豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

短所が分からないと長所はわからない  多分駄文な気分Neo

短所が分からないと長所がわからない

長所がわかれば短所が分かる

長所は何と比べて長所なのか

誰かの長所は傍から見れば、それほどの長所ではない

傍から見れば、短所というほどのことでもない短所?にくよくよしている人がいる

その人の短所の一つは、そういったことにくよくよするところである


最大の短所?は自身の長所や短所がわからないことかもしれない
※というのは短所や長所など気にしないという長所?にもなりえる


何にしても、長所も短所も、それだけで存在はできない
一方が認識された瞬間にもう一方も同時に浮かび上がるもの


だから何だ!!と言われれば、しょせんその程度の話…


20230111.bmp

本日までに売れた本です↓↓

チェコ経済の真実 (1970年)

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6342 冊

タージマハルエベレスト  多分駄文な気分Neo

タージマハルエベレスト

通勤途中にあるインド料理?の店名である。

インドにある日本料理店に「清水寺富士山」なんて名づけるようなセンスか?
※この名前にネーミングセンスがあるかどうかが、わかるほどのセンスが僕にはない

実際は「清水寺富士山」よりというよりもむしろ、「仁徳天皇陵富士山」の方がニュアンス的に近いセンスになるのか?それはともかく、覚えやすいのは事実だしそれほどインド料理という業種からかけ離れた名前ではない…、とは思う。


たかが名前、されど名前。そういえば、キラキラネームに関する事実上の制限がかかる法改正があるとかないとか。※改正戸籍法のこと



ほとんどの場合、日常的に使う本名を自分で名づけている人はいない…、というかまず名づけられない。

本名なのにその名前で活動できないタレントもいる。

「ドラム」という役名をそのまま芸名にした元力士の俳優さんもいたような…。


「名もなき詩」という名の曲もあった。



まあ、とりあえず明日はインド料理にしよう。


20230111.bmp

本日までに売れた本です↓↓

四国歩き遍路の記: 法服を百衣に替えて

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6341 冊

トムライノカタチ  多分駄文な気分Neo

「代理散骨」を扱った記事を見つけた

専門家は代理散骨を行う上において、その「散骨目的の確認が重要」であることを指摘している…

(代理)散骨が「遺骨処分」が目的で行われる場合、問題になる可能性があるらしい


「遺骨処分」は当事者の意思に関係なく付きまとう問題で、最終的に当事者が無くなって意思(あるいは遺志か)を持つものが消滅したときに、カタチ(≒遺骨)の残る弔いを選択した場合は基本避けられないことだ…

どこかで形を無くす、それこそ自然に還るとか土に還るなど…、そういう必要がある

自然に還す(分解されて形は無くなる)ことが前提の弔いのカタチ(散骨もその一つ)はその問題をクリアしたものと言える



弔いのカタチで、カタチあるものにこだわりが強いほど、そのカタチに未来に続くものが縛られる…
そのこだわりをどこで(誰が、誰の代までで)終わりにするのか…
有限の器に無限のカタチあるものを残し続けることは出来ない…


20230111.bmp

本日までに売れた本です↓↓

成功する飲食フランチャイズ 6 (柴田書店MOOK)

21世紀の人権・同和教育への展開: 人権・同和教育と教師の力量形成

素顔の山中伸弥-記者が追った2500日

知りたい!ジュエリーコーディネーター (資格ガイドシリーズ 43)

ビジネス・フォーマット 決定版: すぐに使える モデル記入例100

ほんとうのあなたに出会う物語

解読・組織犯罪対策法

感性学入門: 直感から直観へ 感性を強くゆたかに

化学精義 上巻 理論の化学


まるわかり! 西遊記

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6340 冊

獣行く細道  多分駄文な気分Neo

今朝、上品な飼い主と散歩している犬を見かけた…

犬種はトイプードル、茶系

年のころは人間に直すと18歳前後か…(根拠はない)

すれ違いざまの足元に雀の死骸
眠るように目を閉じて死んでいた…



飼い主の後方を行儀よくあるいていた、そのプードルが突然ムキ顔になり、
その雀を食べようとした… 

上品なプードルに潜む獣を見た瞬間である
文字通り、野生が目覚めた瞬間だ


ふいに上品だった飼い主からの

「それは、だめ!!」

という叫び

ハッとしたように、野生から日常に目覚めるプードル

そして、ムキ顔はおさまり日常の散歩が始まる……


目覚めているのが日常なのか、それとも野生に目覚めたときが本当の「目覚め」なのか…



去り際にちょっと振り返ったプードルの目にまた、一瞬だけ野生が宿る…

この世は無常、みんなわかってるのさ…

20230111.bmp

本日までに売れた本です↓↓

うまラ-メン: 関西版 (えるまがMOOK)

あなたも系図が作れます

自己開発法 新装: 大脳生理学による才能改造

わかりやすい真空技術 第2版

中小企業経営者のための銀行交渉術 第2版

本当に買える海外通販アイテム大全

復興と居住地移動 (K.G.りぶれっと No. 39)

刑法総論 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 58)

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6330 冊

「痛くもかゆくもない」という発言が、周囲から「痛い」と思われるときがある。  多分駄文な気分Neo

ある事象について「痛くも痒くもない」と感じていることが引き起こす問題に、痛くも痒くもないと感じている人はまず気付かない。

……という状況は、周囲にとってはとても「痛い」状況であることが多い。そしてその痛くも痒くもないと感じている人を周囲は「痛い」と思う。



個人的には、適切な痛みは感じた方が自然だと思う。耐え難いような痛みはもちろん別だが。


少なくとも、自分に痛みがなくても、そこに誰かの「痛み」があるかもという感受性はあった方がいい。

「耐性ができたおかげで、感受性を失う…」なんてことに少しでも抗っていこうと思う今日この頃…。

20230111.bmp



本日までに売れた本です↓↓

民営化の効果と現実: NTTとJR

行政書士40字記述詳細分析: 本当に合格したい人のための


不思議と神秘の使者 ソロンのファミリィブック 改訂版

85歳、しなやかにフラメンコ

アンガー・マネジメント: アメリカ・エグゼクティブの間で爆発的に普及! イライラ、ムカムカを一瞬で変える技

技術士を目指して・建設部門 選択科目 第5巻 新版

融資力5分間トレーニングブック 新版 ’14-’15データ改

中古マンション再生: 再誕 わがまま間取りをマンションで実現!!

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6322 冊

修正(修復)を意識しなくてもいいのが若さ 意識できるのが経験 意識しても出来なくなるのが老い  多分駄文な気分Neo

修正(修復)を意識しなくてもなんとかなる(許される)のが若さ

意識できるのが経験(ベテラン)

意識しても出来なくなるのが老い


そういえば、高齢者の踏み間違えの事故は、踏み間違えそのものより、踏み間違えを修正できないことで事故になる場合が多いらしいとか…。しらんけど。


本日までに売れた本です↓↓

本気で叱って抱きしめて

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6314 冊

24000円〜30000円 多分駄文な気分Neo

とあるポイ活アプリで年間に稼げる金額。

『ト〇〇』とかいう移動距離とか、歩数とかでマイルが貯まるものだ。

手間を考えれば、どうなのだろうと思う向きもあるが、これだけで、大好きなスコッチが4本くらいは買えたりする。
※もちろん、買ったスコッチもきっちり1年間で消費する。…というか足りない。

少なくとも、歩く機会は増えている。※そして酒量も(こっそり)増えたりしている時もある。



そういえば、最近買った自転車も買える金額だった。

その自転車で豊中・東大阪間を今日も爆走した…。

ほぼ「桐谷さん化」した日常を、今日も「生きている、生きている〜♪(サンサーラ風)」





20230111.bmp

かたぎ 多分駄文な気分Neo

職人気質であることと、その職人の腕は必ずしも比例しない。

職人気質と自称する人は多くない。

職人気質を自称する場合、多くは何らかのごまかしや言い訳を含んでいることが多い。

堅気と自称する人は、結構堅気でないことが多い。

堅気も気質も、他称で使われている分にはその本人にはまず関係ないし、その本人が気にしなければそれほど問題はなさそうだ。

気質や堅気を自称している際の意図…、そこにポイントがありそうだ……。





20230111.bmp

おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

播磨気質 新装版 (のじぎく文庫)

カジノミクス―「カジノ解禁」「アベ銀行」「年金積立金バクチ」の秘密

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6313 冊

もたれる 多分駄文な気分Neo

何かにもたれているとき、もたれている自分の事情にフォーカスしてしまうのか?
何かにもたれているとき、支えてくれている(もたれさせてくれている)何かにフォーカスするのか?

もたれかかれるものがあるからもたれるのか?
誰彼かまわず、所かまわずもたれようとしているのか?

…などと考えていることが、少し胃にもたれそうだ…。


20230111.bmp

おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

地方議員マニフェスト実践マニュアル

りょうちゃんだいすき

TOSS授業技量検定・サークルでの挑戦 1

愛情、あと半分は土と水とガラクタ

アフリカ子連れ旅

職場をしあわせにするウブントゥ――アフリカの知恵がもたらす、信頼と感謝のチームワーキング

時流をとらえよ: 裸一貫からの経営

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6311 冊

食欲 その4 多分駄文な気分Neo

食べ過ぎた後に、美味しさの絶頂がそこにあったことを知る。

美味しさの絶頂にいる時、それが絶頂であることに多くの人は気付かない…。

『ケーキバイキングにて思ふ』


20230111.bmp

おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

楽しい学級園づくりABC (楽しいクラスづくりフレッシュ文庫 12)

続・人間は自分が考えているような人間になる

倚天屠龍記 第3巻

人権教育の再構築: 全ての生命を権利の主体に

わたしの幸せ あなたの幸せ

統計 (モノグラフ 22)

一冊で日本怪異文学100冊を読む: お化けばなしの魅力と恐ろしさ

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6304 冊

食欲 その3 多分駄文な気分Neo

食欲自体がおかしいのか、食欲以外の「何か」に食欲が侵されているのか…?

それが問題だ……


20230111.bmp

おまけコーナー:本日の売れた本達

本日までに売れた本です↓↓

係長・主任になったら読む本―基本心得から部下指導・職場づくりまで

続 授業による救い―南葛飾高校で起こったこと

2016年1月1日以降、僕の手から旅立った本の数、6297 冊

食欲 その2 多分駄文な気分Neo

「食欲がない(なさすぎる)」という悩みよりは、「食欲がある(ありすぎる)」という悩みの方が個人的には健康的だと思う。

「食欲がないけど元気」は聞くからに(見るからに)困難な話。
「食欲がある(ありすぎる)けど元気」はそれこそ、そこここにあり得る話…。

食べる幸せ。食べられる幸せ…。お腹が空く幸せ…。
食欲が今日もしっかりあるというのは「幸せ」だと、つくづく思う。
※食べ過ぎる不幸に注意が必要なのは、言うまでもない。

20230111.bmp

食欲 多分駄文な気分Neo

置き換えダイエットで本当に置き換えてるのは、食べ物ではなく「欲」である。

20230111.bmp

誤算 多分駄文な気分Neo

誤算したと嘆くほど計算していたのだろうか?

誤算がわかるほど計算能力があるのだろうか?

誤算というか、そもそも以前の問題はなかったのか…?

…などということからまずは計算したほうが良いと思う今日この頃。

20230111.bmp

『「素材そのものを味わって欲しい」と聞くことがあるが、素材そのものの味は多くの場合、それほど美味しくない』 多分駄文な気分Neo

糖度を(人工的に)上げた果物や野菜は、素材そのものの味といえるだろうか?

新鮮な海鮮を、何もつけずに食べて、果たして「おいしい」と思うだろうか?
※船上で取れたての本当に海鮮を食べるにしても、それには明らかに「潮の味」がついているだろう…。潮の味は素材の味と言えるのか?

あえておいしく、食べやすくするのは、種子を運んでほしい植物くらいしか思いつかない。

結果的に「おいしい」と捕食者に認知されて食べられる頻度が増えるなんてこともあるだろうが…。
※「人の味を覚えた熊」なんてぞっとする。



食べてみないとおいしいかどうかはわからない。そういえば、本当の意味で

「素材そのものの味を味わった経験」

が数えるほどしかない。そして、その経験でおいしいと思った経験も残念ながらない。「(何とか)食べられる」「思ったほど不味くない」というのが、正直な感想だったように個人的には思う…。


今回はこんなところで。
20230111.bmp

不完全終活マニュアル 番外編

先が見えない人生の、終わりが見え始めた多くの人に贈る…?

 『不完全終活マニュアル』 番外編

 終活を考えているとき、家族と離れて暮らす高齢者や一人世帯の安否確認に、ラインの機能を使ったサービスは構築出来ないかと思い浮かんだ。

軽くググると、2015年から取り組まれている団体があった。知っている人も多いだろうが、

『NPO法人エンリッチ』

という団体だ。


 なんと、個人に対する安否確認(見守りサービス)は無料だ。
※1日毎〜3日毎までラインのトーク機能のやり取りで安否を確認してくれる。毎日でも可能というのがすごい。


 まだ一部の都市部でだけ運用されているだけのようだが、すばらしいサービスだと思う。「人は最後は一人」とはよく言うが、最後の時を、出来るだけ早く知ってもらう、知らせるというのは終活でも重要な準備だと思う。


 興味のあるかたは是非ホームページを見てほしい。
『NPO法人エンリッチ』
https://www.enrich.tokyo/index.html




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

不完全終活マニュアル その4

先が見えない人生の、終わりが見え始めた多くの人に贈る…?

 『不完全終活マニュアル』 その4

 終活がスムーズにいくケースで多く見られるパターンは、「逝く人から遺る人への流れが出来ている」というパターンである。

意思表示、情報発信はもちろん、往く人が主体となって動いたケースはスムーズな終活になるようである。親から終活を子に宣言して開始する場合などがそうである。



 逆に『子から親へ(親の)終活の話をする』などは結構揉めることが増える。
「私の死を望んでいるの?」などといった常套句で親側が憤怒してしまったり、親側が「まだまだ大丈夫だ」といって、終活が先延ばしになり急に事が起きて、遺る人同士で揉める…なんてことはよく起こる。



 終活はいつから始めてもいい。どこから着手してもいい。ただし出来れば、親⇒子といったように逝く人から遺る人への流れは大事にした方がいい。



 終活に限らず、流れに逆らうのは大変であるし、そこで大概問題が起こる。先に逝く側の「分かっちゃいるけど…」という気持ちもわかるが、

分かっているなら「自分から」「主体になって」
・伝える
・譲る
・渡す
・引く
・捨てる
等々の流れを守ることである。

『終活は逝く人から遺る人への流れが大事』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

不完全終活マニュアル その3

先が見えない人生の、終わりが見え始めた多くの人に贈る…?

 『不完全終活マニュアル』 その3

 「生老病死」とは仏教でいうところの四苦である。人生において逃れられない苦悩のことである。終活を考えるのが億劫になる原因は、人生の苦悩について考える、備えるという側面があるからだ…。

……


 「終活」は取っ掛かり易いところから考えるのも一つの方法である。そうすればいずれ全体が見えてくる。終活を考えると、様々なことがリンクしていることが見えてくる。

で、おススメは死から考えてみることである。生老病死は間違いなくリンクしている。が一つだけ確かなことは『死で終わる』ということである。だから、死から考えること≒終わりから考えることは取っ掛かり易いといえる。



 『いつまで生きるかわからない』生も老いも病も終わりはあるが、終わりが見えない。逆に死は見えないが確実なピリオドである。

例えば、「お墓」から考えてみるのもいい。自分がどこのお墓に入るのか?入りたいのか?遺族に負担のかからないお墓は?そもそも、お墓がいるのか?等々……、それを決めるだけでも終活はかなり前進する。



 死んだあとはどうにも出来ないが考え易い。準備も生老病より準備しやすい。まずは、

『終活を死病老生の順に考えてみる』(終わりから考える)

というのもありかも知れない…。

 




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

不完全終活マニュアル その2

先が見えない人生の、終わりが見え始めた多くの人に贈る…?

 『不完全終活マニュアル』 その2

 終活する当人も含め、関係者同士が互いに意思表示できる時期。それは非常に貴重な期間である。

……


 当人が『老』や『病』の状態にある時の「関わり方」には関係者によってかなり差がある。たとえば介護が必要な時期に関わった関係者からすれば、他の利害関係者に何らかの意見や希望、不満があるのが当然である。

思い浮かべれば、当人の家財道具の整理方法を終わった後にとやかく言うのは、たいがいその整理の手伝いをしない人である。手伝いをしていれば、「その場」で言い合いくらいはできる。

手は出さないは口は出す利害関係者…、よく見聞きすることである。



 当然利害が相反する場合は揉める。揉めるが、当人が生きているうちに揉めるか、死んでから揉めるかでは全然違う。どうせ揉めるなら早いうち。終活に関して言えば、先延ばしにして良いことなどない。

少なくとも当人が終活にまだ消極的であっても、出来る範囲で周囲は話し合っておくに越したことはない。

お互いの為に、『意思表示が出来るうちに揉めておこう』

※まずは全ての関係者を、お互い早めに認知しておく…。それだけでもだいぶ違う。出来るだけ揉めないために、揉める可能性のある関係者を洗い出す。出来れば終活する当人自身が、それこそ早めにやっておいた方がいいことである…。
 




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

不完全終活マニュアル

先が見えない人生の、終わりが見え始めた多くの人に贈る…?

