるかもしれないムリを積み重ねられる人にしか可能性はない。一瞬の感情で始めたムリで結果の出ないムラのある行動を見て、人は『無鉄砲』と呼ぶ。※当然ながら、『無鉄砲』な行動の多くはムダな徒労に終わる……。


 繰り返すが、

『最終的には結果でしか、行動の意味は判断できない』

のは事実である。ところが、

『どこを結果とするのかは、結構選べたりする』

のも事実なのだ。実験の途中経過とか、失敗が新たな発見になったりすることもある。好きなこと、続けられることなら、ひょんなことから結果が出て、「ムダがムリ」になり、報われることがあるのもまた人の生なんだと思う。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第89回『お客さんが違う』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第89回は『お客さんが違う』


 同一労働同一賃金という言葉がある。これは「同じ仕事なら同じ賃金」ということ。何故同じ仕事なのに給料が違うのか?それは問題だ!!ということで、改革しようということだ。これには異論はない。ただ、同一労働同一賃金が是ならば、

『仕事が違えば、賃金も違って当然だ

ということも是となる。何当たり前のことをいっているんだ?と思う人もいるかもしれない。さて、あなたの職場で、

『仕事(量)が全く違うのに同じ賃金』

なんてことはないだろうか?むしろそれが普通ではないか?社歴や年齢、見えない貢献度等々……、

『不同一労働同一賃金

も普通にあったりする…。むしろこちらの方が根深い問題なのではと個人的には思う。

……

 ということに不満があるという話ではない。「お客さんが違う」という話だ。そもそも賃金や報酬は「お金を払ってくれるお客さん」がいるから発生している。そのお客さんを意識しない仕事の話は片手落ちなのだ。

『そもそも、職場の同僚であっても、お客さんがあなたと同じとは限らない』

その事実に気付いているだろうか?同僚でもお客さんが違うのだ。当然、

「職場の上司とあなたではお客さんが違う」し
「職場の社長とあなたではお客さんが違う」し
「同じ職種、資格でもお客さんが違う」のが当たり前…


『誰をお客さんにしているのか?』

それが賃金、報酬≒収入の違いの正体だ。労働ではない。お客さんが違うから収入が違う。
そういうことなのだ。


 ドラッカーも、『企業の目的は「顧客創造」』なんて書いていたりする。若干ニュアンスは違うが、

『誰をお客さんにするか?』

がポイントになるのは間違いないということだ。


 周囲が、

『誰をお客さんにしているのか?』=『誰(何)から収入を得ているのか?

に注目すると、今まで見えていないものが少し見えてくるのかもしれない…。


「ドーナツ」= 『お客さん』

「ドーナツの穴」= 『労働の違いが収入の違いを生むのではなく、お客のさんの違いが収入の違いを生む』



今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第3回『多様性とはコントロールされたムラである』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


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☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第3回は『多様性とはコントロールされたムラである』

 ある集団に多様性があるということは、その集団にはムラがあるということ。そのムラを許容するには、ロス≒ムダを覚悟する必要がある。

『集団の目的』
『集団に属する個人の目的』


がムラがあればあるほどばらつきがあり、すべてのリソースがある方向に向いているような、統一性の高い集団に比べればどうしてもムダが出る…、ということになる。


 ムダがある組織が、そのムダを抱えたまま維持されるには、何らかの努力≒ムリをする必要がある。それが実際の作業レベルの話から、組織、多様性を担保することの意義、理念を共有するところまで、

『誰かの努力』

なしに成り立つことはない。先導者の強烈な個性であったり、集団の構成員の地道な努力であったり…と、とにかく一定量以上のムリが必要になる。で、そのムリがきかなくなったところから集団は崩壊が始まる。それはその集団の多様性が高ければ高いほど、より顕著に表れる傾向になる。


 多様性のある集団を維持するには、そのムリを継続する必要があり、そのためには

「ムリをムリと思わない価値観」



「ムリを継続できる仕組み」

が必要になる。多様性があることが善であり、多様性を維持するためのムリは必要で、そのムリを引き受けた人が何らかの形で評価される…、とざっくり言えばそんな感じのことだ…。


 ここで、ある疑問が生じる。さて、その集団の「多様性」を善と判断したり、構成員を評価する人がいるとして、その組織は多様性があるといえるだろうか?その人の志向性や価値観に縛られる可能性はないだろうか?ということで、いわゆる「仕切る人の価値観に応じた、ある種『偏った多様性』のある集団」が「多様性のある集団」の正体ということになる。
※その偏りの是非、偏りがあること自体の是非はここでは問うていない。


 多様性を否定しているわけではない。多様性のある集団の特徴を考えているだけだ。集団の中での、真の意味での多様性とは、「コントロールされたムラ」で、意識的にしろ、無意識的にしろ『コントロールできない、関りたくないムラを排除して成り立っている』という事実があるということだ。


 多様性とは、コントロールされたムラである。という前提にたって、どのようにコントロールされているのかを知った方がよい。何を受け入れ、何を排除しているのか…?それがその集団の多様性の「個性」になっているはずだから…。


 
今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第2回『AIはムダだらけ?』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


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第2回は『AIはムダだらけ?』

 AIは賢いのか?と尋ねられれば、「そうでもない」と思う。ただ、

・記憶
・計算速度


については、人間の比ではないのは事実だと思っている。50の齢が見えてきて、自分の格段に劣化した記憶と計算能力の低下を思えば、「AIってすごいな」と純粋に思うこともある…。

「何を記憶させ、どんな計算をさせるのか?」

それがAIを使うヒトの感性や才能を問われる時代になっていく…。


 さて、AIはムダだらけ。AIの使い方はいろいろあるだろうが、その主なものに、人が一つ一つやっていたらきりがないことを、

「片っ端から計算させる」

ことに意味があると思っている。人が感覚的に無駄だと思っていることであっても、実際計算してみて、壁にぶち当たってみたら、実はそこに「新しい答え」が見つかったりする。