 『不完全終活マニュアル』

 私と両親と兄弟は、九州、関東、関西に散らばってそれぞれ所帯を持っている。
父が今年2月、膝に人工関節を入れたのを機に終活を考え始めた。
※自分が今年50歳を迎えるのも大いに関係している。



 終活のポイントは、身も蓋もない書き方をすれば、
・意思表示できるうちにきちんと意思を残しておく
・残さない、残せないものは捨てる

大きく言えばこの二つに集約される。要は出来るだけ、

『意思を残して物を残さず』

ということだ。ほとんどの場合、本人の意思がわからず物があふれる…、ということで問題が起きる。


 父母もまだ十分意思表示が出来る状況。ここから第1歩である。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第306回『議論がまだ尽くされていない…』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第306回は『議論がまだ尽くされていない…』

 反対意見の常套句に「まだ議論が尽くされてない」というものがある。

そもそも議論を尽くせるような関係性があるのか?
議論を尽くしてから出た結論が間に合うのか?
本当に議論は尽くされていないのか?

等々……、

よく言われる『反対の為の反対』の場合がほとんどの、
微妙な常套句だと個人的には思う。



 議論が尽くされてなく、論点がまだ残っているならそこを指摘すべきだし、そもそも議論を尽くした結論で間に合う場合は、おそらく議論は建設的になるだろうし、そもそも議論の必要がない場合も少なくない。

多くの場合、議論しなければならないということは、正解が確定していない、わからない、情報が不十分な…などの状況だということだ。



議論を尽くせるような問題なら、議論はそれほど必要ない。
議論を尽くせないような問題だからこそ、熱い議論が必要になる。

コロナ対策などその典型。議論は尽くせないまでも、どこか熱さが足りないように思う。そう思うのは僕だけだろうか…?




「ドーナツ」=『議論を尽くせるような問題なら、議論はそれほど必要ない。』

「ドーナツの穴」=『議論を尽くせないような問題こそ、熱い議論が必要になる。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

青色吐息は青息吐息が正しい

 青色吐息は誤用である。青息吐息が正しい。桃色吐息という歌の影響で誤用が広がっている。非常に困難な時など、溜息しか出ない状況を表す、あるいはそんなときに出る溜息そのものを表す言葉。



赤色吐息は体に異常をきたした時にでる吐息。
黄色吐息は少し臭いそう。カレーを食べた翌日か?
緑色吐息は濃さによって状況は様々。
緑黄色吐息は、緑黄色社会の歌声のこと。
黒色吐息は相手に聞こえない悪口、陰口か。

…もちろんこれらの言葉はすべて造語である。



 吐息は強く深く吐くものではない。そうなると深いため息は微妙に吐息ではない。Twitterなどでつぶやいたコメントも場合によってつぶやきでは済まないように…。

青息吐息は、いっそのこともっと深く深呼吸して吐息を飛ばした方がいい。状況は変わらなくても、状況の受け取りかたは少しは変わるはず。



青息吐息を変えろ落ち着くための深呼吸。
青息吐息のままなら状況は深刻。
携挙(ラプチュア)なんて起こらない結局。
今いる場所から始めるしかないなら積極。


……

おっさんがラップをやると、単なるダジャレになるようだ……。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第305回『問題の原因究明とその解決はどちらが重要か?』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第305回は『問題の原因究明とその解決はどちらが重要か?』

 問題が起きた時、『原因究明とその解決、どちらが大事か?』と聞かれれば、『両方大事』と答える人が大半だろう。だがこれは質問が少しぼやけている。

問題が起きた時、『原因究明とその解決、どちらが重要(優先)か?』と聞かれれば、どちらかを選択する必要がある。『両方重要(優先)』では答えにならない。



 実は『原因究明とその解決、どちらが重要(優先)か?』は答えが出ている。明らかに解決が優先である。重要度は

問題解決≧原因究明 

となる。何故なら、原因究明だけでは問題は残ったままだからだ。原因がわからなくてもとりあえず問題が解決すれば人は安堵する。が、原因がわかっても問題が解決していなければ、人は安堵することはない…。



 問題解決のための原因究明
問題が解決した後の(再発防止などのための)原因究明
これらはありえる。

問題と関係ない原因究明
原因究明のための原因究明

これらはありえない。



 解決を優先すべきときに、原因究明中(原因不明)を理由に解決を遅らせる。
原因はわかっているのに、解決を先延ばしにする。
…、よく見聞きする話。※先延ばしという問題解決法もあるにはあるだろうが…。


原因がはっきりしない時の何らかの解決策(対策)
それが決断を求められる人の考えるポイント。まあ、原因がはっきりしないで起きている事柄=問題なのだが…。人生は決断の連続である。




「ドーナツ」=『『原因究明とその解決、どちらが重要(優先)か?』は答えが出ている。明らかに解決が優先である。重要度は

問題解決≧原因究明 

となる。』

「ドーナツの穴」=『原因がわからなくてもとりあえず問題が解決すれば人は安堵する。が、原因がわかっても問題が解決していなければ、人は安堵することはない…。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第304回『平穏な一日がニュースになる』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第304回は『平穏な一日がニュースになる』

 本来、「いつもと違う何か」がニュースであり、ニュースになる。が、いつもと違うことが起き続ける昨今では「何も起きない」「平穏な一日」がむしろニュースに思える。



 過去とは違う瞬間(いま)を探し続けるのがマスコミの宿命
刺激を求めるのが人間の性




 見方によっては、命の危機すら「消費される情報」となっている。すぐ隣にある危機が、自分とは関係ないような感覚…。危機も怖ろしいが、危機との希薄な関係性こそより怖ろしい。

緊急事態宣言に慣れる…、なんてことは当事者ならありえない。どこか絵空事、他人事だと「思える」から慣れるのである。



 『今日のわんこ』ですら、過去の放送分をレジェンドとして放送している…。平和な映像だが、『今日のわんこ』ですら平穏には済んでいない。それが、今の日常である。



「ドーナツ」=『「いつもと違う何か」がニュースであり、ニュースになる。』

「ドーナツの穴」=『『今日のわんこ』ですら、過去の放送分をレジェンドとして放送している…。平和な映像だが、『今日のわんこ』ですら平穏には済んでいない。それが、今の日常である。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第303回『名前だけでも覚えて帰ってください』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第303回は『名前だけでも覚えて帰ってください』

 『名前だけでも覚えて帰ってください』誰が言い始めたかは定かではないが、漫才の枕でよく使われる言葉である。『顔と名前だけでも…』などという場合もある。



 名前を覚えるということは「名前だけ」を覚えるということではない。名前から想起されるものも含めて覚えるということである。何でもいいからとにかく知ってもらうこと。これが第一。知られていないことはないのと同じ……。



 一度あるイメージで覚えられてしまうと、そこからイメージチェンジを図るのは相当難しくなる。…と人は考えがちである。だから最初の一歩、初手に悩む人も多い。もちろん、最初の一歩の為の周到な準備は大切だが、まずは小さくても踏み出すことである。始めないと始まらない。



 一度あるイメージで覚えられてしまうと、イメージチェンジをするのは難しくなるのは事実。だが、そもそも「覚えられること」「記憶に残ること」自体が相当難しいのだ。

『名前だけでも覚えて帰ってください』と、結構な数「漫才の枕」で聞いたが、僕が実際に覚えている漫才師はそう多くない。



 イメージが固定するとイメージチェンジは確かに難しい。だが現実は、イメージチェンジするイメージすら残らない場合も少なくない。イメージチェンジが難しいというのは何らかのイメージを相手に残せたということでもある。それはそれで、すごいことなのだ。良し悪しはともかくとして……。


 イメージの固定を恐れる以前に、まずは何らかのイメージが相手に残ることが肝心。そのための言葉が『名前だけでも覚えて帰ってください』である。もちろん十分に知られた人が、「自戒と謙遜の意味を込めて」とか、「単なる語感、リズムで選んだ」というのもあるだろうが。


「ドーナツ」=『名前だけでも覚えて帰ってください』

「ドーナツの穴」=『イメージが固定するとイメージチェンジは確かに難しい。だが現実は、イメージチェンジするイメージすら残らない場合も少なくない。イメージチェンジが難しいというのは何らかのイメージを相手に残せたということでもある。それはそれで、すごいことなのだ。残ったイメージの良し悪しはともかくとして……。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

自分を繊細だという人は本当に繊細なのか?

 繊細な人の繊細エピソードに出くわすことがある。話を聞けばなるほど、エピソードは繊細である。
が、それをオープンにできる神経は繊細なのだろうか?…と考えてしまう。

本当に繊細な人の繊細エピソードに触れるのは難しい…。



 関係性から考えても、繊細エピソードが事実なら僕には話さない方がいいし、繊細エピソードが創作、盛った話なら間違いなく本人は繊細ではない。

僕に話をした方がいいか繊細に考えた方がいいし、繊細アピール?は、少なくとも僕には届いていない…、と話を聞きながら考えてしまった。



 繊細な人についてよく感じるのは、繊細さが向かう先以外には鈍感だったり、あるいは繊細さが向かう先以外には気が回らなくなるくらい繊細であるということ。見方や状況によっては粗雑、大胆、鈍感な行動をしていることが多いということ。

繊細さが過ぎると、大胆(粗雑)な人よりも大胆に見えることがある。


 繊細さの極近距離にある種の鈍感さ(粗雑さ)が同居している。繊細とはそういうことなんだろう。ということは、鈍感さ(粗雑さ)の極近距離にはある種の繊細さが潜んでいるということでもある。



 とまあ、粗雑に「繊細」について考えてみたが、繊細に関する繊細さは僕には少ないようである。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第302回『備えと蓄え』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第302回は『備えと蓄え』

 備蓄なんて言葉もあるが、備えと蓄えは同義ではない。通常は、備えの一部に蓄えがある。蓄えだけで備えが完了するわけではない。



 過ぎた蓄えに対しては、不要な管理が増える。商いには、適正在庫なんて言葉もあるくらいだ…。当然、不要な蓄え≒不良在庫は蓄えではない。



 備えと蓄えを混同すると悲劇である。備えているつもりで蓄えているだけの人もたまに見かける。備えるために蓄えていたのが、「蓄えるために蓄えている」に変化していることに本人は気付かない。当然、蓄えても備えが不十分となる。悲劇、いやっ、傍から見れば喜劇にも映る。



 一方、備えるにもコストがかかる。
想定できる最大限の脅威に備えるコスト。
その備えを維持するコスト。
……

想定を下げる、あるいは維持期間を短くする。備えるコストを下げるにはそれしかない。生きること(人生)に備えるのが、難しいのは当然である。



 脂肪も飢餓に備えるために蓄えているものが、いつの間にか不良在庫化している。不要に蓄えようとするのが生き物の性…。放っておいても「蓄える」方向に人は動く。浪費や中毒といった蓄えとは逆に思える行動も、本来「蓄えられないもの」を蓄えようとしているからハマる。刹那の満足、快楽を永遠に…、は不可能。絶対に続かない、蓄えられないから刹那なのだ。

そう思うと備えるには「捨てる」「整理する」といった方向付けが必要になる。世界的な宗教や哲学の多くも執着や固執を「捨てる」方向に志向する。



 知性(理性)によって「備蓄」することを覚えた人類の「蓄え」が暴走するのは感性(野生)によるもの。

野生化した「蓄え」を理性によって調整しようとするのが「捨てる」ということ。

不必要なものを「捨てる」という理性が生み出すのが、ポイ捨てや不法投棄といった野生化した「捨てる」という行為。



 備えはバランス。蓄えはそのバランスを調整する一部分である。蓄えだけでは備えられない。




「ドーナツ」=『備蓄なんて言葉もあるが、備えと蓄えは同義ではない。』

「ドーナツの穴」=『備えはバランス。蓄えはそのバランスを調整する一部分である。蓄えだけでは備えられない。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

人生に下り坂はない

 人生に下り坂はない。勾配はともかく上り続けるしかない。それが人生だ。下り坂≒下降線をたどるのは、人生ではなく自分の調子や勢い、能力だ。



 人生の辛いところは、いずれ調子や勢いが下降線をたどることになる自分で、上り続けるしかないところにある。だから多くの人は、自身の下降スピードを緩やかにするように抗うか、人生の勾配を変えるため、ルートを変える。
※終活は、人生の上り坂を上りやすくするために荷物を減らすような活動でもある。



 上り調子の時は、人生が上り坂であることに気づかない。
勾配が急激に変化することもある。
勾配が変化しなくても、自分の調子、勢いが変わることもある。

その時に人は、上り続けるしかない人生に気づく…。



 実は、人生には頂点もない。何かのきっかけで頂点だと勘違いしたところは、上った人がいないかごく少数なだけ。必ず続きがある。そして勾配がともかく必ず上り坂である。



 必ず下る、必ず下降線をたどるのは自分の調子、勢い。人生は、後戻りのできない一生続く上り坂。
人生に下り坂はない。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第301回『シンプルイズベストは結果論である』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第301回は『シンプルイズベストは結果論である』

 シンプルイズベストは結果論である。ベストなことが、たまたま結果的に「シンプルに見えた」だけだ。



 メーカーは発信する情報や商品を、シンプルにするために相当複雑なことをやっていたりする。あるいはシンプルに見えるが、相当な数の手数や部品が内蔵されていたりもする。複雑さを誰かが、何かが引き受けているから受け手、使用者はシンプルだと感じている場合も少なくない。



 単純に発信する情報や商品をシンプルにすればいいというものでもない。受け手がピンとくるシンプルさが必要。受け手の納得があれば十分なのだ。それこそシンプルに書けば、

『伝わる、売れるならシンプルかどうかは問題ない』

そういうことだ。発信する側のこだわりが「シンプルに」伝わるようにするためにコンテンツやプロダクトの「シンプルさ」が必要な場合があるだけである。

シンプルな愛の告白も、複雑で凝った愛の告白も、告白が上手くいくかどうかは別として、伝わればOK。伝わらなければシンプルかどうかに意味はない。

伝わったかどうかをシンプルに判断する必要はあるが…。



 シンプルイズベストは結果論である。ベストなこと、ベストなものがたまたまその時はシンプルだっただけ…。



「ドーナツ」=『シンプルイズベストは結果論である。』

「ドーナツの穴」=『ベストなこと、ベストなものがたまたま今回はシンプルだっただけ…。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

3ヵ月980円の保険料でコロナに感染すると10万円もらえる保険

 第一生命がネット上で販売していた『コロナminiサポほけん』の話。2021年9月1日から一時的に販売が中止されているとのこと。2万人以上が保険に加入していたらしい…。



 ちょっと乱暴に計算してみる。

980円で3カ月の保険料だから、1か月換算で約327円
1カ月を30日とすると、一日約11円
一日約11円の保険料で、コロナに感染した場合は10万円の保険金が支払われる保険ということになる。

加入者が2万人とすると、一日あたりの保険料収入は、2万人×11円=22万円
3ヵ月の加入期間で、加入者のうち一日2人を超える人数が感染すると完全に赤字になりそうな状況だ。
※実際は経費等を差し引く必要があるので、もっとシビアな数字になるなのだろうが…。
※加入時期も違うのでもっと大変な状況だと思われる。しかも感染状況が悪化しないと加入者は増えにくい。感染状況が悪化すれば、保険金支給する必要がある確率も高くなる。むっ、難しい…。
※『コロナminiサポほけん』は感染状況に応じて、保険料は増減するしくみになっている。


 思ったより加入者が増えなかったのか、思った以上の感染状況になったのか、それとも、利益より「話題」になることを優先した保険だったのか…。はたまた別の理由が…?



 それはともかく、

『濃厚接触者と認定を受けて、陰性で無症状なのに自宅待機』

現役世代が上記の状況になると、本人も雇用側を含んだ周囲も結構つらい。零細企業ならなおさらだ。
上記の状況で、ワクチン接種が終了していても、自宅待機期間は現状では短くはならないようだ…。上記の状況は、生命保険や公的保険等で保障されにくい状況なのである。






 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

体験を超える

 試食、試飲、試着、試用、視聴、体験入学、体験学習、インターンシップ等々…。人が購買などの行動を起こすきっかけとして、実際に「体験」することがいかに効果的であるかという証明である。VR、ARも「体験」が売りである。



 実際にモノがあれば体験は可能である。がモノがない、情報だけのものもある。生命保険などがそうである。

モノがないものは体験してもらうのは難しい。生命保険加入体験なんてものは基本ない。だから、無料で加入できますよと無料加入を勧めて、個人のより詳細な情報を集め、その情報にあった保険をすすめる…。…なんてことをやっているくらいだ。

※体験談という手法もある。体験談は体験できない、しにくい、するのに抵抗がある、などといった場合に体験した感じを伝える、あるいは抵抗感を下げるのに効果的だと思われているから通販などで多様される手法である。



 コロナワクチン接種も実際に打つことは可能だが、お試しというものが存在しない。試しにワクチン打ってみた…、などということが基本出来ない。

で、感染を抑制するために接種率を上げるのが最優先事項となるので、「無料」で打ってもらおうとなる。



 生命保険もコロナワクチンも、実際に使用後、利用後に手に入るのは一番ベストでも「(これまでの)日常」止まり。失われた日常は貴重だと思う人も多いが、コロナの場合、緊急事態宣言下でもこれまでの日常を謳歌している人もいる。
※2021年7月の日本国内の宿泊者数は3000万人を超えていた…、なんて話もある。

「ワクチンを打たないと日常が戻ってこないですよ」「ワクチンの接種率が高くなれば、日常が取り戻せますよ」と言われても、「そこそこの日常は過ごせてますけど」で終わりである。



 日常を失ったという体験がなければ、日常を取り戻したという体験はできない。ワクチン接種が進むには、体験を超える「何か」が必要である。それが所属感なのか、連帯感なのか、お得感なのか…、それとも罪悪感なのか…。何にしても、打ちたい人が打てる体制が急務なのだろう。少なくとも打つことに興味のない人の興味を引くことよりも。





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

恐怖は迫りくるもの 接近と近接

 近づいてこない恐怖というものはない。自分に関係のない遠い、近づくことのない世界で起きていることに恐怖を感じることはまずない。



で、迫りくる恐怖の話である。恐怖そのものには意思はない。恐怖「が」自ら近づいてくること、恐怖が「接近」することはない。

が、突然恐怖「は」迫りくる。気づいたときに近くにある。恐怖「は」突然近接するから怖いと言える。こちらのペースで距離感を取れる恐怖はない。



恐怖の対象に近づくのは何らかの「興味」や「必要性」があるからだ。恐怖そのものに接近しているわけではない。結果的に恐怖に近接しているのである。恐怖は突然近接に現れる。



恐怖は出てくるTPOが完全にはつかめない。だから怖い。TPOを測れるもの、測れる距離感にあるものは怖くない。



コントロール出来る接近、コントロール出来ない近接。コントロール出来ると接近していたら、思っていた以上に近接していた。それが恐怖になる。恐怖である。
恐怖は迫りくる…、迫ってくるわけでもなければ、迫っていけるものでもない。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第300回『不満』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第300回は『不満』

 不満があるところでは、それが解消できるかどうかはともかく、解消する方向に力が働きやすい。逆に満足している状況がもしあるならば、そこから別の方向、別の場所に動き出すような力は働きにくくなる。不満がビジネスの種なんていわれるのはその為である。



 不満が解消されれば「満足」…、ということにはならない。その時々の状況で新たな「不満」が生まれるだけである。

不満が人を動かす。
少しでも満足する方向に。
だが、満足してしまうと人は動かなくなる。
で、満足できないように人(の欲望)は設計されている。
……


 不満をコントロールすると満足が得られる。人(の欲望)の設計上、不満があることが常、だがそこに同時に満足もある。不満な状況、満足な状況があるのではなく、状況を不満と思うか、満足と思うかということだ。事と次第によって変わるが、「不満を持てることに満足」なんてことも十分ありえるのだ。



 新型コロナワクチンに異物が入っていたという情報がある。入っていたことに不満を感じる人も多いと思う。だがその情報が安心して発信され、受信できる場所(国)にいる。それは一時的にでも『満足できること』ではないか?

異物が入っていた情報を隠すような場所(国)ならば、入っていたという事実があるのに、不満は起きない。もし現実にそういうことがあるならば、それはそれで怖い話である。


 今持っている不満が、「不満として持てている」状況であることは、満足すべきことの一つではないだろうか?そこからどこに向かうかは、その持っている「不満」次第だが……。






「ドーナツ」=『不満が解消されれば「満足」…、ということにはならない。その時々の状況で新たな「不満」が生まれるだけである。』

「ドーナツの穴」=『今持っている不満が、「不満として持てている」状況であることは、満足すべきことの一つではないだろうか?そこからどこに向かうかは、その持っている「不満」次第だが……。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第299回『身も蓋もない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第299回は『身も蓋もない』

 『身も蓋もない話』が出来る関係性は、

そんな話くらいではびくともしない関係

あるいは

その話で関係性が終わっても話す側がびくともしない

などといったものだ。ほとんどの場合、身も蓋もない話をしても壊れないか、(すでに、もとから)壊れているかのどちらかである。



 通常は多少なりとも身も蓋もある。いや最悪でも身か蓋くらいはあるだろう。どんなに透け透けでもオブラートで包むし、包んでくれている場合が圧倒的に多い。となると、『身も蓋もない話』を何らかの場面で話したことがある人は結構珍しいということになる。



 だが、現実にはそういう人から『身も蓋もない話をした体験談』を聞くことは難しい。一つは本人の自覚的には『身も蓋もない』と思っていても、実際は結構無意識に相手に気を使って話しているのがその理由。

さらに、『身も蓋もない話をした体験談』を話し合える関係性(あるいは無影響で無関係)が担保されることがそう多くないということも挙げられる。


 『身も蓋もない話の体験談』を聞くには、自他ともに忖度しない人物とよほどの関係性(あるいは無影響で無関係)じゃないとなかなか聞けないという身も蓋もない話になる。まあ、せめて身か蓋があるうちに…、というのがぎりぎりの渡世になるのだろうが。
※SNSのコメント欄などでは、それこそ無影響で無関係が担保されていると思われがちなので、それこそ表現が身も蓋もなくなることが多くなる傾向がある。





「ドーナツ」=『『身も蓋もない話』を何らかの場面で話したことがある人は結構珍しい』

「ドーナツの穴」=『『身も蓋もない話の体験談』を聞くには、自他ともに忖度しない人物とよほどの関係性(あるいは無影響で無関係)じゃないとなかなか聞けないという身も蓋もない話』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ブックスタンドを冷凍庫で使う

 「ブックスタンドを冷凍庫で使う」は整理収納では、割とメジャーな手法の一つである。
ブックスタンドを「本立て」と見るか。
何かを「立てて収納するもの」と見るか。
何かを「分類して整理するもの」と見るか。
等々……



 「ブックスタンドを冷凍庫で使う」は実際使ってみれば、使い方も簡単ですぐ応用できる。だが、それを思いつくのがポイント。もっと言えば(無料で)その思いつきを共有したのがポイント。思いつきを思いつきだけで終わらせない。思いつきを(ネット上などの)信頼に変えているといったことが素晴らしい。
……



 アレンジ、リメイク。言い方はともかく見方を変える。変えてみる。そのことの価値を殊更感じる好例の一つが「ブックスタンドを冷凍庫で使う」である。
※整理収納のテクニックには、そういったものが非常に多い。使い方もそうだが、むしろ「見方」の参考にしている。




 何かの使い勝手が悪いのは、使い方が悪いのが一つ、使う場所を間違えているのが一つ。そして、そのものの見方を固定しているのもその一つ。とりあえず見方を変えてみるだけなら、そんなにコストはかからない。コロナ(禍)の見方も、自分自身の見方も…。『見方を変えて、味方につける』といったところか。知らんけど……。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第298回『有言不言はともかく実行』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第298回は『有言不言はともかく実行』

 結論から言えば、何事を為すにしてもまずは実行あるのみ。ただそれだけである。時々、『頭を使っている、実働部隊は別だ』なんてことを言う人もあるが、その人は、実働部隊がきっちり実働するまで本当に頭を使い切っているだろうか?

そもそも頭も身体の一部。とすると頭を使っているから身体を動かさなくてもいいというのは微妙である。充分に(身体の一部である)頭を使っていれば、そもそもそんな物言いをする必要は多分ない。



 実行するうえでちょっとだけ気にした方がいいのは、
『実行しているように見える』
『実行していることが周囲にわかる』

ようにすべきということ。影の努力とか、裏ではちゃんとしているとかではない。何もわざわざ影とか裏にする必要はない。あからさまに、あざとく表に出すのはやり過ぎだと思うかもしれないが、自分から隠す意味は少ない。いやむしろ、少しはあざとく出す…、くらいが今の時代は必要かもしれない…。

実行しても結果が出るとは限らないが、実行したことは必ず誰かが見ている。いや、見ていると思って実行した方がいい。



 実行した結果は大事。だからといって経過はどうでもいいわけではない。
結果が出なくても「実行した経過」=「実行した事実」は残る。
結果にこだわり抜いて、実行した経過は、すでに十分な結果の一つである。




「ドーナツ」=『何事を為すにしてもまずは実行あるのみ。ただそれだけである。』

「ドーナツの穴」=『結果が出なくても「実行した経過」=「実行した事実」は残る。
結果にこだわり抜いて、実行した経過は、すでに十分な結果の一つである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第297回『長渕カットにこだわった美容院』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第297回は『長渕カットにこだわった美容院』

 滋賀のとある場所にある美容院がTVで取り上げられていた。そこは長渕剛さんのファンが集まる美容院である。長渕さんの髪形を年代、アルバム、ライブ等でオーダーできるらしい。

一日のお客さん10人のうち、3〜4人が長渕カットを依頼するとのこと。しかも全国からお客さんが来る。マスターの髪形はもちろん、店内、BGM等も長渕一色である。カット後にギターで店内で大合唱になることもしばしば…。



 こだわりがフックになり、注目を集める。当然「取り上げやすい」ということにもなるから、取材も増える。※実際、この美容院の情報は何度もTVで見ている。



 一番気になったのは、『お客さん10人のうち、3〜4人が長渕カットをオーダーしている』という話。
裏返せば、
『お客さんの7割前後は通常のオーダーでカットしている』
ということ。

そうこのお店、長渕カットで有名だが、長渕カット(だけ)でやっているわけではないのだ。地域できちんと根を下ろした美容院。それに「長渕カット」というこだわりがプラスされている。確かな下地にこだわりがプラスされている。ありきたりな表現だがそういうことだ。



 長渕カットの精巧さを引き出すのは下地としての確かな技術。
さらに長渕カットへのこだわりが、それを支える技術をより高める。
下地が先か、こだわりが先かはともかくとして、理想的な回転だと思った…。



「ドーナツ」=『長渕カットで有名な美容院で、お客さん10人のうち、3〜4人が長渕カットをオーダーしている』

「ドーナツの穴」=『裏返せば、「お客さんの7割前後は通常のオーダーでカットしている」確かな技術のある美容院であるということ。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第296回『元通り』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第296回は『元通り』

 コロナの前と後で日常が変わった。言葉では理解できる。が、「元通り」になることをどこか望んでいる…。そのギャップが息苦しさになる…。生き苦しさになる…。



元通りにはならない前提で日常を再構築する。言葉では理解できる。元通りにはならなくなってから、元の日常の価値を知る。



どんなに精巧に復元しても、元通りには本来ならない。いや、絶対ならない。各々が受け入れられるだけの変化、あるいは気付かないレベルの変化、それがいわゆる元通りである。



受け入れられる変化の幅が広がれば、元通りは手に入れやすくなる。変化を全て受け入れて前に進むとすれば、そもそも元通りなんて関係なくなる。手に入れられる『元通り』は、受容できる変化に左右されるようだ。




「ドーナツ」=『どんなに精巧に復元しても、元通りには本来ならない。いや、絶対ならない。』

「ドーナツの穴」=『各々が受け入れられるだけの変化、あるいは気付かないレベルの変化、それがいわゆる元通りである。手に入れられる『元通り』は、受容できる変化に左右されるようだ。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第295回『本当の綺麗事は綺麗である』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第295回は『本当の綺麗事は綺麗である』

 体裁、表面だけを整えた事を綺麗事と言う。また、体裁、表面までもきちんと整えたことも綺麗事である。表面『だけ』なのか、表面『までも』なのか…?それが問題だ。



 時代は表面『だけ』の表現で、綺麗事を使うことが圧倒的だ。だが、そう思えても実際は表面『までも』きちんと整えている、事や人も存在する。綺麗事が単なる綺麗事なのか?それとも綺麗事が本当に綺麗なのか…?それを見極める能力が、受け手にも求められている。強く求められる時代である。



 他方体裁、表面まで手の回らない『綺麗』も存在する。それを見極めるのも受け手の能力である。忘れてはならないのは発信者自身も、受け手の一人だということ。自分の発信した綺麗事に、本当の『綺麗』はあるだろうか?



 本心を伴わない耳触り(耳障りではない)の良いことが綺麗事だけではない。綺麗な綺麗事も存在する。体裁、表面『までも』整えた綺麗事は本当に綺麗である。



「ドーナツ」=『体裁、表面だけを整えた事を綺麗事と言う。』

「ドーナツの穴」=『体裁、表面までもきちんと整えたことも綺麗事である。表面『だけ』なのか、表面『までも』なのか…?それが問題だ。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第294回『思い切り』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第294回は『思い切り』

 今の自分で考えるだけ考えて、考え切って、文字通り思い切ってから次の行動を起こす。それが思い切りである。考えても答えがない、答えが出ないと『あきらめて』思い切るということもある。



『思い切りが良い』はポジティブな意味合いで使われることが多い。が、場合によっては『思慮が浅い』ということでもある。大胆に行動した結果が良かった場合だけ、『思い切りが良い』といわれるのである。



 ふと思うと、『結果は気にせず、思い切ってやってみろ』というのはちょっと言葉足らずな印象になる。もし言い替えるならば、

『まず今の自分で思い切ってやってみろ。で、結果から学べば「良い思い切り」になるから。』

上手い表現ではないが、そんな感じだろうか…?



 今の自分で考えるだけ考える。まず思い切る。
で考え切ったら、『思い切って行動』。
その行動の結果から学ぶ。
そして次からの行動によって、思い切りを『思い切りが良い』に変えていく。
先に『思い切り』があって、後に『思い切りが良い』がついてくる。
その『思い切りが良い』が、次の『思い切りが良い』を作っていく…。
最初は徹底的に思い切る(考え抜く)。それ以降の思い切りに良いも悪いもない。その後良くしたかどうかである。


「ドーナツ」=『『思い切りが良い』はポジティブな意味合いで使われることが多い。が、場合によっては『思慮が浅い』ということでもある。』

「ドーナツの穴」=『最初は徹底的に思い切る(考え抜く)。それ以降の思い切りに良いも悪いもない。その後良くしたかどうかである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

気候のルールが変わった

 原因はともかく、日本の気候のルールは変わった。昨今の雨の状況を見てそう思う。

(激しい)雨が「降り続く」…。雨が恐ろしい、いや雨だけで恐ろしいのである。



 数十年に一度の災害、なんて表現は使い古されているが、その規模の災害が確実に毎年日本各地で起きている。古いルールのままでは対応できないのは明らか。気候のルールが変わったことの認識、それにともなう対応のルールの変更は必要だが、まずはどこまでいっても現実の安全確保が第一。

「逃げる」「避ける」をできるだけ迅速に…。このルールは変わってはいない。



 お盆で帰省した先で、今回の雨の被害にあって亡くなった人がいると聞いた…。

『雨くらい大丈夫』というルールはもはや通用しない。
『雨でさえ危ない』、『雨だから危ない』という意識、ルールに変更すべき状況のようだ。

自然のルールは絶対である。それが突然のルール変更だと思えても…。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第293回『適切』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第293回は『適切』

 適切な対応 適切なコミュニケーション
属する組織、遂行すべき内容によって、これらが大事であることはよくわかる。が、「何か適切か」を説明してくれる人や本はまずない。※多くの場合、発信者や作者の問題ではなく、その後の責任問題を回避するために表現を曖昧にしていることもあるらしい。



 適切な挨拶方法があるとする。その挨拶方法が適切かどうかは挨拶してみないとわからない。当然通用しない場合もある。その場合はやり方を変える必要がある。※あくまでもその組織や集団に所属したい場合であるが。



 いわゆる人の意見や本の「適切な〇〇」というノウハウは、
・たまたまその人(の周囲)だけ通用したやり方
・ある程度ははまる、あるいは外れないやり方

といった程度の適切さである。

『見聞きした適切な〇〇を実行したからといって、それが最適だとは限らない』

それを知るだけである。



 最適な答えは、自らの行動、加えて継続的な行動でしか得られない。継続的に行動しながら修正。それしかないのである。自らを修正するか、属する集団を変えるかはともかくとして…。

たまたまとった行動が組織内や業界でハマった人の意見は参考程度にして、きちんと『自ら』行動するのが「適切」なのかもしれない。やり方よりも、やった後の結果の受け止め方と行動が大事なのである。


「ドーナツ」=『適切な対応 適切なコミュニケーション
属する組織、遂行すべき内容によって、これらが大事であることはよくわかる。が、「何か適切か」を説明してくれる人や本はまずない。』

「ドーナツの穴」=『たまたまとった行動が組織内や業界でハマった人の意見は参考程度にして、きちんと『自ら』行動するのが「適切」なのかもしれない。やり方よりも、やった後の結果の受け止め方と行動が大事なのである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

切り離すセンス、繋げるセンス

 『物事を関連付けて考えた方がいい』と聞くことがある。
逆に、『物事を切り離して考えた方がいい』と聞くこともある。
関連付けた方がいいときに切り離し、切り離した方がいいときに関連づける。なんてことが多いから、上記のような話が出てくるのだろう。



 要は物事を切り離すセンス、繋げるセンスが求められているわけだ。

「オリンピックと感染拡大」切り離すべきか、繋げるべきか…?
「コロナ感染と飲食店営業自粛」いつまで関連付けるか、いつから切り分けて考えるか…?