将棋の奇手、新手の多くは、AIが見つけることが結構あると聞く…。

「ムダの先に、新奇の何かが見つかる」

それがAIの価値ある使い方の一つだと思う。


 ムダを制御し、効率を高めることにもAIは使われる。それはある種多くの「ムダ」を、ものすごいスピードで経験して、それを記憶しているから出来ること。


 経験は積み重なるものであるが、同時に経験があらたな発見を阻害することもある。

新しい発見には、ムダかどうかを「出来るだけ」早く経験、あるいはシミュレートすることが必要。AIはそれを辛いと思うことはないだろうが、もし人間なら、なかなか過酷なことになる。

「シンギュラリティ」

なんて言葉も聞くが、「ムダだらけ」を引き受けてくれているAIを思えば、何となく「感謝」の気持ちがわいてきたりもする。

『ムダの先に新奇がある』

一直線に答えに辿り着けるほど、人は賢くはなれない…。AIが間違いを、ムダを引き受けてくれている…。

 
今日はここまで。文責 江口
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ムリ・ムダ・ムラ 第1回『プロの仕事にはなぜムラが少ないのか?』

 動物占いというものが流行った時期があった…。個性心理学という名称で呼ばれることもある。

その性格分類の解説の中で、「太陽グループ」「地球グループ」「月グループ」という3分類があった。3分類の特徴の一つに、

「太陽グループ」=ムラがある
「地球グループ」=ムリをする
「月グループ」=ムダが多い


というものがある。動物占いの科学的信ぴょう性は一旦脇において、このムリ・ムダ・ムラの切り口は面白いと感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけである……。


参考文献はこちら↓


☆☆☆ここまでは前置きです☆☆☆


第1回は『プロの仕事にはなぜムラが少ないのか?』

 様々な業界でプロがいる。プロであることの条件はいろいろあるだろうが、彼らの仕事には本当にムラがない。常にどんなコンディションでも一定の結果以上のものを残している。だから仕事の依頼が途切れない。任せて安心。それがプロの仕事だと言える。


 ではなぜプロの仕事にはムラが少ないのか?これをムリ・ムダ・ムラの観点から考えていこうというのがこの記事の趣旨である。


 プロの仕事にはムダがない。だが、プロがムダなことをしていないかというとそうでもない。相当ムダなこともやっているはずである。むしろ

『その業種や業界、仕事で誰よりもムダをやってきている』

からこそ、ムダを削げるようになったのである。ムダも含めた『経験値』の量がプロをプロたらしめている。適切な例かはわからないが、石田純一さんのモテ伝説が話題になったとき、石田さん本人が、「僕は誰よりもフラれているからモテるんですよ」という内容の話をされていた。それに近いと思う。

『ムダ』≒『経験値』の量


 同時にプロの仕事の質は高い。それは無理をして実力をつけてきたからだ。

『ムリ』≒『負荷』の量

である。無理をしながら、学び力をつけているから、質が高くなる…。至極当然の話。だから、プロは仕事には没頭するが、「全身全霊」でやっているかというと必ずしもそうではない。もちろん、全身全霊で無理をしてきた結果が「質」になり「力」になっているのだが、ムラのない仕事ぶりだと素人が判断するレベル位の場合、

『プロは全力を出す必要は必ずしもない』

のである。


 ムダを経験し、ムリをすることで、プロの仕事は「ムラ」がなくなる。プロの見えないところでの『経験値』と『研鑽』にただただ、頭が下がる…。

 
今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第88回『トマト』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第88回は『トマト』


 トマトの糖度は水分量を少なめにすると甘くなる。ただし、水分量が少ないから小さくて「固め」のトマトが出来る。好き好きにもよるが、

『甘いトマトを食べたいなら、やや過酷な環境で育った、いやその中で生き残ったトマトを収穫すべき』

ということになる。一方で、徹底的な品種改良、肥料などの工夫で、甘いトマトが開発されたりもしている。

『徹底的に、手をかけ、手間をかけ、環境を整えることでトマトは甘くなる』

とも言える。

……

 会社などの組織内での「スタッフ教育」はトマトの糖度をどう上げるか?にちょっと似ている。

『過酷な環境』≒『教育コストをかけない方向』で、自ら成長した人だけが組織に残っていくという教育?スタイル

『徹底的にかかわる』≒『教育コストを存分にかける方向』で、関わったより多くのスタッフを成長させ、人を多く残すという教育スタイル


 実際はそんな両極端なケースは少なく、その間で揺れ動いたり、試行錯誤を繰り返している組織が多いと思う。どちらが正しいとかはたぶんない。そもそも

『かけられる教育コスト』

によって選択の幅が違う。コストがかけられない場合、基本的には前者によっていくしかないからだ。


 過酷な環境で生き残った人は、環境に対する帰属意識は当然低い傾向になる。

『自力でやった、やり遂げた感』

が強くなるからだ。比較的給料が高く、流動性の高い業種、業態の多くがそれにあたると思う。


 当たり前の話だが、教育に熱心に見える組織ほど、給料は低い傾向になる。なぜなら、確実に教育にコストがかかるからだ。逆に

『教育に熱心で、給料が高い』

会社や組織や業界があるならば、そこには絶対飛び込んだ方がいい…。


※いかにコストをかけずに、スタッフ教育をうまくやって、組織を発展させるか?それが経営手腕だ。…という話もあるが。


 『甘いトマトを得るのは、甘くない』

昔食べていた、大きくて糖度の低めのトマトの味を懐かしく思う…。


「ドーナツ」= 『トマト』

「ドーナツの穴」= 『甘いトマトが育つ条件は甘くない。トマトにとってシビアか、トマトを育てる側にとってシビアか…。と、いうことなのかもしれない。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第87回『映画』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第87回は『映画』


 アカデミー賞の話題に引っ張られている僕です。

アカデミー賞以上に、個人的には「オンリーユー、愛されて」以来の大沢たかおファンなので、「AI崩壊」には、興行的にも頑張ってほしいと思っています。※アカデミー賞には関係ありませんが……。