他にも、
「恋愛と結婚」
「収入と幸福度」
等々……



 物事を切り離そう、関連付けようと思ってすぐ出来るなら問題ない。だが現実はそうはいかない。だからせめて『切り離したらどうなるか?関連付けたらどうなるか?』それくらいは想像してもいいかも知れない…。

 科学的で厳密な関連性は必要な情報。だがそれにどう意味付けするかはその情報を使う人次第。最後は『人』に戻るのである。

 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第292回『微アルはリアルなアルコール』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第292回は『微アルはリアルなアルコール』

 微アルは、お酒を飲んだ気分をノンアルより味わえる。飲んでいる「気分」を飲んでいるように思える。
だが、微アルは本物のアルコールである。

微アルはリアルなアルコールです。



 微アルは健康志向、効率志向。飲みたいけど酔いたくはない。そういう思考から生まれたもの。
だが、本人に自覚がないだけで、多少なりとも酔いはまわっている。

微アルはリアルなアルコールだから…。



 気分を味わっているようで、健康を気遣っているようで、実はリアルなアルコール…。気分ではなくリアルであることを忘れてはいけない。



 気分とリアルを絶妙にブレンド…。それが微アルのおいしさなのかも…。





「ドーナツ」=『微アルはリアルなアルコール』

「ドーナツの穴」=『気分とリアルを絶妙にブレンド…。それが微アルのおいしさなのかも…。』



 今日はここまで。文責 江口
IMG_20191031_103727_3.jpg

好立地(立ち位置の話)

 立ち位置の話である。良い立ち位置を得るのは簡単ではない。だから、良い立ち位置を得るために力を注ぐ…、なんて方向の努力がある。

一方、何かのきっかけで自分の立ち位置が突然好立地になることもある。本人が今の自分の立ち位置を好立地にするように努力した。それが一つ。さらに偶然、これまで見向きもされなかったような分野が、運よくいきなり花形分野になったときなどだ。


 好立地、良い立ち位置を得るには、
好立地の場所に立てるように努力する。
自分の立ち位置が好立地になるように努力する。
運よく自分の立ち位置が好立地の場所になる。

この3つのうち、最低どれかは必要ということだ。※前提としてその場所に立てているということが必須だが。



 好立地は人気がある。つまりは人が集まるわけだが、何人が集まれば好立地なのか?そこを自分できちんと定義しておく必要がある。

ぽつんと一軒家でも、人によっては好立地。
十数万人の規模で人が集まるような場所も、人によってはまだ足りない。


 不必要に人が集まり過ぎたらろくなことはない。それは時世も証明している。
丁度いい場所。丁度いい立ち位置。それが好立地。
各々の立ち位置で丁度いいを定義する。適宜見直す。それも好立地に立つための一つの条件である。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第291回『本音で伝えているという建前』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第291回は『本音で伝えているという建前』

 『本音、本気で言っているという建前』はせめて守って欲しい。コロナ禍や今回のオリンピックの下、政府等の言動を聞いているとそう思うことが少なくない。



 建前は建前である。それは誰もがわかっている。たとえ建前だと相手に悟られているとしても、建前を通す必要がある場面もある。それもわかっている。

だが、本音、本気だと思わせる「何か」がないと、相手を動かすことは困難である。



 「自分も建前」、「相手も建前」で何とかなるなら状況はまだ深刻ではない。

建前で済まなくなってからがある意味勝負である。コロナ禍やオリンピックの運営はまさにそういった状況だ。

「自分も本音」、「相手も本音」…、とまではいかなくても、相手の建前を吹き飛ばすくらいの「本音っぽさ」は必要なのではないだろうか。



 建前は建前でいい。だから相手に建前と思われてもいい…、ではいけない。
「あっ、こいつ、本音(本気)だ」
と思わせるような言動が、今必要だ。その言動が、本音(本気)か建前かはともかくとして…。




「ドーナツ」=『建前は建前である。それは誰もがわかっている。たとえ建前だと相手に悟られているとしても、建前を通す必要がある場面もある。それもわかっている。』

「ドーナツの穴」=『建前は建前でいい。だから相手に建前と思われてもいい…、ではいけない。
「あっ、こいつ、本音(本気)だ」
と思わせるような言動が、今必要だ。その言動が、本音(本気)か建前かはともかくとして…。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第290回『三日で慣れる、三日で飽きる』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第290回は『三日で慣れる、三日で飽きる』

 〇〇も三日で慣れる。〇〇も三日で飽きる。ルッキズムの観点から考えれば、明らかに不適切な表現である。



 慣れるのも飽きるのも「判断する側」「決める側」「強者」。いわば加害者側である。慣れるのも飽きるのも、ある種の鈍感さからきている。加害者側は相当敏感になった方がいい。



 他方、「判断される側」「決められる側」「弱者」。いわゆる被害者側から見れば、見た目で判断され、勝手に慣れたり飽きられたりしたらたまったもんじゃない。だが、被害者本人がこの問題に敏感になればなるほど、逆にこの問題が先鋭化していくという側面もある。被害者側は少しだけ鈍感になれるなら、なった方がいいのかもしれない。



 三日で慣れたり飽きたりするものに価値を置いたり、引きずられたりするのはどうかと思う。

「お互い、相手のことにはもっと敏感に。自分のことには少しだけ鈍感に」

くらいのバランスで生きていければ少しは良い方向に進むのではないかと思う。
何にしても、三日で飽きたり慣れたりする判断基準に重きは置かない方がいい。



「ドーナツ」=『慣れるのも飽きるのも「判断する側」「決める側」「強者」。いわば加害者側である。』

「ドーナツの穴」=『三日で慣れたり飽きたりするものに価値を置いたり、引きずられたりするのはどうかと思う。「お互い、相手のことにはもっと敏感に。自分のことには少しだけ鈍感に」くらいのバランスで生きていければ少しは良い方向に進むのではないかと思う。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第289回『知らないやらない出来ない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第289回は『知らないやらない出来ない』

 知らなければやろうとも思わない。
やらなければ失敗することもないが、出来ることも絶対ない。
「やって出来ない」と「やってもない」は全く意味が違う。



 知るということは、知らなかったには戻れないということ。知らないを言い訳に出来なくなるということ。
知ることは一方通行。忘れることがあったとしても、知る前には戻れない。

戻れない怖さ以上に、知ることに魅力を感じてしまうように本能(好奇心)は設計されている。
何にしても、やるためには知ることから始まる。知ったからやりたくなるというのが本来の流れなのだが。



さて、知らないのか?
知っていてやらないのか?
知っていてやったけどできなかったのか?
知っていてやりきって出来たのか…?

今、どこに立っているのだろう…?


「ドーナツ」=『知らなければやろうとも思わない。』

「ドーナツの穴」=『知ることは一方通行。忘れることがあったとしても、知る前には戻れない。戻れない怖さ以上に、知ることに魅力を感じてしまうように本能(好奇心)は設計されている。何にしても、やるためには知ることから始まる。知ったからやりたくなるというのが本来の流れなのだが。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

モノマネのプロは未来を真似る?

 数人のモノマネタレントが、モノマネを上手くやるポイントを語っている場面を見かけた。それによると、とあるモノマネタレントは、『本人の言動ではないことをイメージして真似る』ことが他より頭抜けているのがすごいらしい。…ということであった。

……


 モノマネは基本「過去」を真似る。ある人が「やったこと」を真似ることからモノマネは始まる。存在しないもの、見たり聞いたりしたことのない出来事を真似ることは出来ない。



 だが、モノマネのプロの中には「未来」を真似る強者がいる。本人がやっていないこと、いっていないことを

『本人がやったことがあるようにモノマネする』

らしい。※善意あるモノマネだが、一瞬人間『ディープフェイク』みたいにも思えた。

オリジナルを離れながら、オリジナルを感じさせ、かつ実はモノマネのプロのオリジナル(モノマネされる本人のオリジナルではない)である。



 ある人のモノマネが流行すると、そのある人がモノマネに行動を寄せる…なんてこともままある。
※IKKOさんや美川さんのモノマネがその例
そうなるとオリジナルの未来を、モノマネが先行しているような状態にも見える。



 オリジナルの人に真似されるモノマネ…。オリジナルの人の言動と勘違いしてしまうようなモノマネ…。


 オリジナルの未来を真似るモノマネが、オリジナルになる。それが時として元のオリジナルの未来を作る。
これはエンタメだけに限らないこと。未来を真似るというモノマネタレントに、プロの仕事を感じた…。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第288回『謝らなくていい、多分…』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第288回は『謝らなくていい、多分…』

 大阪選手が3回戦で敗れた…。残念な結果だった。試合後のマネジメントを通じてのコメントで、「皆様の期待に応えることができずにごめんなさい」とあった。謝らなくていい、多分…。少なくとも個人的にはそう思う。


 期待している人が多かったのは事実かもしれない。が、それはそれである。期待したのも個人、期待されていると思ったのも個人だ。期待なんてものは極論すれば、する側は無責任なものだ。

勝手に期待する。で、勝手に落胆する(場合もある)。
実は期待される側も、勝手に背負って、プレッシャーに感じる(場合もある)。
…なんてことが往々にしてある。



 期待する人がほとんどいなかった時から、大阪選手は本気でテニスをやってきたはずである。それを知った誰かが「勝手に期待」をして、その期待に応え(続けてき)たから今がある。「勝手な期待」なのだから、謝らなくてもいい…。



 大阪選手に、謝ってもらえばならないと思う人がいるとすれば、期待以上の「何か」を期待していた人だ。それは期待ではなく多くの場合、投資(あるいは投機、ギャンブルといったこと)対象として大阪選手を見ていたからそう思うのだ。



 結果は残念だったかもしれない。だが、大阪選手、謝らなくていい。多分…。



「ドーナツ」=『勝手に期待する。で、勝手に落胆する(場合もある)。実は期待される側も、勝手に背負って、プレッシャーに感じる(場合もある)。』

「ドーナツの穴」=『大阪選手に謝ってもらえばならないと思う人は、期待以上の「何か」を期待していた人だ。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第287回『頭を使う』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第287回は『頭を使う』

 『頭を使え』とよく言われた。何なら今でも言われているかもしれない。残念ながら直接そういわれるような年齢はとうに過ぎたが…。



 よりよく「頭を使う」為に、毎日着る服を同じにして、あるいは決めておいて、決断の回数を減らしている…、なんて話を聞いたことがある。判断(決断)の回数を減らした分、他に『頭を使う』ためにそうしているらしい。
※とはいえ、全てをルーチン化しただけで悦に入り、頭を使わなくなったら本末転倒である。浮いた判断(決断)はきちんとどこかで使ってこそのルーチンである。



 目の前の問題、課題に対し、片っ端から反応しているようでは多分頭はうまく使えない。どう頭を使うのかに頭を使う必要がある。どこに、どこで頭を使うのか?それらに「頭を使う」時間をきちんと取る方がいい。



 問題を解く前に、「本当に問題なのかどうか?」を考える。
与えられた問題を解く頭の使い方ではなく、問題を見つけ出す頭の使い方が求められている…、ということなのだろうか?それが問題だ…。



 何にしても、「頭を使える」状況にあるというのは贅沢なこと。そう感じることが出来れば、自然と「頭を使う」ようになるのかも知れない。



 考えている場合じゃない…?本当にそういう状況なのかを考えてみるが「頭を使う」ということ。


「ドーナツ」=『与えられた問題を解く頭の使い方ではなく、問題を見つけ出す頭の使い方が求められている…、』

「ドーナツの穴」=『「頭を使える」状況にあるというのは贅沢なこと。そう感じることが出来れば、自然と「頭を使う」ようになるのかも知れない。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第286回『二兎を追うものは一兎も得ず』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第286回は『二兎を追うものは一兎も得ず』

 『二兎を追うものは一兎を得ず』は、2羽のウサギを同時に追いかけていては、1羽のウサギを獲ることは出来ないということから、物事に対し一つずつきちんと取り組むことの重要性を説く諺である。



 この諺、残酷だが一兎を追えば確実に一兎を獲れる…、ということを保証しているわけではない。一兎を獲ってから、次の一兎に意識を向けようという話である。つまり『一兎を追っても、一兎も得ず』だってあり得るわけだ。



 一つずつきちんと取り組んで、結果が出てから次の物事へ…。これは間違いではない。だが誰でも、「一兎ずつ追えば兎が獲れるよ」という結果が出るということではない。

兎が獲れない=「兎を獲る能力がない」

ということを知ることもまた結果の一つである。兎が無理なら他の獲物を考えましょうということだってあり得るということだ。



 二兎を追うものは一兎も得ず。
だが、一兎を追ったから一兎を『必ず』得られるとは限らない。
場合によっては一兎も追わず、追う獲物を変えるということも必要だ。

にしても、まずはきちんと一兎を追ってみることからである…。

 二兎を追える「天才」も、中には存在するかも知れないが…。





「ドーナツ」=『二兎を追うものは一兎も得ず。』

「ドーナツの穴」=『一兎を追ったから一兎を得られるとは限らない。
場合によっては一兎も追わず、追う獲物を変えるということもあり。
…にしても、まずはきちんと一兎を追ってみることである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

オクシモロン 東京オリンピックの開幕まではオクシモロンだらけ

「静かに盛り上がってくれ」
「集まらずに一体になろう」
「不安をあおる安全・安心という言葉」
「差別だらけの多様性」
「盛り上がっていないという騒ぎ」
「責任感のある無責任」
「辞退が多発するという一体感」
……
今年のオリンピック、開幕まではオクシモロンだらけ……。


 ここからはシンプルに「選手のプレイに感動」でありたいものである。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第285回『孤独を選べるうちが花 能動的孤独と受動的孤独』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第285回は『孤独を選べるうちが花 能動的孤独と受動的孤独』

 起き掛けのネットニュースで、人の孤独度を測る云々というニュース(本の宣伝)を見かけた。多くの人がそれまで測れない、数値化できないと思っている「孤独」を数値化して思考する。それも学問である。

……

孤独を、
能動的孤独=(いわゆる)孤独

受動的孤独=孤立

に分類すると、孤独を選べているうちは生活上の問題は少ないということがわかる。孤立してしまうと、様々な場面で生活上の問題が浮上することになる。だから、孤立しないようにというアプローチがある。他方、出来るだけ孤独を選べる期間を長くしようとするアプローチもある。※健康寿命とは、孤独でも大丈夫な期間とみることもできる。



 孤独とは言い換えれば自由※by椎名林檎
集団の中で「孤独」という選択肢を選べる自由があること。それを行使しても孤立しない状況は、非常に幸せな状況である。

死ぬ瞬間まで孤立しない、させない。(出来るだけ長く)孤独を選択できること。

一人じゃないが、一人でも大丈夫。一人でもいい…。目指したいのは多分そういうことである。




「ドーナツ」=『孤独には能動的孤独(いわゆる孤独)と受動的孤独(孤立)がある』

「ドーナツの穴」=『一人じゃないが、一人でも大丈夫。一人でもいい…。目指したいのは多分そういうことである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

魅力のなくなった場所

 ボランティアのユニフォームを街中で着用していると襲われるかも?なんて話が報じられたりしている。
さらに、大会関係者の数々の不手際、不祥事、不適切発言。
何より、コロナ禍でのオリンピックであること。
止めが、「開会式音楽担当の過去のいじめとそのインタビュー記事の話」だ。



 オリンピックに関わることが魅力的でなくなった。本来、オリンピックに関わることは魅力的であったはず。なのに、オリンピックに関わっていることが、どこか恥ずかしく、悪いことのような感覚が生まれている。



 魅力を取り戻す云々の前に、選手をはじめとした関わった人が「後ろめたさ」を感じるような場所にはならないようにしてほしいと思う。

誰かの利害に、別の誰かの誇りが汚されることだけはないようにと願う。
オリンピックがまだ誰かにとっての魅力のある場所であり、今後もそうであるならば…。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ゾンビ3原則

 ダークサイドミステリー「今熱い!ゾンビ人気の秘密〜恐怖と進化の90年〜」を再放送で見た。ジョージ・A・ロメロという監督が作った、ゾンビ3原則がその後のゾンビ映画やゲームの基礎となっているらしい。

その3原則とは

・ゾンビは生者を食らう
・ゾンビに噛まれるとゾンビになる
・ゾンビは頭部を破壊されないと死なない


大前提として、「ゾンビは死んだ人間」、つまり「ゾンビは元人間」というのがあるからこその3原則である。



 前提にしても、原則にしてもそれに従わない場合もある。がそれはそれでやはり「ゾンビ物」という括りになる。ゾンビを食らうゾンビとか、寿命の設定されているゾンビとか、噛まれてもゾンビにならない人?とか…。原則があるからそれを超越できるし、それがまたドラマになるわけである。



 自分の職業に3原則があったら…、と想像した。
次の瞬間、「日本の政治家3原則」なんてものも想像した。



 さらに想像した。ゾンビは腐っていくのに死なない(超長寿)の設定になっている。ならば、ゾンビをもし殺さなければ何歳まで生きるのか?さらに、

死なないゾンビと死にたいゾンビと死にたい私と生きている私

なんてラノベのタイトルみたいな表現を思いついた。多分「自殺をゾンビに止められた主人公が生きるとは?を見つめなおすような物語」になるのだろう。



 ゾンビがアイドルになって佐賀を救おうとする…、そんな時代である。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第284回『大人の…』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第284回は『大人の…』

 コロナ禍のご時世通勤途中にあった、とあるたこ焼き屋が廃業していた。しばらくすると「大人のおやつ」なる店が開業準備をしている…。



 「大人のおやつ」…?テイクアウトできる酒のつまみになるような食べ物だろうか?それならば、いっそのこと「大人のおつまみ」でもいいのではないか?いや、そもそも「子供のおつまみ」なんて、コンセプトはありえるが法的にはありえない。こどものおつまみは甘さを控えた普通の駄菓子である。……多分。
※駄菓子を大人がおつまみに…、なんてことは普通にあるだろうが。

「大人のおつまみ」は、「頭痛が痛い」と構造が同じなので、「大人のおやつ」とネーミングしたのかもしれない。



 「大人の…」という響きに、どこか淫靡で背徳感を感じる人も少なくないだろう。
幼少期には食べられなかった「毒(っぽい)物」「体に良くないもの」「苦味、三位の強めのもの」が大人になれば食べられる…。毒っぽさを「おいしい」と感じるようになる…。

大人になると味覚が敏感になるのではなく、鈍感になるからおいしく食べられるものが増えるなんて話もある。鈍感になって、場合によっては「死」を感じさせる味のものに近づけるようになる。

「危険を感じるが、短期的には危険でないもの」はどこか強烈な魅力がある…。



 他方、「大人の…」といった場合は、徹底的に健康志向に向かうものもある。この場合の「大人のおやつ」…?は糖質等を抑えたお酒のお供になる食べ物か?

とはいえ、カロリーハーフ、糖質オフだからいつもの2倍食べてしまった。ならば意味はない。糖質オフが役に立つのは一定の節制が出来る場合に限るようだ…。


ある種の危険≒死を感じさせるものが「大人の…」
死から遠ざかる≒長生きするためのものも「大人の…」

前者は危険が商品に人を惹きつけ、後者は危険から遠ざけることが商品に人を惹きつけている。
「大人の…」は、ある種の危険を相手に想起させてエッジを立てている言葉のようだ。



「ドーナツ」=『「大人の…」という響きに、どこか淫靡で背徳感を感じる人も少なくないだろう。ある種の危険≒死を感じさせるものが「大人の…」である』

「ドーナツの穴」=『他方、「大人の…」といった場合は、徹底的に健康志向に向かうものもある。死から遠ざかる≒長生きするためのものも「大人の…」である。「大人の…」は、ある種の危険を相手に想起させてエッジを立てている言葉のようだ。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第283回『逃げるもあり』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第283回は『逃げるもあり』

 逃げたい、逃げられるなら逃げてもいい…、という選択肢を持つことは重要である。
「逃げたいのに逃げられない」は最悪だ。
逃げることを推奨しているのではない。
選択肢としての「逃げ」を持つことを推奨しているのである。



 逃げられない状況で踏ん張って成長する…、ということもあるだろう。が、踏ん張ることと逃げられないことは同義ではない。踏ん張る意思があるからそこにとどまって踏ん張ることができるのだ。



 どんなに困難な状況でも、どこかに「楽しみ」「愛」「こだわり」があるから踏ん張れる。逆に言えば、どんな状況でも、どこかに「楽しみ」「愛」「こだわり」を見つけられれば踏ん張れるかもしれない…。



 逃げるという選択肢を持ちながら、そこに踏みとどまる答えを探す。見つかれば踏ん張れるかもしれないし、見つからなければ逃げるもあり。そういうことである。



 逃げが必ずしも悪手なのではない。逃げを選択肢に持たないことが悪手を生む大きな原因の一つになるのである。




「逃げたい、逃げられるなら逃げてもいい…、という選択肢を持つことは重要である。』

「ドーナツの穴」=『逃げられない状況で踏ん張って成長する…、ということもあるだろう。が、踏ん張ることと逃げられないことは同義ではない。逃げが必ずしも悪手なのではない。逃げを選択肢に持たないことが悪手を生む大きな原因の一つになるのである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

 雨具としての傘の場合、雨をさえぎるために使用する。
傘がいらないくらいの雨量なら、そもそも遮る必要もない。
遮ることが難しいくらいの雨量なら逆に傘は役にたたない。
雨量が少なくても、多すぎても傘は使えない、使わないということだ。

『傘を使うのに丁度いい雨量』

がある。



日本人は諸外国の人に比べ傘を使う頻度が多いと耳にしたことがある。
国民性もあるのだろうが、傘を使う使わないは個人差もかなり大きいように思う。

濡れてもいい、濡れたいと思えば傘はいらない。
本気で濡れたくなければ、雨天時は外出しないだろう。



 丁度いい雨量というのはどこまでいっても自分の都合。
雨量は予想や測定は出来ても、コントロールは困難である。
そう思うと「治水」というのは相当難しいミッションである。



 ステンドグラス柄のビニール傘を買った。雨具なのに光に映える傘。
日差しがあると光を透過し、地面に美しい影が出来る。
本来の用途でない時に垣間見える美しさが面白いと思った…。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

初戦敗退できるのは試合に参加できているからだ

 試合などで敗れるのは悔しい。それをばねにして次につなげる…。あるいは、敗戦のショックをいつまでも引きずることもあるだろう…。


 だが、見方を変えれば、試合には参加できているからこそ「敗退」できるわけだ。昨今のコロナの状況下で、スポーツにしてもロッキンなどのフェスにしても中止が相次いでいる。

『負けることすらできないまま終わる』
『失敗さえも経験できない』
なかで涙を呑んでいる人も多い。


……



 「敗退できた」ならば、「挑戦できた」わけである。で、今そこに立ち位置があるならば、そこからまた歩き出すこともできる。コロナによって、歩みを止めざるを得なかった人もいる。



 敗戦の痛みや苦しさはもちろんある。だが、(まだ)立ち位置があるなら、(また)立ち上がれるなら、(再び)歩き出すことができるなら、その喜びにも目を向けた方がいい。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第282回『騒音を拾って声を拾わず』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第282回は『騒音を拾って声を拾わず』

 ラウドマイノリティという言葉がある。
サイレントマジョリティの対義語である。
ノイジーマイノリティなどという言葉もある。



 少数派の意見が、拾うべき声なのか、単なる騒音なのか?それを見極めるのが「声を拾う側」に必要な能力の一つであることは間違いない。だが、単に声の大きさで拾うか拾われるかが、決まることも少なくないのが現実。



 騒音なのか、拾うべき声なのかを判別できるAIがあれば、この問題は解決する。そんなAIをプログラミングできる人間がいればの話だが…。

いや、多分プログラミングは不可能ではない。が、このAIは完全にはならないのでAIの「拾った」声の結果の、責任をとる人間が必要になる。そんなものには誰もなりたがらない。だからこのAIは可能でも実用化しない可能性が高い。

※そもそもAIが示すのは計算結果であって「正解」ではない。確率的に云々という話である。



 一方で「声を上げる側の人間」の問題も当然ある。要するに声を上げている人間側も自分の意見が、騒音なのか、声なのかを見極める必要があるということだ。


 騒音を声のように扱う声を上げる側…
声を騒音と同じように処理してしまう声を拾う側…
「騒音を拾って声を拾わず」の状態はそうして起こる。

声を出すのも聞くのも簡単に拡がる時代だからこそ慎重に…



「少数派の意見が、拾うべき声なのか、単なる騒音なのか?それを見極めるのが「声を拾う側」に必要な能力の一つであることは間違いない。』

「ドーナツの穴」=『騒音を声のように扱う声を上げる側…
声を騒音と同じように処理してしまう声を拾う側…
騒音を拾って声を拾わずの状態はそうして起こる。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第281回『主役と脇役』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第281回は『主役と脇役』

 主役がいて脇役がいる。脇役がいて主役がいる。たとえ一人芝居であってもも自分以外の誰か(何か)を想定したり、想像したりして芝居は成り立っている。

…という芝居が成り立つのも観客がいてこそである。そして、観客は芝居があるから存在する。



 一方だけで、一方的になりたっているものはない。一方的な思い込みが、本来共存が前提であるもう一方を追い込む…。結果、自分も追い込んでいく。

傍からみれば「愚かな」行為だが、なかなか止められない。※自分もその愚かな一人である。

追い込まない、追い込まれないバランス…。成り立つ、成り立たせるバランス…。



 名作の多くは、アンバランスに見えても、必ずどこか絶妙なバランスで成り立っている。
もちろん、作品が生み出された時代とのバランスもあるだろう…。

主役にしろ、脇役にしろ、自分が成り立っているなら誰かがバランスをとっている。自覚できなくても、それだけは間違いない。バランスをとっている側なら、主役も脇役も関係ない。



 真の意味で主体的に物事に関わる人とは、自覚、無自覚に関わらず、バランスをとる側の人のことである。

(名)脇役がいてこその…、(名)主役がいてこその…、(名)作品があってこその…、(名)観客がいてこその…、(名)社会があってこその…。






「主役がいて脇役がいる。脇役がいて主役がいる。』

「ドーナツの穴」=『バランスをとっている側なら、主役も脇役も関係ない。真の意味で主体的に物事に関わるとは、バランスをとる側の人間のことである。』



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第280回『それどころじゃない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第280回は『それどころじゃない』

 「それどころじゃない」というとき、人は何かに追われている、追い込まれている状況にある。ただ、実際に追い込まれている状況ならば、「それどころじゃない」といっている状況ですらない。

「それどころじゃない」と反応できる状況なら、まだ少し余裕がある。



 本当に「それどころじゃない」人は、それを感じることもできない。
本当に「それどころじゃない」人に、それは回ってきてもわからないし、まず回ってはこない。



 早々に却下されるようなものであったとしても、選択肢があるということは悪いことではない。
選択肢がないのに選択肢があると勘違いしたり、選択肢があるのに選択肢がないと勘違いする…。

これが問題だ。

前者は「選ぶまでの時間」、後者は「可能性」を失うことになる。



 「それどころじゃない」と言える状況で、自分にまだ選択肢があると思えるならば状況は最悪ではない。文字通り、「それどころじゃない」状況で、選択を迫られているのに立ち止まっているようならば最悪である。

この文章を読む時間があるなら、まだ「それどころじゃない」状況までには、多分なっていない…。





「「それどころじゃない」というとき、人は何かに追われている、追い込まれている状況にある。』

「ドーナツの穴」=『「それどころじゃない」と言える状況で、自分にまだ選択肢があると思えるならば状況は最悪ではない。文字通り、「それどころじゃない」状況で、選択を迫られているのに立ち止まっているようならば最悪である。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第279回『綺麗好き』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第279回は『綺麗好き』

 部屋などの空間が綺麗な状態にあることを心地よいと思うことを「綺麗好き」とすると、

綺麗な空間が好き≒綺麗が好きなだけの綺麗好き
綺麗な空間にすることが好き≒かたずけ上手、掃除上手な綺麗好き
綺麗でない空間が耐えられない≒単に、散らかった空間が嫌なだけ…
等々……

綺麗好きにも層がありそうである。



 かたずけ上手で綺麗好きは、散らかった空間がないとかたずけ上手が活かせない。
かたずけ上手で綺麗好きな人は散らかさない。というか散らかし方が、多分すでに綺麗である。
食べ方に綺麗とか、そうでないとかがあるように…。



 さんざん散らかした後の「かたずけ方」を学ぶ。かたずけやすい「散らかし方」を学ぶ。
どちらもありだし、かたずけ上手な綺麗好きは多分両方に長けている。



 散らかさないように行動する…、というのはどこか抑制的でもある。
想像できうる限りの散らかし方を伴った行動…、というのも想像したことはない。



 散らかすのが目的ならば別だが、多くの場合、「散らかる」のは目的ではない。目的達成に伴う結果の一つである。散らかさないように目的を達成すればいいし、目的を達成したなら散らかしてもかたずければいい。必要であればだが…。



 散らかった、あるいは綺麗な空間の先にあるもの(目的)への道筋、そこさえずれなければ、周囲がどう思おうとまず問題はない。




「ドーナツ」=『綺麗な空間が好き≒綺麗が好きなだけの綺麗好き
綺麗な空間にすることが好き≒かたずけ上手、掃除上手な綺麗好き
綺麗でない空間が耐えられない≒単に、散らかった空間が嫌なだけ…
等々……

綺麗好きにも層がありそうである。』

「ドーナツの穴」=『散らかった、あるいは綺麗な空間の先にあるもの(目的)への道筋、そこさえずれなければ、周囲がどう思おうとまず問題はない。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

暗がりで人気のないほのかな明るさのある場所

 『暗がりで人気のないほのかな明るさのある場所』

これが路上飲みの絶好ポイントである。これでさらに帰宅時に便利な駅周辺で自宅からは(少し)離れている等、顔のささない場所であり、住宅が少ない場所なら尚更である。さらに適度な段差があると、もうそれは座り込んで飲むことをアフォードしてしまうだろう…。

上記はあくまでも個人的な感想だが、ゴミ拾いをしているとそういう場所に缶や酒瓶、食べ散らかした跡が多いからだ。※かれこれ2年くらいの観察の結果なので、そう外れていないとは思う…。



 人からは見られたくない…
でも仲間はほんのり見えるくらいの明かりは欲しい…
さらにしゃべっても苦情が出にくい場所で
ゆっくり座り込んで飲める…
さらに後片付けもほったらかしで、
店飲みより安くあがる…。

緊急事態、蔓延防止下で流行った行為だが、ある程度は定着してしまう行為かもしれない。



 話は変わるが、何故かとある市の国道沿いの簡易裁判所の前には、高頻度でワンカップの空き瓶?がいくつも捨ててある。通るたびに置いていくのか、立ち止まって飲んでいるのかはわからない。

場所が場所だけになんらかの意図は感じる。確かに夜間なら暗がりで人気は少ない…、さらに当人だけにわかる「明るさ」があるのだろうか…?