……

 
 さて、ハリウッドの大作映画に限らず、『映画も投資の対象』になっています。映画を作る側からすれば、資金を調達することが目的、映画に投資する側からすれば、『映画で利益を得る』ことが目的になります。

一般的に映画を投資としてみている人の多くは、映画のプロではありません。だから、脚本を見せられても、その映画がヒットするかどうかはわからないということになります。


 『投資家にとっては、映画がヒットしそうか?それで利益が出るのか?』

が知りたいということになります。だから映画を作る側は、それがわかりやすい作品をプレゼンすることが増えていくわけです。ということで、

 『原作のある作品、あるいはヒットした作品のリメイク』

がどんどん増えていくことになります。
オリジナルの脚本は投資としては「リスクが高い」と判断されます。だから、オリジナルの作品は制作されにくいことになります。これが映画業界の状況です。だから原作を多くもっている会社が強くなる傾向が見て取れます。

『マーベルとディズニーが業界で強い理由の一つが原作を多く持っているから』

だということです。映画は投資です。大きな利益も大切ですが、より確実な利益を求める側面もある。だから、「より確実な利益」が出る可能性が高いほうに意思決定が流れやすくなるのです。


 もう一つ面白いことがわかります。投資を募るということは、投資家の影響下にあるということです。ですから、脚本やキャスティングにもその影響が色濃くでます。特にハリウッド系ではそれが顕著です。

・映画の主な撮影場所
・出演者


これを見れば、その作品の「出資者」が見えるということになります。逆に言えば、「どこの国が今、勢いがあるのか?」なんてことも映画でぼんやり見えたりもします。
※日本での配給は本国よりも遅いことも多いので、情報としては若干のタイムラグもあるでしょうが……

 
 そんなわけで、「オリジナル脚本」の映画は非常にヒットが難しいどころか、そもそも

『制作されるのが大変』

な時代になっています。前述の「AI崩壊」はオリジナル脚本。そういう意味でも頑張って欲しいと思います。


『映画も投資対象。良い作品を作る以上に、作品を出資者に理解してもらえないとそもそも作品を世に出せない』

ということなのです。


「ドーナツ」= 『映画』

「ドーナツの穴」= 『映画も投資対象。作品の質の前に、作品を理解してもらえないとそもそも作品は世に出せない』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第86回『口説き文句』その2

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第86回は『口説き文句』その2


 口説き文句の成否は、「口説き文句を言うまでの準備と演出で決まっている」と痛感している僕です。

……

 さて、誰かを口説くときには、準備して万全を期した方がいい…、という話にしたいのではない。ありありと演出されたシチュエーションで口説かれたら、「かえって身構える」なんてことはあなたにはないだろうか?

……


 いずれ書こうと思っているテーマの一つに「加減」というものがある。組織を批判するとき、「ぬるま湯体質」だといって批判する人がいる。ぬるま湯だと思うなら、

・熱くするために自分が組織の熱源となって頑張るか
・熱い組織に移籍するか

といった行動を起こせばいいと思うのだが、「ぬるま湯と言い続けて20年」みたいな人も時々見かける…。そういう人は嫌いではない。熱湯風呂には、実際は長く浸かるなんて大変だからだ。ぬるま湯だから長く浸かっていられるとも言える。言葉とは裏腹に、ちょうどいい加減なのだろう。「不満はあるけど、まあ許せる」みたいな、人が辞めない、辞めにくい組織のキーワードが「加減」だと思って考えているところである。
※「できる社員はやり過ごす」という本の作者が、確か学術的に「組織のぬるま湯体質」みたいなことの研究をしていたと思う…。

……

 話が逸れた。口説き文句である。人が思う以上にずぼらな僕は、ずぼらであることを隠さないようにしている。隠しても後が大変だからだ。だから口説き文句は、

・ずぼらな僕が頑張った

という方向か、

・素の自分を取り繕う余裕もなかった

という方向に持っていくことが多い。口説き文句は口説いて終わりではなく、

『口説き落としてからが、本当の始まり』

だからだ。だから出来るだけ「継続できる関係」を望むはずだし、そのためには無理することは少ないに限る。
※言い訳めいているが、何も上記のことは、意中の人を口説くときだけに意識していることではない。仕事でも、いや人生でも考えていることである。ということにしておく…。


 駆け引きが楽しい…、という人もいるだろう。それもあり。駆け引きなんてしていない…、という「駆け引き」をしている人もいるだろう。常に意識を高く持って、「演出か、本当の自分か」わからなくなるまで、自分を作りこんでいる人もいるだろう…。


 『……なんてことを考える余裕もないくらい、あなたに会いたかった』

というのは完全に口説いている…。



「ドーナツ」= 『口説き文句』

「ドーナツの穴」= 『口説き落としてからが、本当の始まり』 だから無理は少ない方がいい



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第85回『閉じたり開いたり』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第85回は『閉じたり開いたり』


 閉じたり開いたりするのは心の扉……、という話をしたいのではない。心の扉は、閉じっぱなしも開きっぱなしも問題ではあるが、適度に開閉していればそれで十分だと、

心の扉を「家政婦は見た」くらいの開け具合で、『世間』をのぞき見している僕です。

……

 さて、本題。

・開いた組織
・閉じた組織

という言い方をする。一般的には、開いた組織、もとい『開かれた組織』の方が良いとされることが多いように思う。だがそれは、一定の成果、歴史、認知度等「何かをなした組織」の場合である。できたばかりの組織はそもそもそんなことを気にしている場合ではない…。


 組織の時期や、状況によって組織にも

『開いている方が良い状態』



『閉じている方が良い状態』

があるということである。ざっくり書けば、

『組織力を高めたい、組織内での影響力を強くしたいときは閉じた方が良い傾向』

『認知度を高めたい、拡大したいときは開いた方が良い傾向』

が見て取れる。組織がおかしな方向に行くとき、この開閉がおかしくなっていることが多い。開かれた組織を志向すべきなのに、閉じたままで、組織内の圧力が高まって崩壊…、とか組織のまとまりがなくなっているのに、組織拡大を志向してどんどん開く方向に行って崩壊…、といった例である。