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第278回『持つ責任』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第278回は『持つ責任』

 何かを持ちたいと思うことは「欲」である。
当然、何かを「持つ」ということはそれに伴う責任を負う。
所有、飼育、共存、共生、保有、確保、…
言い方はともかく「持つ」権利には責任が伴う…。

その責任を果たさない、果たせないと問題とみなされる。少なくともいまの日本はそうである。



 責任には基本際限がない。だから法律上決める必要がある。これは(所有、持つということに対する)欲に際限がないことの裏返しでもある。

ただし、欲はコントロール可。だから責任もコントロール可ともいえる。というか、日常は欲も責任もお互いコントロールしながら生きているから、法律云々まで行くことはそう多くはない。



 欲も責任もコントロールできなくなると、コントロールを誰かにゆだねるしかない。そうしないとその集団そのものの存続が脅かされる。それが法律などといった集団の決め事である。



 持てるから持ちたいのか、持ちたいから持つのか、とりあえず持つのか、誰もが持っているから持つのか、仕方なく持つのか…。

持つ動機は関係ない。持っているという自覚があるかどうかも関係ない。持った瞬間に責任は生じている。



 数日前、大阪で家屋が突然倒壊しているニュースを見かけた。
見るからに年月を経ている石垣の上に建っていた。
その石垣の下の土地では工事が行われていた。

工事の持ち主(施主あるいは施工主)
石垣の持ち主
住宅の持ち主
住宅を建てる許可権を持っている持ち主
工事の許可権を持っている持ち主
等々……

出来事そのものの要素もあるが、場合によってはそれ以上に、持ち主の数≒欲の数≒責任の数がコントロールを難しくする。



「ドーナツ」=『何かを「持つ」ということはそれに伴う責任を負う。』

「ドーナツの穴」=『持てるから持ちたいのか、持ちたいから持つのか、とりあえず持つのか、誰もが持っているから持つのか、仕方なく持つのか…。

持つ動機は関係ない。持っているという自覚があるかどうかも関係ない。持った瞬間に責任は生じている。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第277回『未来しかない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第277回は『未来しかない』

 どんな状況でも「未来はある」なんて能天気な話ではない。「未来がない」と今を嘆くときでさえ、現実には「未来しかない」。

過去も、今この瞬間も、終わったら文字通り「終わり」である。どんな未来が来るのか?…ということをちょっと脇に置けば、「未来しかない」のは自明である。



 過去を振り返る、反省するのは未来に生かすためである。「反省だけならサルでもできる」というサルに失礼なCMがあったが、反省だけならたぶんしない方がましだ。

自信がある人は反省しない、過去は振り返らない…なんてことをいう人もいるが、ベクトルを未来に向けるのがスピーディーだから周囲から反省していないように見えるか、そのスピードゆえに、本人にも反省が自覚できない…といったところではないだろうか?と個人的には思う。



 「未来しかない」のだから、未来(のため)に時間やコストをかけたり、思考を向ける方がいい。
未来に向けて、コロナにどう立ち向かうか
未来に向けて、オリンピックをどうするのか
未来に向けて、超高齢少子化、人口減社会をどうするのか
……
時の繋がり、連なりは心にとめておく。そして心の向きは未来に向ける。
「未来しかない」のは非情な真実。どうあがこうが、常に「未来しかない」のだから…。



「ドーナツ」=『どんな状況でも「未来はある」なんて能天気な話ではない。「未来がない」と今を嘆くときでさえ、現実には「未来しかない」。』

「ドーナツの穴」=『時の繋がり、連なりは心にとめておく。そして心の向きは未来に向ける。「未来しかない」のは非情な真実。どうあがこうが、常に「未来しかない」のだから…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

グレンファークラス105

 コロナ下で宅飲み市場が活況を呈しているのか、近所の酒屋でも品揃えが充実している。かくいう私も、ウイスキーを嗜むことが楽しみになっている。
※別にコロナ下は関係ない20年もののウイスキー好きだが…。



 表題の『グレンファークラス105』はかの王国の「鉄の女」と言われた元首相が、愛飲していたことでも知られるシングルモルトのスコッチである。



 105とはイギリスのアルコール度数の単位で、ブリティッシュプルーフ105という意味である。日本のアルコール度数に直すと60度。……というのが信じられないくらいコクがあり飲みやすい。しかも1リットルで4000円強と、コスパも悪くないと個人的には思う。

60度のアルコールをストレートで飲む。気をつけないと悪酔い一直線である。



 このグレンファークラス105が我が家では常備してある。
※その他、ブレンディッドやアイリッシュ、バーボンなどを含め、入れ替わりながらだいたい常に5〜6本はストックしてある。

といっても体が資本。基本的には金・土・日以外はアルコールは飲まない。だから余計に週末が楽しみである。



 グレンファークラス105を飲むためにウォーキングは出来るだけ欠かさないようにしている。
健康的なのか不健康なのかわからない生活だが、悪くはない。

コーヒーにグレンファークラス105に、この時期なら麦茶。茶色に染まった夏の日々…。






 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第276回『報い』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第276回は『報い』


 「報いる」と書くと、自分にとっての善行に対する恩返し的なことをイメージすることが多い。
「報い」と書くと、誰かの悪行に対する報復とか罰を思い浮かべる。
どちらも個人的な感想である。



 「報い」そのものは誰かの行為に対するリアクションだ。先に「報い」があるわけではない。報いが先に来るのは、報いの蓋然性を持ち込んで、善行を促し悪行を抑制する場合などだ。



 実生活では(誰にとって、何にとっての)善行か悪行かはあえてはっきりさせない、あるいははっきりしない場合も少なくない。

コロナ下で開催される「オリンピックは善行か悪行か?」

に明確な答えがないのがその例である。



 「報い」そのものに善悪はない。どこまでいっても、行為に対するリアクションだ…。ということは、善悪がはっきりしない行為に対しても「報い」があるということになる。
アクションがあればリアクションがある…。それ自体はシンプルな話…。




 話を難しくしているのは、「行為」より先に「報い」を求めたり、「報い」を恐れたり、「報い」でコントロールしたりしようとする行為者の存在…。

善行は報いに関係なく善行。悪行は報いに関係なく悪行。行為はコントロール可。報いはコントロール不可。

予想は出来ても、コントロールできないのが「報い」。

コントロールできるところはどこなのか?それが問題だ…。


「ドーナツ」=『「報い」そのものに善悪はない。どこまでいっても、行為に対するリアクションだ…。』

「ドーナツの穴」=『行為はコントロール可。報いはコントロール不可。

予想は出来ても、コントロールできないのが「報い」。

コントロールできるところはどこなのか?それが問題だ…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第275回『漫画みたいな…』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第275回は『漫画みたいな…』


 メジャーリーグの大谷選手の活躍を「(野球)漫画みたい」「(野球)漫画以上」と評する人がいる。
一人の人間に、エースとスラッガーが宿る。まさに漫画みたいだ。



 「漫画みたい…」とは現実に対していうこと。漫画に対しては使わない。
本物の〇〇のようだは本物ではない。が、その本物ではないものに本物を感じるわけである。不思議なもので、本物でない方が伝わる、伝わりやすいこともある。



 本当、本物、現実…、これらは時に無慈悲である。想像、創作、デフォルメされたものはどこかにゆとりがある。ゆとりは、逃げ道でもあり、もどってこれる現実があるからこそのゆとりなのだ。



 創作物は現実の体験から生み出される。創作物の体験が現実に活かされるのも当然か。漫画みたいな現実によって、また新たな漫画が生まれる。

嘘みたいな現実から、あらたな創作(想像)が生まれ、その創作(想像)から、あらたな現実が生まれる。

現実と虚構(想像)の行き来の中で、現実と虚構がまた先(未来)に進む…。

 


「ドーナツ」=『「漫画みたい…」とは現実に対していうこと。漫画に対しては使わない。』

「ドーナツの穴」=『嘘みたいな現実から、あらたな創作(想像)が生まれ、その創作(想像)から、あらたな現実が生まれる。

現実と虚構(想像)の行き来の中で、現実と虚構がまた先(未来)に進む…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第274回『どちて坊や』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第274回は『どちて坊や』


 アニメ「一休さん」に出てきたキャラクター「どちて坊や」。ことあるごとに「どちてですか?(どうしてですか?)」と聞きまわって周囲を困惑させる。……そんなキャラクターだったと思う。



 「どちてですか?」に困惑するのはどこか的を射た質問だったり、思いもしなかった角度からの質問だったりするからである。場合によっては、「答えがない」とか「答えが無数にある」なんて質問もあるだろうから、周囲は余計に返答に窮することになるのだろうが…。



 同じ問いであっても、答えには層がある。十分な層まで達していないと不十分な答えになる。十分な深さまでたどり着くために「どちて?」はある。

深みに嵌って、「なぜ?の嵐」に巻き込まれてしまうこともあるかもしれないが…※「なぜ?の嵐」にピンとくる人がいると少し嬉しい。



 トヨタ式生産システムの産みの親、大野耐一氏は、『「なぜその問題が生じているのか?」ということをしつこく5回繰り返し、根源的な原因(真因)をつきとめよ』としたとしている。



 大人になると、「どちて?」「何故?」「どうして?」は何故か不用意には使い難くなる。が、本当の大人は「どちて?」をきちんと使いこなしている。


 今の時代、「答えっぽいもの」が溢れていて、それには深さが足りない。今抱えている問題に対して「答え」を出すには、5回の「何故?」で十分かどうかはともかく、もう少し「どちて?」と時間をかけるべきなのかもしれない…。
 


「ドーナツ」=『「どちてですか?」に困惑するのはどこか的を射た質問だったり、思いもしなかった角度からの質問だったりするからである。』

「ドーナツの穴」=『今の時代、「答えっぽいもの」が溢れていて、それには深さが足りない。今抱えている問題に対して「答え」を出すには、5回の「何故?」で十分かどうかはともかく、もう少し「どちて?」と時間をかけるべきなのかもしれない…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

名誉返上

 名誉返上で思い浮かべる人に、世界の盗塁王「福本豊」氏がいる。


 「名誉返上」とはあまり使われない。多く使われる、正しいと言われる表現は「名誉挽回」である。だがこれは、失った名誉があるという前提の話…。もちろん、人として失ってはいけない誇りはあるだろう。が、不必要な名誉を欲しがるとろくなことはない。「名を捨てて実を取る」なんて言葉もある。本当に挽回する価値のある名誉なのかは熟慮すべきだろう。



 福本豊氏が国民栄誉賞を断った際の言葉で、

『(国民栄誉賞を断った理由)立ちションベンもできんようになるがな』

はあまりにも有名な言葉だが、立ちションベンという言葉遣いはともかく、「謙虚さ」からくる辞退であることをとある雑誌の取材で答えておられた。



 福本氏は当時の盗塁数世界記録を持っている。それに誇りもあるだろう。が名誉とは何か違う。与えられる名誉ではなく、自分が為したという「誇り」。

名誉と誇り…。自分には誇りで十分である。人がどうこういうのは関係ない。だから名誉返上した…。かどうかはわからないが…。



 誇りは自分次第。名誉は他人次第。名誉は有難いが、名誉に左右されるような人生は歩みたくない。
名誉(国民栄誉賞)返上に福本氏の誇りを見た…。

福本氏の飾らない言動と、このエピソードが大好きである。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第273回『責任感のない人間の責任ある行動』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第273回は『責任感のない人間の責任ある行動』


 責任感が強いということは「責任を感じる力が強い」ということである。だから、責任感が強すぎると、責任を負わなくてもいい状況に自分を置こうとする。責任回避行動は、責任感があるから起きるともいえる。
※実際は立場上の利だけを得て、責任は押し付けようとする行動が少なくない…ようにも見えるが。

逆に責任感のない人は、責任ある立場にたっても責任感がないからプレッシャーなど感じないものだ。



 何故か人は「責任のある立場にある人は責任感も強い」と思いやすい。だから無責任な行動に腹が立つ。責任の全くない立場というものはないからだ。だが、責任ある立場に立つ人間はなんらかの「欲」はあることは間違いないが、「責任感」があるとは限らない。これが問題の本質である。



 何らかの欲がないと責任感は生まれない。ただ、無欲な人が本当にいるとすれば、その人は自分の利にも鈍感である。自他の利に動かされない人は立場で必要なことが無責任にできることもある。責任感のない人間の責任ある行動はそうして生まれることもある。ただしそれでも欲は必要である。「欲の質」に違いはあるが。



 欲があるから責任感が生まれる。
欲によって責任感を超える。
欲によって責任を放棄し、押し付ける。
……

「欲の質」がポイントだ。注目すべきは立場ある人の責任感の有無ではなく「欲の質」なのかも知れない…。




「ドーナツ」=『自他の利に動かされない人は立場で必要なことが無責任にできることもある。責任感のない人間の責任ある行動はそうして生まれることもある。』

「ドーナツの穴」=『「欲の質」がポイントだ。注目すべきは立場ある人の責任感の有無ではなく「欲の質」なのかも知れない…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第272回『どん底』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第272回は『どん底』


 真にどん底にある人は、そこがどん底かどうかは多分わからない。まだ落ち続けている人に底はわからない。底に落ちてから、そこを底と感じられる状況になっているからどん底と思うわけである。



 どん底を感じられる状況になったなら、どん底から少し立ち直っている。どん底にいる最中は、どん底など意識している暇もなく、とにかく何かしている。そうして、もがいて抜け出して後から思い出したとき、あの頃はどん底だったんだと思う。



 通りすぎて、どん底を抜け出して、今があるからどん底を感じられる。もしそこが本当のどん底ならば、どん底だと思う余裕はない。どん底だと思えるならば、少しだけ余力や余裕がある。つまりまだ出来ることがあるかもしれない。だから、出来ること、やるべきこと、やった方がいいことをどん底だと思ったときほど真剣に考えた方がいい。

それこそ、どん底だと思う余裕もないくらいに…。そして余裕を感じられた時、どん底を知る。



 どん底はそこを抜けた時、思い出されるもの。どん底にいる人もまだ落ち続けている人も感じることはできない。どん底だと思えるなら、多くはないが選択肢があり、やれることがまだある…。



「ドーナツ」=『真にどん底にある人は、そこがどん底かどうかは多分わからない。まだ落ち続けている人に底はわからない。』

「ドーナツの穴」=『どん底だと思えるなら、多くはないが選択肢があり、やれることがまだある…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第271回『間抜け』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第271回は『間抜け』


 仕事上に限らず生きていれば、間抜けなことをしてしまうことも多々ある。間抜けを指摘してもらえるならば、まだ間抜けから抜けられる可能性がある。間抜けを指摘されないまでも、陰で言われているくらいなら、間抜けなのは本人だけである。

本人は間抜けかもしれないが、状況は間抜けではない。この状態なら、これはまだ『間に合う間抜け』である。



 『間に合わない間抜け』は問題だ。周囲は間抜けを認識し、さらに本人にも指摘して、最大限の協力、フォロー、援助などをしているにも関わらず、間抜けな状況が進行しつづける状況。そして場合によっては不可逆的なところまで状況が悪化する。

これが『間に合わない間抜け』である。



 『間に合う間抜け』はどこか憎めない。その人そのものや、状況が憎めないからまだ間に合うとも言える。

それに対し、『間に合わない間抜け』は悲惨である。真の意味で多くの間(時間)、コストを無駄にする。新に間の抜けた状態、状況ならば「間に合わない」ことが起こる…

今の状況が、『間に合う間抜け』であることを願うばかりである。

 間に合うなら、間抜けではない。間に合わないなら、間抜けでは済まない…。


「ドーナツ」=『間に合う間抜け。それは本人は間抜けかも知れないが状況や状態は間抜けではない状態。』

「ドーナツの穴」=『間に合わない間抜け。新に間の抜けた状態、状況ならば「間に合わない」ことが起こる…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ヨストの法則

 分散学習の方が集中学習を続けるよりも効果的らしい。最初は集中学習で、復習は分散学習で…なんて話もある。集中するにしろ、分散するにしろ一定の学習をしないことには始まらない。英語の休憩に数学、その休憩に物理…、なんて勉強をしている強者もいるらしい…。



 適度な休憩をはさみながら、本気で学習を繰り返す。

ヨストの法則はそうしないと効果が少ない。適度な休憩が曲者である。本気で学習することはもっと曲者である…。



 本気で集中できるようなことを学ぶとき、分散とか集中とか意識するだろうか?分散学習が効果的だということを思考する時点で、ちょっと邪な気もする。何にしても、

「過度な休憩と適当な学習」では効果は見込めないのは間違いない。

まずは、短時間・長時間はともかく「本気で学ぶ(学びたい)」ことが第一である。


 学習において、ヨストの法則が最も効果的に機能するのは、学習している瞬間、ヨストの法則を忘れるくらいに本気の学習している時である…。


 「間に適度な休憩を…」、と考えながら学習しているようでは、ヨストの法則の効果はあまり期待しない方がいいかもしれない。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

『功を愛して人を愛さず』は完全な間違いである。

 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。犯した罪を憎んでも、その罪を犯した人を憎んではいけないという意味だ。



 ここでいう「罪」の対義語が「功」なのか「徳」なのかは判然としないが、功罪という言葉もあるので、功を対義語と規定すると、表題の言葉、「功を愛して人を愛さず」が想起された。成果至上主義、結果主義の権化みたいな表現になったが、これは明らかな間違い、誤認である。



 罪を憎んでも、その人は憎まない。罪を犯した心は憎んでも、その人は憎まない。「罪を憎んで人を憎まず」とはそういう意味である。功罪は功罪として判断し、人は人として認める。行為と結果そのものと、行為者をわける。そういうことである。

罪は憎んでもいい、功は認めてもいいし、愛してもいい。だが、それとは関係なく人は認めよ、愛せよ、赦せよ。

…ということである。※もちろん、罪や功を認めなくてもいいという選択肢も残してある。誰にとっての罪なのか、功なのかという要素が残るためである。



 「罪を憎んで人を憎まず」は、やさしそうで厳しい言葉でもある。裏を返せば、「たとえ愛していても、その人が犯した罪は憎む」ということを含む言葉でもあるからだ。

愛しているから罪を罰さないではない。愛は愛、罪は罪。そういう厳しい戒めでもあるのだ。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第270回『自惚れ』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第270回は『自惚れ』


 自惚れという言葉が肯定的に使われることは少ない。自分自身に惚れている、自分に自信がある状態のことなのだが、何故か肯定的なイメージが少ない言葉である。「実力以上に自分を評価している」
ニュアンスがあることに起因していると思われるが、結果が出れば自惚れは自惚れではなくなる。


 自惚れは途中経過。
自惚れとは逆の状態、自己嫌悪や自虐、自信喪失といった状態もまた途中経過である。一定のけりがつく、状況が着地した時点で初めて「自惚れ」や「自虐」は事実になるということだ。自惚れにしても、自虐にしても、結果次第で真の自信と受け取られたり、謙虚だと受け取られたりすることも多々ある。



 自覚的ならば、自惚れも自虐もなんの問題ない。逆に無自覚でも、結果が出たり、状況が前にすすんでいるならば自惚れも自虐もなんの問題もない。つまり自惚れているかどうかなどを気にすることにはほとんど意味はない。

自惚れがパワーになるなら自惚れればいいし、自虐がブレーキや調整機能として働くならそれでいい。自惚れや自虐など、その程度の状態である。気になるなら気にしてもいいが、もっと注目、注力すべき現実があることを知ればいいのである。


「ドーナツ」=『自惚れは途中経過。結果が出れば「自惚れ」は自惚れではなくなる。』

「ドーナツの穴」=『自惚れがパワーになるなら自惚れればいいし、自虐がブレーキや調整機能として働くならそれでいい。自惚れや自虐など、その程度の状態である。気になるなら気にしてもいいが、もっと注目、注力すべき現実があることを知ればいいのである。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第269回『世間話』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第269回は『世間話』


 世間が重なっていない間柄ほど世間話が必要で、世間が重なっている間柄ほど世間話≒内輪話になりやすい。


 「世間は広いようで狭い」とは時々耳にする。
「世間は浅い」とは言わないが、時々世間の深みに嵌っているいる人も見かける。



 自粛、要請、お願いベース、とコロナ下ではよく聞くが、日本では「世間体」がそれなりに機能しているということだ。※効き目が弱くなっているようにも思えるが…。



 渡る世間は鬼ばかりなのか…、鬼はなしなのか…?
世間「に」鬼がいるいないではなく、それこそ世間「が」鬼になっていないだろうか…?
自分も鬼の一員になっていないだろうか?