具体的に書けば、
会社経営が上手くいきだして、
スタッフを増員したり、
規模を拡大した方がいいのに、
社長が今の「利益」を優先して、
職場内がブラック化…、
現存スタッフが疲弊して、
「力のあるスタッフ」が一気に退職…。
みたいな例が、「開かないといけないのに閉じている組織」である。

逆にスタッフの数ばかり多くて、
「そもそもの仕事がなく」
「その会社に属するメリット」
が見えなくなっている状況のなかで、
さらにスタッフを募集し続ける…。
そして、メリットを感じられないスタッフが辞めていく…。
みたいな例が、「閉じないといけないのに開いている組織」である。

前者も後者も、意外とよく見られる組織の状況。
あなたの会社や団体を思い出してほしい…。
そんな時期があったはずだし、いまもそういう時期なのかもしれない…。


 『組織も閉じたり開いたりの調節が必要』

当たり前の話…。閉じたまま、開いたままで済むなら、経営(マネジメント)は必要ない。
型はあるが、決まった型が無いから、経営(マネジメント)が必要なのである。




「ドーナツ」= 『閉じたり開いたり』

「ドーナツの穴」= 『開閉の加減が、組織運営のポイントの一つである』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第84回『水に流す』(本当の謝罪とは)

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第84回は『水に流す』(本当の謝罪とは)


 謝罪をテーマにちょっと文章を書くことがあった…。
謝罪する側とされる側…、「許す」のはされる側だ。

『謝罪される側』=『許す側』


 で、今日の本題。謝罪したことに対して、水に流すのは『許す側』だ。で現実を思い出してほしい。関係性によっては、

『謝罪する側が、「水に流して…」という言葉を使う時が意外とあることを…』

謝罪する側が「水に流して」と使う時、それは謝罪する側の方が、謝罪される側よりも立場が強い場合である。

・経験
・立場
・肩書
・権力の有無
等々……


『相手を下に見ているから、謝罪しているのに、「水に流して」と平気で言えるのである』


 謝罪する側が「水に流して…」というとき、ほとんど無意識で言っている。つまり、自分が持っている「力」に対して無自覚で、力に浸りきっていることを表している……。

そういう人間にだけはならないようにと思っているし、そういう人間とは付き合わなくてもよいように生きていたいと思う…。現実はなかなかそうはいかないが…。


 本当の謝罪、「謝る気持ち」とは、相手に許してもらうかどうかではなく、自分の「行い」に対して、素直に向き合い、本当に「悪かった」と反省すること。ならば、謝罪する本人が「水に流せる」わけがない。その姿勢に対して、

『謝られた側が、許し、「水に流そう」と思う』

のが本来の形である。


 本心で相手が謝っているなら、そう感じたなら、「水に流して」あげようと思う…。かな?


 本当の謝罪とは、こういうものなのかもしれない。
↓↓↓
さだまさし「償い 「主 文 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」




「ドーナツ」= 『水に流す』

「ドーナツの穴」= 『水に流すのは、謝罪された側。力を持つ人間が立場を使って、謝罪しながら使う言葉ではない』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第83回『コスト意識』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第83回は『コスト意識』


 今の時代は、「コスト意識の重要性」が、そこかしこで叫ばれている。もちろん、無駄なことにコストをかけてはいけないことは誰でもわかっている。無駄かどうかがわかっていることにコストをかけることは本当に無駄だと思う。だが、対峙したときに

『無駄かどうかわからないもの』

も多く存在しているのもまた現実だ。

……

 経験値として考えれば、すべての経験は無駄ではない。とも言える。だが同じ失敗を何度も繰り返すならば、経験値になっていないから、その経験にかけるコストは無駄になる。


 「コスト削減にかかるコスト」というのもバカにならない。会社でかかる経費を押さえようとして、ある業務にかかる時間が増え、残業が増えたようなわかりやすいものから、会社の電灯を暗くして、コストカットして、電気代を節約しようとしたら、スタッフも暗くなって、定着率が下がり、結果「採用コストが上昇」なんてこともあったりする。(※人が辞めるということは、本来はそんなに単純ではないだろうが……。)


 コストカットして削られるのは、経費だけではない。コストカットに関係する人の「やる気」なども削がれていたりする…。それは忘れない方がいい。

『他のものに影響しないコストカット』

というのはない。


 そもそも、『経費を削るだけ』の戦略は、なかなか微妙だ。その出所が、

『自分を変えずに、周り(だけ)をかえる』

ような思考からならば、大問題だし、

・コストカットして何をするのか?
・コストカットに特例が残っていないか?

等々……

が明確でないと、コストカットの弊害も強く出てしまうと思う。


 会議で、「縮小均衡」という言葉を使う機会が増えている。方向としては業界的にも、国全体としても、縮小傾向にあるからなのだが、そもそもの安易なコストカットの思考として、

「経費を削っても、売り上げはそのまま」

という勘違いがあるからだ。

・経費は削る
・売り上げは維持する、伸ばす

もし売り上げは下がったとしても、

・利益は維持する、伸ばす

一方向ではなく、多方向から見た、「コストカット」が本当のコスト意識だと言える。

『経費を削るだけのコストカットなら、頭を使う必要はない』

何のために削るのか?削ったコストで何をするのか?……

『頭を存分に使ったコストカット』

できるようにするのが本当の意味での「コスト意識」なんだと思う。



「ドーナツ」= 『コスト意識』

「ドーナツの穴」= 『頭を使っていない単純な「経費を削るだけ」のコストカットは、コスト意識が高いと言えない。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第82回『文章題』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第82回は『文章題』


 突然ですが問題!!

『連続する自然数が3つある。その3つの総和は4059である。該当する最小の自然数を答えよ。』

……

 とあるメールゼミナールを受けているとき、応用問題として触れた課題である。これを数式で考えるのではなく、図式化して考えるのだが、思いのほか骨が折れる。答えを出すのは難しくはない。ただ、図式化に時間がかかるのだ…。
※実際の問題を若干アレンジして出題しています。


 数式でも図式でもよいが、文章題はまずは

『問題の意味が分かる』

必要がある。それを図式を使って「感覚的に」わかるようにするのが今の課題だが、この意味を論理的にではなく、感覚的にとらえらるようにするのに苦労しているというわけだ…。


 文章題を意味を理解するにしろ、感覚的にとらえるにしろ、それができるようになるには、

「数にあたる」

ことと

「常にそばにいる(ある)」

必要がある。これが今回のメールゼミナールでの気づきの一つだ。昔、算数や数学の問題に、「数にあたって」、算数や数学が、「常にそばにいる(あった)」時代は、もっと簡単にできたはずだ……。


 自分にとって大切なもの、人生にとって外せないものは、それがあること自体は楽しかったり、嬉しかったりすることばかりではない。むしろ苦しい時もあったりする。ただ、快不快や打算はいったん横に置き、

「数にあたる」
「常にそばにいる(ある)」


状態にすることで、それらは本当に「自分のもの」になっていくんだと思う。
※英語を習得する過程などはまさにそれにあたる。

 自分が大事にしたいもの、している分野、思っている人からは、くらいついて離れないほうが良い。一時的に苦しいとしても…。


※ちなみ冒頭の文章題の答えは、『1352』である。この文章題を解いていく過程で、「連続する3つの自然数の和は必ず3の倍数になる」ことに気が付いた。いつ使えるかわからないが、ちょっとだけ「ラッキー」だと思った……。



「ドーナツ」= 『文章題』

「ドーナツの穴」= 『自分にとって大切なこと、自分のものにしたいことからは、離れない、数に当たることが大事。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第81回『運』論その4 まとめ

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第81回は『運』論その4 まとめ


 自分のことを「運が良い」と思うことは、自分のことを「幸せだと思う」ことに近い。運について考えることは、幸せについて考えることに似ている。……、こう書くと急に宗教的になって毛嫌いする人もいるかもしれない。だが結構重要なことなんで書こうと思う。


 『自分の現在の立場、肩書等、手に入れたもので運を判断すると運を失う』

これを幸せで言い替えれば、

『自分の現在の立場、肩書等、手に入れたもので幸せを判断すると不幸になる』

ということである……。


 実は、運や幸福、もっと言えば、人生そのものにはかならず「偶然」が介在する。いわゆるハプニングだ。これはどうしようもないことだ。どんなに善人でも、努力をしていても、「アクシデント」は突然起こるし、逆に、どんなに悪人でも、人生を怠惰に生きていても、「ラッキー」は訪れたりする……。

言ってしまえば、今の立ち位置は本人の努力とともに、何ならそれ以上の「偶然」がもたらしたものなのだ。アンラッキーな状況も、同様に本人の立ち振る舞い以上に「偶然」がもたらしたものなのだ…。


 「ラッキー」を「運が良い」とするのは勘違いだ。運とは、立ち位置、肩書等、手に入れたものではなく、

『今、どこに向かっているか』

が問われるものなのだ。運は位置を示すものではなく、ベクトルを示している。宗派に関係なく、数多の宗教の「幸せの定義」も同様で、現状が幸せかどうかではなく、

『幸せな方向に、向かっている、向かおうとしている』

ことを幸せと「再定義」することで、信者を文字通り「幸せ」にしていると個人的には思う。


 『運が良いとは、人生のベクトルの向きが良い』

ということ。現状や、たまたま起きたハプニングで「手に入ったもの」の多寡を指しているものではない。運の正体とはそういうものなんだと思う。

宝くじに当たって不幸になる人があるのは、手に入ったものに注目してしまうからなのかも知れない…。手に入ったものではなく、「向いている、向かっている方向」が重要だ。多分……。



「ドーナツ」= 『運が良い』

「ドーナツの穴」= 『運が良いとは、人生のベクトルの向きが良いということ。手に入ったもので測ると運を失う』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第80回『運』論その3

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第80回は『運』論その3

 「自分が運が良い」と思った方が、良い結果が出やすい…。なんて話をよく聞く。心理学的にも実証されているし、教育の場面でも、運とはちょっと違うが、「ピグマリオン効果」なんてことも言われたりする。自分も自分に期待した方がいい結果が出やすいのかもしれない。※逆のゴーレム効果というものもある。

なんにしても、「良い方に捉える」「良い方に考える」方が、「良い結果」が出やすいというのは、確かに一理あるとは思う…。


 さて、「自分は運が良い」と思った方が、良い結果が出やすいということを、ここではややネガティブな方向から考えてみたいと思う。

一般的には、「運」は自分のコントロールできない要素を含んでいる。すべてがコントロール下にあるならば、「運」は関係ない。で、コントール出来ない要素について、

・自分は運が良いと思う

ことと

・自分は運が悪いと思う

ことに本質的な意味はない。どのみちコントロール出来ない要素なのだから…。ならば、コントロールできる「思考」や「感情」について、

『自分は運が良い』

と思った方が行動しやすいならば、その方が「まし」なのではないかと思う。どっちみち「運」ならば、良い方に捉えた方がましだ…、ということになる。

……

 『コントロール出来ない要素』について、時間や思考を割くくらいなら、その時間や思考を、より有意義な使い方をした方が、結果が出やすい…。ということだ。「自分は運が良い」と思うことは、自分の時間や思考といった、限られたリソースをより効果的に使うためにも「あり」なのである。

『ネガティブ思考、運が悪いと思うこと自体が、ロスが多い』

ということになる。


 「運」はコントロール出来ない要素を含んでいる。でも、「運」をどう捉えるかはコントロール出来る。行動した結果に対して「運」をどう使うのか?次回に続く……。



「ドーナツ」= 『運』

「ドーナツの穴」= 『コントロール出来ない要素をどう思うか、捉えるかに、本質的な意味はない。ならば、「運が良い」と思った方がましなことは間違いない。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第79回『運』論その2

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第79回は『運』論その2

 「運」とは運ぶ。もともとは江戸時代などに、お伊勢参りに行った際、伊勢神宮まで自分を「運べた」ということを「運がいい」とか言っていたらしい。だから、伊勢神宮にいったら、伊勢神宮までこれたことの「お礼」と「またお伊勢参りに来れるように」と祈願するのである。※所説あり。


 さて、運を良くするには「行動」することである。行動しないと失敗はしない。が結果もでない。目標や目指す結果まで、

『自分を運ぶ』

努力をしないと、運は良くならないのである。


 運がいい人は間違いなく、行動している。というか行動量が多いはずだ。だから本人は言わないが、いっぱい失敗もしている。失敗談はあまり人には話したがらないし、広がりにくい。誰かの失敗談を本人から聞けるのは貴重なことなのだ。失敗談を聞けるのはある意味、運がいい。

『失敗談を話して、信頼を得る』

みたいな自己開示のノウハウを売りにしているセミナーもあるくらいだ。
※僕自身は受けたことはないが……。

……

 運がいい人は、多くの失敗もしている。だから、失敗談を話せる人は信用されるし、結果ますます運が良くなる。失敗にくじけないくらいの行動量。それが一つの運の正体なのかもしれない…。



「ドーナツ」= 『運』

「ドーナツの穴」= 『運とは行動量。失敗するくらいの行動量。失敗に負けないくらいの行動量』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第78回『運』論

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第78回は『運』論

 「運がいい」とか「運が悪い」という言い方をする。自分で選択した行動には、どんなに才能があったり、努力を重ねたとしても、「運」≒「偶然」の要素が排除できない。神ですら、偶然の要素に左右されると数学的に証明されたという話もある。何の神なのかは知らないが…。
※詳細を知りたい方は、グレゴリー・チャイティンとでも検索して欲しい。神も豪快にサイコロを振っているのかもしれない…。


 もし、運の要素、偶然の要素が完全に排除できるなら、

『完全なノウハウ本』

というものがあらゆる分野で登場するはずだ。だが、そんなものはないし、今後も登場することはない。「これをやればうまくいく」とか「これさえ知っていれば大丈夫」なんてものは未来永劫現れることはない。


 ある分野を極めた人には、人生の終盤に宗教を信じる、あるいはある何かに対する信仰心が強くなることが多いと聞く。それは、

『知れば知るほど、わからないことが増える(わかる、見える)』

からだ。才能や努力の先にあるのは、真理や結果だけではない。自分の無力さや孤独を、本当の意味で知るからだ…。


 謙虚さは、「運」を受け入れることで生まれる。自分の才能や努力は信じる。そして、自分の「運」に感謝する。それがますます「運」をよくするのである。


 神道に造詣があるわけではないが、神社では、「願い事」するのではなく、そこに祭られてる「神」に対して、

『自分の持っている運に感謝する』

方が正しいという話もある。運とは「運ぶ」。自分自身を今日まで、今のポジションまで、その場所まで運んだ「運」に感謝するのが「運」の正しい捉え方なのかも知れない。



「ドーナツ」= 『運』

「ドーナツの穴」= 『運の要素がないものはない。だからこそ運に感謝する。謙虚になる。』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第77回『売上ー経費=利益』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第77回は『売上ー経費=利益』

 ファイナンシャルプランナーの資格を取得したばかりの頃、ボードゲームを使った「会計」と「経営」の入門となるような勉強会に参加したり、自分で主催したりしていた。医療、介護系の仕事が忙しくなり、一時的に離れていたが、50歳を前に再開しようと準備を進めている。
……

 とまあ、宣伝っぽい前置きはこれくらいにして本題。会計は基本四則演算しか必要ない。もっと言えば、ほとんど加減算(足し算、引き算)で済んでしまう。ちょっと取り組めば誰にでもイメージできるものだと思う。※本格的に扱おうと思えば、しっかり取り組む必要があるだろうが…。

普段生きていく上では、会計の数字はある程度「理解できる、使える」くらいで十分だと思っている。税務上の会計処理をするなら別だがそうでなければ、あまり会計(処理)の勉強をすることに時間を割くのは得策とは言えないと思う。理解して使えれば十分。数字を使うのも、スマホを使うのと同じだと思う。僕らは「数字」を使って何をするのか?により時間をかけたいはずだ……。


 ここから本題に入る。

売上 − 経費 = 利益

入ったお金から、使ったお金を引いた残りが利益。何の変哲もない式である。
だが、これをきっちり理解していれば、会計はある程度はわかる(と思う)。
経費を右辺に移項すれば、

売上 = 経費 + 利益

となる。これを図式化すれば、

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これが言わば、「損益計算書」の形だ。用語はともかく形はこれだけなのだ。


 普段の生活で考えれば、多くの人は

売上=給料

経費=税金、社会保険料、厚生年金保険料、住宅ローン、食費等々の生活費……

利益=貯蓄や投資。あるいは遊興費(※これは昔流行った金持ち父さん的に言えば、Doodadsか…)などに使えるお金。


とまあこんな感じだ。何の変哲もない話。

・売上=給料≒収入 を増やすか
・経費=生活費等 を減らすか


で利益は増える。これも普通の話。だがこれから全てが始まるし、ここを間違えると全てがおかしくなる。案外多いのが、

『売上と利益の思い違い』

だ。年収の多寡ではなく、どんな収支の「形」で生きているか?それがより大事なのだ。もちろん、収入は多いに越したことはないと思う。ただ、収支の「形」を見れないと、せっかくの収入が無駄になってしまう…。