 世間体を気にしないという人の世間はどのくらいの範囲なのだろうか?
世間には広さもあるようだが、「世間の重み」が世間体を機能させるには重要である。
世間は重いようで軽い…。世間は軽いようで重い…。いや、現代は

「世間は薄いのに重い」

というべきか…。




「ドーナツ」=『世間は広いようで狭い』

「ドーナツの穴」=『いや、現代は「世間は薄いのに重い」というべきか…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

元某(元〇〇)

 元某という場合の、元の期限はどれくらいなのだろうか?期限のない元某あれば、すぐに消えてしまうような元某もある。やたらと世間に数の多い元某もいる。

期限がないほうがいい元某もあるし、消したくても消えない元某もある。
ほとんどの人は、元赤ちゃんだが元赤ちゃんを自覚しながら生きている人は多くない。



 芸能人で言えば、芸能人は元一般人ともいえるし、芸能人は、時として一般人に包含されていることも多いし、引退すれば元芸能人の一般人になる。さらに言えば、本人以外の記憶に一切残ってない芸能人は、元のつかない一般人なのに芸能人でもあるとみることもできる…。



 あった方がいい期限のない元某にはこだわればいいとは思うが、どれがあった方がいい元某なのかは時と場合による。元反社会勢力の〇〇とか、元医師の〇〇とか、元官僚の〇〇など…、〇〇に入るもので元某という肩書は良くも悪くもなる。本人にとっては消したい元某なのに、周囲はいつまでも消してくれない…。

そういう元某もあるだろう…。


 ちなみに直前、直近の元某が前某になる。つまりもっともフレッシュな元某が前某となるらしい…。知らんけど。


 大人(元赤ちゃん)が、前赤ちゃんでなくなるのはいつからか…?



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第268回『献身が献身を呼ぶ』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第268回は『献身が献身を呼ぶ』


 類は友を呼ぶ、同種のものは自然に集まりやすい。人同士が集まるから街が出来るし、鴨同士も近所の水辺でやはり集まっている。


 発信者の意図に関わらず、受信した情報をもとに人は集まる。他人に献身を求めるなれば、少なくとも自分も献身的でなければならない。自分が献身的であったとしても、他人も献身的に接してくれるとは限らない。が、献身的でないよりは確実に献身的になってくれる可能性は高くなる。

周囲が優しくないのなら、かなりの確率で自分が周囲に優しくないのだ…。

保身は保身を呼ぶ
利己は利己を呼ぶ
献身が献身を呼ぶ
優しさが優しさを呼ぶ

……



 発した情報の切り取られ方で、受信する側の反応は変わってしまう。切り取り方の問題はもちろんある。が、何故そういう切り取られ方をしてしまうのかという問題もある。そういう切り取り方をする人が集まっているとするならば、自分にも「都合よく情報を切り取って発信する」という要素があるのかもしれない。

都合の良い切り取りは都合の良い切り取りを呼ぶ



 献身を呼ぶには、献身を呼ぶ前に「献身的」であることが前提である。呼んで人が集まったら自分も献身的になろう…。それでは献身は集まらない。本当に献身的だと受け取られる人は、何よりまず、ただ「献身的」なのである。





「ドーナツ」=『献身が献身を呼ぶ』

「ドーナツの穴」=『呼んで人が集まったら自分も献身的になろう…。それでは献身は集まらない。本当に献身的だと受け取られる人は、何よりまず、ただ「献身的」なのである』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第267回『罪と罰、罰と罪』その2

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第267回は『罪と罰、罰と罪』その2


 「罰の全く無い罪を罪と認識できるか?」

道交法上、スピード違反は罪とされている。が罰則がない場合、それを罪と認識できるだろうか?
スピード違反に一切の罰則がなく、一時的に停止させられ注意される…、だけだったとしても「停止・注意」が罰になる。ここでいう罰がないとは、スピード違反をしても、「停止や注意すらされない」状況である。



 「〇〇Km以上の速度超過は罪である」と法律上に記載されているだけの状況があるとする。まだ、記載があれば「罪なんだ」ということはわかるかもしれない。が罪に対し一切のお咎めがないのである。※そもそも罰の全くない罪を法律に記載するか?ということもあるが…。

そんな罪が記載してあったとして、定着したり記憶されたりするだろうか?ましてや遵守されるだろうか?


 罰があるから罪が認識できる。何らかの権利が一時的にでも制限される、はく奪されるような罰があるから、罪を犯してはならないと認識される。

罪を犯した人間を、別の人間(の集団)が罪を犯して罰する。罪を罰するために、罪を犯す権利を裁く側に与える形になっている。そうして罪をお互い犯さない≒お互いの権利を侵さないようにして生きていこうとしているのが現代である。



 自分の権利を侵されたくない。だから相手の権利も侵さない。相手の権利を侵していい。ならば自分の権利も侵される。

……

 譲り合える間柄には罪も罰もいらない。際限なく奪う間柄でも生きていけるように罪と罰がある。譲りあう人間ばかりではない。譲り合える時ばかりではない。そうなると、罰は必須である。やはり「罰と罪」が正順なのだろうか…?




「ドーナツ」=『罰の全く無い罪を罪と認識できるか?』

「ドーナツの穴」=『譲り合える間柄には罪も罰もいらない。際限なく奪う間柄でも生きていけるように罪と罰がある。譲りあう人間ばかりではない。譲り合える時ばかりではない。そうなると、罰は必須である。やはり「罰と罪」が正順なのだろうか…?』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第266回『罪と罰、罰と罪』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第266回は『罪と罰、罰と罪』


 罪を犯さないようにするため、戒めのために罰がある。罪を犯したら罰を受ける。これが正しい順序である。ただ罰を受けたら罪がなくなる…、なんてことはない。集団で決められた制度、ルールの問題を一旦横に置けば、やはり罪は罪なのだ。



 罪を犯した人が一定程度「きつく」感じないと罰の意味がない。罰が軽い、あるいは権利を保護されたような罰だと、『罰を受けるから罪を犯してもいい』『罰を受けたいから罪を犯す』なんて逆転現象がおこることもある。



 罪の大きさと罰の大きさのバランスが難しい。罪が大きいのに罰が小さい、罪が小さいのに罰が大きい…。そこに悲劇が起こる。そしてその悲劇によって、罪と罰のバランスが調整されていく…。

「罪を憎んで人を憎まず」などと聞くが、その罪を決めているのも人である。当然罰も人が決める。赦すのも人なのだが…。



 罪があって罰がある。罰があって罪があるのではない。そういう意味では、罪と罰という順序で思考するのが自然である。が、現実は罰の大きさで罪を軽んじていることも少なくない。その流れで罰と罪という順序で思考していることも多い。罰と罪という順序の思考は、それこそ思考の順序がすでに罪かも知れない…。



「ドーナツ」=『罪と罰という順序で思考するのが自然である。』

「ドーナツの穴」=『現実は罰の大きさで罪を軽んじていることも少なくない。罰と罪という順序で思考していることも多い。罰と罪という順序の思考は、それこそ思考の順序がすでに罪かも知れない…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

騙す騙される(登場人物全員がドッキリを仕掛けている側だと思っているドッキリ)

 昨日TVをザッピングしていると、相手にドッキリを仕掛けていると思わせるドッキリが放送されていた。この企画が面白いのは、仕掛けられる相手にも相手にドッキリを仕掛けていると思わせていること。つまり、

「登場人物全てがドッキリを仕掛けている側」

だと思い込んだ状況で番組が進行していること。騙す側が、同時に騙される側でもある状況が面白かった…。


 騙す、騙されるで言えば、騙す側が賢く、騙される側が愚かなんて言い方をよく耳にする。ここでいう賢さとは、その状況で持っている情報量の違いである。確率的に情報量が多い方が騙しやすいし、騙されにくい。

「登場人物全てが仕掛ける側だと思っているドッキリ」というのは、自分の方が「裏(真)の情報を持っている」という意識で、お互い相手をドッキリにひっかけようとするわけである。だが実際に情報量に差はない。時間制限があるので番組としては成り立っていたが、当然その場の収拾はつかない。どんどんあらぬ方向にいくということを面白おかしく放送していた…。


そこには、自分を賢い(≒自分の方が情報量が多い)という思い込みが起こす滑稽さがあった。実際は同じくらいの賢さ、情報量、力量なのである。それを自分(だけ)が知らない、わからない…。リアルと同じである。日常にも上記のようなことは溢れている。


 非日常という体を取りながら、日常にあることを描く。だから日常で理解できるし笑える。あり得ない体で、ありふれたあり得る話だから理解できる。しかも自分にも降りかかっているありふれたことなのかもしれないのに、あり得ない体だから受け入れられる。

面白いドッキリが、恐ろしくもあるのはそういうところである。






 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

日常と非日常が混在している…

 コロナ下での生活は非日常である。が、すべてが非日常ではない。コロナが話題に上らなかった頃はただの日常であると思っていた。が本当は全てが日常ではない。


 日常で行われる予定だったオリンピックは非日常。コロナ下で行われるかもしれないオリンピックも非日常。どちらにしても非日常下で、日常が無くなるわけではない。
「非日常下の日常を生きていかないといけない」
わけである。



 固定的な日常があるわけではない。日常も変化する。非日常によって、日常の変化が大きくなり、それが認識しやすくなったのだ。悪い変化ばかりではない。もちろん、非日常によって日常がより良きものに変化することもあるだろう。



 オリンピック自国開催という非日常は、日常をより良きものに変えるものだろうか?

今回のオリンピックが開催されるかどうかはわからない。が、今後「オリンピック自国開催」という非日常が日常をより良きものにするのか?は熟考すべきだろう。



 コロナ下でオリンピック自国開催が行われる(かもしれない)という非日常下で、今日も日常は続く…。





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第265回『告げ口』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第265回は『告げ口』


 良い告げ口と悪い告げ口があるとする。良い告げ口ならばありで悪い告げ口ならばなしなのか?事はそう簡単にいかない。

告げ口の良し悪しに関係なく、何らかの被害者は出る。まったく被害者のいない告げ口はないということである。



告げ口の良し悪しとその告げ口によって引き起こされる被害の大小を考えると、

良い告げ口で被害が少ない
良い告げ口で被害が大きい
悪い告げ口で被害が少ない
悪い告げ口で被害が大きい


という分類が出来る。

一番の悩みどころは「良い告げ口で被害が大きい」場合ではないだろうか?
※もちろん、良し悪しも大小も主観なので、傍から見れば全く違うかもしれないが、告げ口に関わる当人ならば、多くの場合そうなるだろう。



 被害が少なければ、その告げ口は「どうでもよい話」だろうし、悪い上に被害が大きければ、それでもその告げ口に関わるような選択をすることは、よほどの事がなければないからだ。



 マスコミにはどこか「メディアを使ったマスへの告げ口」「大々的な密告」といった要素がある。SNSを使った告げ口、誹謗中傷なども同様である。

告げ口によっておこる被害を十分想定すべきである。
被害を想定してさらに、「(文脈を含んだ)事実」が伝わるように尽くすべきである。


 告げ口によって誰かの命が失われる、誰かの仕事や職務が失われる…、といったことは決して小さくない被害だと思う…。


「ドーナツ」=『マスコミには「メディアを使ったマスへの告げ口」「大々的な密告」といった要素がある。』

「ドーナツの穴」=『告げ口によっておこる被害を十分想定すべきである。被害を想定してさらに、「(文脈を含んだ)事実」が伝わるように尽くすべきである。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第264回『陰口』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第264回は『陰口』


 本人のいないところでいう悪口が『陰口』。陰にしろ表にしろ悪口は出来るだけ言わないほうがいい。
が、悪口が禁止されるのも問題である。


 悪口ではないけれど…、という枕がある時の言葉は結構悪口である。

……


 悪口をいうのも、本来はそれなりのパワーを必要とする。直接悪口をいうよりも陰口の方がパワーを使わない。ネット上の陰口(誹謗中傷)であればよりパワーは少なくてすむ。

ネット上の陰口(誹謗中傷)を無くそうと思えば、ネット上で言葉を「管理」するというパワーを使うことになる。


 陰口は効率的に非効率なことを行う行為。同時に陰口に反応するのも効率的ではない。効率的であることが善…、とまでは思わないが、陰口を発するパワー、それに反応、対応するパワー、問題が起きないようにするために監視・管理するパワー…

何となく勿体ない話である。



 意見があるなら、陰口ではなく、しっかりパワーを使って意見したほうがいい。じゃなければ、陰口を発するパワーも使わない方がいい。陰口はどこまで行ってもただの悪口なのだから…。


日常(通常)の結果があるからこそ、瞬間の結果も賞賛される。
普段(日常)をおろそかにするものに、その瞬間は訪れない…。


「ドーナツ」=『本人のいないところでいう悪口が『陰口』』

「ドーナツの穴」=『意見があるなら、陰口ではなく、しっかりパワーを使って意見したほうがいい。じゃなければ、陰口を発するパワーも使わない方がいい。陰口はどこまで行ってもただの悪口なのだから…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

好感度は高感度から生まれる?