 恩は返せないままだが、お世話になったとある「福井県の師匠」から学んだ財産の一つだと思っている…。

売上 − 経費 = 利益

簡単で、深い、数字(お金)の真理だと思う…。



「ドーナツ」= 『売上 ー 経費 = 利益』

「ドーナツの穴」= 『売上≒収入の多寡よりも、収支の「形」を理解することが大事』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第76回『財布』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第76回は『財布』

 財布はお札と小銭、カード等に分類されている。それはその方が使いやすい、管理しやすいからだ。わざわざ「小銭入れ」や「マネークリップ」等があるのも使いやすさ、利便性の為だ。※もちろん、おしゃれの要素もあるにはあるだろうが…。

仮に一つの袋に雑多にお札や小銭が入っていると、相当使いにくい。それにレシートなどが混ざるとより大変になる。

……

 多様性が求められる時代になった。それは基本的には良い事だと思う。ただ、『分類されていない財布』を想像すると、多様性を維持するための「管理コスト」の増大はやはり意識せざるを得ない…。

ならばより「小さい集団」、お金で言えば「少額」で管理すればと思うが、それでもやはり「集団ごと」「少額ごと」に管理する手間≒コストは増大するのだ。集団を置いておく場所にもコストがかかる。小集団が増えれば、管理する場所も当然増えていく…。そして管理業務も、管理する人も…。



 お金ならキャッシュレスといった技術革新に向かえば、「価値のやり取り」だけになるのでまだ管理コストの増大は抑えられるだろうが、人、人間関係はそうはいかない。人、人間関係そのものは何かに変えられるものではないのだ。ちょっとおおげさな書き方だが、人類が存続する限り残るもの、それが人そのものであり、人間関係なのだ。


 コストをどこまで引き受けられるのか、あるいは雑多なまま管理を諦め、一定の自律に身を任せるのか…。財布の中の、レシートを整理しながら「多様性のジレンマ」を思う…。

「ドーナツ」= 『財布はお札や硬貨ごとに分類してあるから使いやすい』

「ドーナツの穴」= 『分類を止めると、多様性は増大するがコストも増大する』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第75回『健康的な生活という言葉は、ちょっと不健康?』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第75回は『健康的な生活という言葉は、ちょっと不健康?』

 健康ではありたいが、健康的でありたいかと言われるとちょっと違う。
健康であるために、健康的な生活習慣に気を配っている…、というのが正しい気がする。
だから、

『健康的な生活』

とか

『健康的な生活を送りましょう』

という言葉は、ちょっと不健康に感じてしまう。あなたも本当は、

『何かやりたいことがあるから、健康でいたい』

はずだ。もっと極端な書き方をすれば、

『時々不健康なこと、無理しないといけないことがあっても、健康を維持できる状態でいたい』

と思うことの方が多いのではないだろうか?……

……

 健康ではいたいが、健康になりたいという「欲」はない。健康になってやりたいこと、それによって得られる何かにたいする「欲」がある。ここがポイントだと思う。健康を失った状態から、健康を取り戻したいという欲があるのでは?と思うかもしれないが、それですら、「取り戻してやりたいこと」に対する欲なのだ。


 パーソナルトレーニングが隆盛を極めている。実際そこに通い、食事に気を配り、トレーニングすることで健康にもなると思う。だが、パーソナルトレーニングに通う動機は「健康になりたい」ではない。その証拠に、パーソナルトレーニングの広告やTVCMでの謳い文句は「パーソナルトレーニングで健康になりましょう」ではない。詳細は省くが、

『健康になりたいという「欲」はない。健康になってやりたいこと、それによって得られる何かにたいする「欲」がある』

とはそういうことである。


 健康を目的にするのは、悪くはないがやや不健康。たぶんそうだ。目標や、やりたいことのために「健康」が必要…。そのくらいの思考の方が健康的だと個人的には思う。

「ドーナツ」= 『健康的な生活』

「ドーナツの穴」= 『健康になりたいという「欲」はない。健康になってやりたいこと、それによって得られる何かにたいする「欲」がある』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第74回『毒矢のたとえ』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第74回は『毒矢のたとえ』

 仏教上のたとえ話の話です。意訳してざっくり言えば、あなたがもし毒矢に射られたとします。
周囲の人が、

・どこからその矢は射られたのか?
・誰がその矢を射たのか?
・何のために射たのか?
・その矢の材質は?

等々……

考えだしたらどう思うでしょう?そんなことより、

『応急処置して、病院に一秒でも早くつれていけ!!」

って思いませんか?「いろいろ思い悩む前に、やることがあるだろ!」という話です。仏教哲学について満足のいく答えを聞かないうちは、修行に励む気が起きないという青年に向かってのたとえ話だとのこと。


 ディテールはともかく、いろいろ思い悩むこともあるだろうが、それはそれとして、

『今、やるべきことをやる』


ことの重要性を教えてくれるたとえです。が、思い悩むことを否定しているわけではありません。

『思い悩みながらも、今やるべきことをやる』

ということです。未来に思いを巡らし、今を生きる。
「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」Byガンジー


 これを書きながら、コーヒーを飲むか、お茶を飲むか悩んでいる凡夫の私…。
相当、周囲に幸せな人生を生きさせてもらっていると思う……。


「ドーナツ」= 『毒矢のたとえ』

「ドーナツの穴」= 『今やるべきことをやる。ただし、思い悩むこと、考え抜くことも忘れずに…』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第73回『履歴書に自分は出てこないという話』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第73回は『履歴書に自分は出てこないという話』

 とある日の職場の会議で話したことである。周囲にややこしい人間だとまた思われたことだろう…。


 履歴書を思い浮かべて欲しい。履歴書に自分は出ているだろうか?自分のことばかり書いてあるから、間違いなく自分が出てくるのでは?と思う人もいるかもしれない。

学歴は、あなたの学んだ歴史であってあなたではない。職歴も同様。

資格等は、あなたが持っているものであって、当然あなたではない。

生年月日は、あなたの生まれた日付であってあなたではない……。



 とはいえ、『名前』は自分だろう!!と思うかもしれない。だが違う。あなたの名前はあなた自身ではない。例えば「ライフ」と言う名前を思い浮かべて欲しい。

・スーパー
・コント番組
・人生
……

等々、想起されるものは人によって違う。前後の文脈や関係性で、名前も微妙になる。そもそもあなたの「名前」は任意の点に名付けられた「点P」みたいなもので、「点P」そのものではない。その証拠に、名前を複数持っている人も存在している。同じ人物を表しているにも関わらず…。


 自分は存在するが、自分の存在を示すのは、「自分以外のもの」の集合。もっと言えば、

『自分に関連の深いものの集合』

のなのだ。自分だけでは自分を証明も説明も、理解もできないのである。

『自分にとって関連の深いもの、大事なものとの関係の中で人は生きている』

外圧によって変化することをとやかく言う人もいるが、外圧≒自分以外との関係性の中でしか人は変化できないのである。変化には、「外(誰か、何か)の力が必ず必要」。それが人間なのである。自分自身で変化しているように思っても「誰かの、何かのおかげ」なのである。


 ……なんてことを考える前に、やることがあるのが自分の人生なのだ。そしてやったこと、出来たこと、残したものが履歴書にまた刻まれる……。そうやってまた自分が出来ていく……。自分を生きて行く…。


「ドーナツ」= 『履歴書』

「ドーナツの穴」= 『履歴書には、書いた本人に関係の深いものが書いてあるが、本人そのものではない』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第72回『手相』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第72回は『手相』


 手相をあなたは信じるだろうか?なんて非科学的な…、と思う前に冷静に考えてほしい。

・これだけ人口に膾炙しているものだから、一定の信ぴょう性はあるのでは?

とか

・手の皺や形などで、人生がわかるんだったら苦労しない

とか様々な思いがあるかもしれない。


 おそらく、一定の傾向は統計的にもあるはずだ。少なくとも習慣的に同じような「手の動作」を繰り返すような人や仕事をしている人なら、間違いなく傾向はある。ペンだこなどその例だ。当然手の皺にも特徴がある。大工である僕の父にものこぎりの胼胝があったように記憶している。


 「習慣的」というのがポイントだ。

・歩き方
・食べ方
・睡眠
・呼吸
・座り方
・立ち方

動作だけでなく

・意思決定
・考え方
・生き方
……

 およそ人間が生きていく中で習慣的に行うものに「個性」が出るし、一定の傾向がある。これを研究するだけでも、十分に生きていけるくらいだ。

・理想的な歩き方
・理想的な食べ方
・理想的な呼吸
……

細かく見ていけば、十分に学術的な研究になるはずだ。中には「意思決定」すら、その回数について考察したものまである…。

 『習慣で人生が決まり、人生で習慣が決まる』

手は間違いなく、人生の中で繰り返し使うものである。そこには習慣がある。

『手相で人生が決まり、人生で手相が決まる』

ということも言えるのではないだろか?
※万能ではないだろうが…

 人が習慣的に行うものに注目すると、見えるものがある。
理想的な習慣を見つけると商売になる。
習慣的なものの結果が出る部位に注目すると、全体が見える。


その積み重ねも科学になりうるのではないか?
大げさではなく、「手相」からでもそう思う……。

働けど働けど猶わが生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る…。
by石川啄木



「ドーナツ」= 『手相』

「ドーナツの穴」= 『習慣によって人生が決まり、人生によって習慣が決まる』



今日はここまで。文責 江口
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ドーナツとドーナツの穴 第71回『余生』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第71回は『余生』


 島田紳助さんが引退後、初めて動画出演したことで話題になっている。misonoさんのユーチューブチャンネルに出演し、現時点で200万回以上、再生されているらしい。
その動画はこちら↓


 島田紳助さんを久々に見て、思い浮かんだのが「余生」という言葉だった。そこで今回はそれを取り上げることにした。これまでの仕事を辞め、やりたいことをやっている…、充実した人生だというニュアンスで本人は語られている。それはその通りなんだろうと思う…。

……

 多くの人の現実として、「余生」という言葉がしっくりくる人は少ないのではないだろうか?余生とは、やりきった「余りの人生」という意味だ。それをのんびり過ごそうという話には、少しの憧れはあるが多分うまくはいかない。※もちろん、うまくいっている人もいるだろうが…。


 そもそも、仕事が好きでたまらない人、やりたいことがたくさんある人は、「余生」なんて考えず、文字通り、

『死ぬまで人生を駆け抜けていたい』

と思うはずだ。そんなことすら意識せずに……。

不安にかられて、「死ぬまで何かをやっておかないと」生きていけるかわからない…、そういう人も多いと思う。「余りの人生」なんてとんでもない…、今日を必死に生きている…、それが普通だ。


 余生ははじめられるが終わりがない。もっといえば、突然終わる可能性がある。だからそこからのんびり…、なんて計画が難しいのだ。結果的に「余生」に見えることはあっても、狙って「余生」を過ごすのは相当困難な話なのだ。金銭的な余裕がどんなにあったとしてもだ。そもそも、金銭的余裕のある人に、

「余生」

を過ごしている人がそんなにいるのだろうか?むしろ、「生涯現役」くらいのバイタリティがあるからこそ、金銭的余裕が生まれるはずだし、そんな人は、

『プライベートと仕事を区別せず楽しんでいる』

人が多い印象がある。つまり余生とは無縁な人たちではないだろうか?


 セミリタイアして、「余生」を過ごす人もゼロではない。だが、「余生」を全うできる人は相当少ないはずだ。

「始めることはできるが、終わりが見えない(見えにくい)」

のが余生だからだ。あっ、人生そのものがそうなのか……。人生は始まるもので、始められるものではないという違いがあるが。「余生と無縁な凡人」である僕はそう思う…。


「ドーナツ」= 『余生』

「ドーナツの穴」= 『余生を過ごすこととは、始められるが終わりが見えないという相当困難なことなのである』



今日はここまで。文責 江口
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