 「好感度」とは好感をどれくらい持たれているかということ。

好感に高感度ならば好感を持たれやすくなるのだろうか?言い換えれば、評価に敏感だから評価される?それは違うようだ。

ならば好感に低感度ならば好感を持たれやすくなるのだろうか?好感度を気にしない好感度の高い人や物はあるが、感度が低いから好感度が高いわけではない。どうやらそれも違うようだ。



 好感度に高感度になるのは狙える。が狙って好感度を高めるのは難しい。だから、「好感度の高いタレント」などというカテゴリーが成り立つ。

好感度に高感度であっても、その高感度を好感に交換するのは困難である。



 好感度は塩梅である。しかも他人の感度に左右される。
好感度には流行り廃りもある。好感度は時間、時代にも左右される。
時代遅れが好感を持たれる場合もある。もはやカオスである。


 好感度を追うのは止めた方がいいようだ。

嫌われる勇気を持ちながら、嫌われないくらいの態度できちんと主張し、状況や相手をきちんと受け入れる。

それくらいの塩梅が丁度いいのかもしれない…。




 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第263回『悪球打ち』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第263回は『悪球打ち』


 エンゼルスの大谷選手の13号ホームランが話題になっている。ホームランの数はもちろんだが、打った球が完全なボール球だったことが注目されている。※地面からどれくらいの高さのボール球かを解説した記事もあったようである。



 野球をかじったことのある人ならばわかるが、本来ボール球に手を出すことは良くないこととされている。「選球眼の良し悪し」というのが、名バッターの基準になるくらいだから、本来ならば、「喝!」と某番組で叫ばれても仕方のないようなボールである。が、おおむね大谷選手のホームランを讃えている意見がほとんどである。

その理由は、
『悪球打ちが讃えられるくらいの成績を残しているから』
である。また大谷選手の代名詞である二刀流が許されているのも、
『二刀流が許されるくらいの成績を残しているから』
である。



 終わりよければ全て良し、結果よければ全て良しもっと過激に、結果さえだせばなんでもあり…

というのはやや極論だが、結果が出ているからこその「悪球打ち」の賞賛である。



 漫画の世界では、「悪球打ち」で有名な「ドカベン 岩鬼」というキャラクターがいた。
『安定して、悪球をきちんと打てる』
という安定しているのかしていないのか、よくわからないのがたまらない魅力のキャラクターだったと記憶している。



 どこかに「安定」があるから「不安定」を許容できる。
安定して「不安定」であるという「安定」もある。
結果が出ているから、許容できる「不安定」の範疇に収まっている。

……

 大谷選手の悪球打ちは、ある瞬間、その一球の結果である。通常の一定期間の安定した結果があるからこそ、「その一球」の(好)評価がある。

日常(通常)の結果があるからこそ、瞬間の結果も賞賛される。
普段(日常)をおろそかにするものに、その瞬間は訪れない…。


「ドーナツ」=『大谷選手の悪球打ちが評価されている』

「ドーナツの穴」=『大谷選手の悪球打ちは、ある瞬間、その一球の結果である。通常の一定期間の安定した結果があるからこそ、「その一球」の(好)評価がある。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第262回『終わりが見えた世界』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第262回は『終わりが見えた世界』

 コロナウイルスで終末観、「終わりが見えた」ような感覚を覚えた人もいるかもしれない。だが多分それは、一瞬だけ『地獄の釜の蓋が開いた』ような感覚があっただけだろう。もちろん、今回のコロナで人類が滅びることはない。



 コロナは当然だが、すでに原因が特定されている。で、対処法もある。極論すれば何かの諸事情により、対処によりスピード感を求められているだけだ。コロナで人類が終わることはない。



 未知のウイルス感染症で人類が滅びるためには、

・感染症であるということが特定される前に
・爆発的に感染が広がって、
・ウイルス等が変異して宿主を絶命させるような感染力を失う前に
・宿主である人類に感染しきってしまう

などといったいくつもの「奇跡」が起きる必要がある。そう考えれば感染症で人類が滅ぶのはかなり確率は低そうである。

コロナによって「終わりが見えた(ような感じがした)世界」はまだ終わらないことがはっきりしただけである。



 自分の種の終わりを克明に残せるような状況で終わりは多分来ない。終わりは突然訪れる…。終わりが見えたように思える間は、まだ何か出来ることがあるということである。



「ドーナツ」=『終わりが見えた世界』

「ドーナツの穴」=『コロナによって「終わりが見えた(ような感じがした)世界」はまだ終わらないことがはっきりしただけである。終わりは突然訪れる…。終わりが見えたように思える間は、まだ何か出来ることがあるということである。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第261回『水平線』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第261回は『水平線』

 水平線は安定を表す。一日の終わりに横たわる時は安らぎである。垂直から水平になる瞬間、多くの人はリラックスする…。



 ところが、人生の終わり=死の時も、人は横たわる。生きているとき、人は水平線にどこか抗う。水平線に抗えなくなった時、人は完全に死ぬ。水平線は「完全な死」を表すこともある…。



 死は安定、生は不安定。死は永遠、生は瞬間。死の「瞬間」とは、生が最も不安定になった瞬間でもある。死の恐怖とはその瞬間に対する、生から死へと切り替わる瞬間の恐怖である。「安定した生」というのは本来どこか矛盾している。



 変化が生、不安定が生なのである。不安定な存在が安定を求める。生にはそういう側面もある。変化を求める生もあるのでは?というが、それは一定の安定に担保された変化であることがほとんどである。



 担保されたと思われていた安定が揺らいでいるのが現代。水平線すら揺らぐことに気付いたのが現代。


「ドーナツ」=『水平線は安定を表す。』

「ドーナツの穴」=『担保されたと思われていた安定が揺らいでいるのが現代。水平線すら揺らぐことに気付いたのが現代。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

やれやれ…

 「やれやれ…」イギリスの俳優・脚本家、デヴィット・ギャリックの遺言らしい。


 ことが通り過ぎたときに発する言葉、それが「やれやれ…」。
大仕事をやり遂げて、ひと段落しても「やれやれ…」。
まん防下で、感染症の専門家でもあるような人物が政治資金パーティーに参加したという話を聞いても「やれやれ…」。



 やりきった後の「やれやれ…」。やらかした後の「やれやれ…」。
コロナ下では、圧倒的に後者の「やれやれ…」が多い。
コロナがひと段落しての「やらやれ…」は、この分ではだいぶ先にようである。



 やりきった後の「やれやれ…」はやりきった当人が何より感じることが多い。
やらかした後の「やれやれ…」はやらかされた周囲が圧倒的に感じることが多いだろう。
そして後始末も本人よりも周囲が行うことが多いのである。※後始末を気にしない、気にしなくなる本人だから、「やらかしてしまう」のだが…。



 権力を持つことは、下準備と後始末をやってくれる、手伝ってくれる人が増えることも意味している。権力に自覚的な人は多い。が、自分もやってきたであろう下準備と後始末はいつの間にか忘れていくのだろうか?…



 (コロナを)乗り切った後の、やりきった後の「やれやれ…」を早く聞きたいものである。



世にも奇妙な遺言集:ライアン・マッケイ&クリス・メイナード 監修、半田良輔 訳 株式会社ブルースインターアクションズ



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第260回『重力』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第260回は『重力』

 地球上にいる限り、地球の重力には逆らえない。なのに日常的には重力を意識することはない。
※個人的には体重計に乗ったとき、「月ならば16.7kgか」と思うくらいか。



 地球にいる限りは地球の重力の恩恵を受けている。もちろん恩恵だけではない。何にしても間違いなく重力の影響を受けて生きている。ただ、「なんで地球に重力なんてあるんだ!」と思うことはほとんどない。



 恩恵を受けているとき、その対象については多くの場合無自覚である。悪影響を受けると途端に自覚的になる。



 僕らは無重力を知っている。無重力下ではちょっとした運動で位置を固定したり安定した姿勢を取れなくなる。だから無重力下では、思ったところ、思った姿勢で「ピタっと止まる」方が圧倒的に難しい。



重力があるから不自由に思う。
重力があるから地に足がついている。
重力があるから自由を思える。
重力があるから思ったところで止まることも出来る。
重力に自覚的になるからこそ、重力から自由にもなれる。
重力から自由になると、「停止できる」「静止できる」という自由を失う。
※重力というテーマは好きである。重力に自覚的なわりに体重に無自覚な自分がいた…。





「ドーナツ」=『重力があるから不自由に思う。』

「ドーナツの穴」=『重力から自由になると、「停止できる」「静止できる」という自由を失う。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第259回『かじる』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第259回は『かじる』

 聞きかじりの「かじり」の話である。ちょっと耳にしたことでも、全く知らないよりはましだし役に立つ。うっすらとでも何かに「興味を持つ」ことは大事である。



 「芸能人格付けチェック」というバラエティ番組で、ワインの味を当てる企画があるが、味見程度でも飲んだ経験があるか、熟成がすすんだワインがどんな味がするかを知識として知っているだけでも当たる確率は上がるだろう。※あくまでも、熟成された価格の高いワインを当てる確率の問題。美味しい(と感じる)かどうかとは全く別問題。



 かじった程度で…、と揶揄する向きもあるがそれはその分野を究めた、究めようとしている人からの見地である。当人に「かじった程度」という自覚があるならば、やはりかじらないよりかじった方がいい。ちょっとかじるだけでも感じ方は変わる。



 絵画などのには「構図」という概念がある。
名画は構図がわからなくても美しいと思うだろう。
だが、構図があることをかじっているだけでもその絵の美しさは変わる。
さらに、どんな構図を使っているかを知るだけでも、さらにその美しさは深みを増す…。

……

 かじらないよりは、ちょっとでもかじっているほうが絶対にいい…。
どうかじるか?どうかじらせるか?かじるは入り口。入らない事には、入ってもらわない事には何も始まらない…。




「ドーナツ」=『かじった程度で…、と揶揄する向きもあるがそれはその分野を極めた、究めようとしている人からの見地である。』

「ドーナツの穴」=『当人に「かじった程度」という自覚があるならば、かじらないよりはちょっとでもかじっているほうが絶対にいい…。どうかじるか?どうかじらせるか?かじるは入り口。入らない事には、入ってもらわない事には何も始まらない…。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第258回『生きた教材』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第258回は『生きた教材』

 「死んだ教材(こんな単語があるのか?)」が教材になるかどうかはともかく、今、現実に起きた、経験した事象について考え、学ぶことは良いことである。コロナ禍の体験も、「生きた教材」になれば少しは報われるとも思う。
※コロナ禍の真っ只中にいる人々はそれどころではないだろうが…。



 コロナに対する政府の、ともすれば場当たり的な対処を批判する人もいるが、良し悪しはともかく、予想外、未知のことに対しては、場当たり的でも対処するしかない。問題は、場当たりで対処した経験を活かして、場当たり的対処を減らせるかどうかである。



 コロナ禍で、場当たり的対処をするしかない状況は今後もあるだろう。ただ、これまでの場当たり的対処を、それこそ「生きた教材」に出来ていれば、場当たり的対処すべきことは変化する。少なくとも既知のことについてはきちんと対処できるようになるはず。場当たり的対処する場面に成長が見られれば、批判も少なくなるのではないか。



 起きたことや経験が、生きた教材・死んだ教材に分類されるのではない。「起きたこと、経験を生きた教材にできるかどうか?」ということである。経験を生かすも殺すも自分次第。使える使えないも自分次第。そもそも使うか使わないかも自分次第…。




「ドーナツ」=『「死んだ教材(こんな単語があるのか?)」が教材になるかどうかはともかく、今、現実に起きた、経験した事象について考え、学ぶことは良いことである。』

「ドーナツの穴」=『起きたことや経験が、生きた教材・死んだ教材に分類されるのではない。「起きたこと、経験を生きた教材にできるかどうか?」ということである。経験を生かすも殺すも自分次第。使える使えないも自分次第。そもそも使うか使わないかも自分次第…。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第257回『誰かを馬鹿にしたところで自分が賢くなるわけではない』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第257回は『誰かを馬鹿にしたところで自分が賢くなるわけではない』

 自分が賢くなるには研鑽を積むことである。賢い人は自分の愚かさを知っている。だから研鑽する場所、箇所を知っている。だからより賢くなる。



 個々の人間の能力差などたかが知れている。関わりのある分野、興味の対象…といった、いわゆる生き方がそれぞれ違うだけだ。
生き方の違い≠能力差
生きている場所の違い≠能力差
持って生まれた個性≠能力差

……



 本当に賢い人は、自分の愚かさを知っているから誰かを馬鹿にすることはない。誰かを馬鹿にする人の多くは、劣等感、嫉妬心といったものを抱えている場合が多い。
その行為は実は、『誰よりも自分自身を馬鹿にしている』



 自身の愚かさを知ることと、自分を馬鹿にすることは全く違う。
誰かを馬鹿にしないことである。何よりまず自分を馬鹿にすることは止めといた方がいいと思う。
当たり前だが、自分自身を含めた「馬鹿にした人の数」が賢さを決めることは絶対にない。




「ドーナツ」=『自分が賢くなるには研鑽を積むことである。』

「ドーナツの穴」=『当たり前だが、自分自身を含めた「馬鹿にした人の数」が賢さを決めることは絶対にない。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

風評被害をなくすための報道で起こる風評被害

 福島第一原発の処理水は問題ない。だから海洋放出しても問題ない。
これは事実である。
問題ないから、各国の他の原子力施設からも放出されている。
これも事実である。
各国だけでなく、日本の福島第一原発以外の原発からも、今、現実に処理水は放出されている。
これも事実である。



 福島第一原発の風評被害をなくすため、事実を伝えようと考えた報道マンがいた。彼は逡巡し、一旦は報道することを躊躇した。だが、躊躇することは真実を伝えることを使命とする自身の姿勢とは違う。そこで、彼は自らとある地域の原発周辺を取材し、そこでも処理水が海洋放出されていることを地域住民に問うた。

多くの住民は知らなかった。
一部の住民は知っているが風評被害が起こるので報道してほしくないといった。
ごく一部の住民は「福島だけの問題ではない」から報道しても良い(されても仕方ない)といった。

……

 福島第一原発の風評被害をなくすため真実を伝えようとすると、その真実によって新たな風評被害が生まれる。その風評被害を防ぐために真実を伝えること控えると、もとの福島第一原発の風評被害を放置することになる。報道マンの逡巡に強く同感した。

この報道マンの話も事実である……。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

お灸がない

 「お灸を据える」…、かなり古びた言い方である。今の時代、灸の据え方を間違えると、体罰、虐待、ハラスメントになってしまう可能性すらある。本来は健康のため、体調を整えるために灸は使う。使い方と据える場所がポイントになる。※もっと細かく言えば、百草の量、練り方、そもそも別の熱源を使う…、などプロの知識、技術があるだろう。



 熱(源)、熱さだけを使って、戒め、懲らしめ、罰に使うことが「お灸を据える」ということになる。文字通り、罰としてお灸を据えられた経験がある人はもはや少ないだろう。



 お灸を据えるには、お灸がないといけない。与党にお灸を据えるには対立軸、すなわち野党がしっかりしないといけない。だから、「2大政党制が必要だ」なんて話になるのだが、

「与党にお灸を据えるのために野党がしっかりしないといけない」×
「しっかりした野党が、与党のお灸を据えることになる(こともある)」〇


のはず。



 政治家のお灸は、国家のために政策を考え、実行するなどといった政治力である。
政治家のお灸が、国を癒す、整える、発展させるのが本来の形だ。
お灸にならないのではなく、実は「お灸がない」…、なんてことが無ければいいのだが…。


 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第256回『手探り』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第256回は『手探り』

 未知のもの、分野等を知る過程において、最初は誰しも手探りである。手探りを積み重ねて、知見や知識が増えていく。そしてそれを使って、さらに先の、奥の未知のものを探求する。



多くの知識、知見を持った人は「手探り」真っ只中の人でもある。

『知っているからこそ(さらに)手探り≒深掘り』

し続けているわけである。



 手探りは手間である。が、誰かがその手間をかけたから後続は手探りする必要もなければ、手間もかからない。



 教育とは、先人たちが手探ってきた歴史と手探りの仕方、手探りすることの意味を教えることでもある。手探りすることの意味を知っていれば、もっと新人には優しくなり、より先人には感謝できるだろう。



 それぞれの状況、立場、経験で人は手探りしている。手探りし続けるしかない。サボることはできるが。人だけではない。猫や犬、生命は未知のものに対して「手探り」で近づき、そして知ろうとしている。

老い、老化とは「手探り」をサボっている状態、あるいはサボっていることが多くなっていく状態。…なのかも知れない。



「ドーナツ」=『人だけではない。猫や犬、生命は未知のものに対して「手探り」で近づき、そして知ろうとしている。』

「ドーナツの穴」=『老い、老化とは「手探り」をサボっている状態、あるいはサボっていることが多くなっていく状態。…なのかも知れない。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp

ドーナツとドーナツの穴 第255回『収拾』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第255回は『収拾』

 騒動はいずれ収拾する。収拾させようと思っても、なかなか収拾できないことも少なくないが、いずれ必ず収拾する。「時が解決する」とは文字通り真実の言葉である。※終息は「不作為の収拾」という場合もある。



 騒動の当事者と関係者がいなくなれば騒動は収拾する。だから、何らかの意図が働かなければほとんどの騒動は100年程で収拾する。騒動が収拾した結果を、次世代に伝えるようにするために歴史に残したりするのは、収拾した後とも見れるが、騒動の残り火を残すようなことでもある。



 歴史は一方から見れば騒動が収拾した顛末、もう一方から見ればまだ収拾させたくない、あるいは騒動の最中であることを示すもの。



 メディアが、事件や騒動が起きた時、騒ぎ立てるだけで収拾しないのは『騒ぎ立てた時点でメディア側から見れば収拾している』状況だからだとみることも出来る。 『今日は報道するようなことが何もありませんでした…』、という報道は多分成り立たない。

『騒ぎ立てるようなことが何も起きない状況』≒『何かが収拾している状況』

それこそ、メディアにとっては大騒動すべき状況なのだから…。



 いつの間にか報道するために騒動を探す…、なんてことになったりすることも多いのではないだろうか?騒動が多すぎて、収拾する前に騒動が次の騒動に埋もれていく時代。騒動が収拾しないまま、終息していくようにも見える。収拾を疎かにする傾向はメディアだけの傾向ではない…。



「ドーナツ」=『騒動はいずれ収拾する。』

「ドーナツの穴」=『騒動が多すぎて、収拾する前に騒動が次の騒動に埋もれていく時代。騒動が収拾しないまま、終息していくようにも見える。収拾を疎かにする傾向はメディアだけの傾向ではない…。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp