豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

自分を繊細だという人は本当に繊細なのか?

 繊細な人の繊細エピソードに出くわすことがある。話を聞けばなるほど、エピソードは繊細である。
が、それをオープンにできる神経は繊細なのだろうか?…と考えてしまう。

本当に繊細な人の繊細エピソードに触れるのは難しい…。



 関係性から考えても、繊細エピソードが事実なら僕には話さない方がいいし、繊細エピソードが創作、盛った話なら間違いなく本人は繊細ではない。

僕に話をした方がいいか繊細に考えた方がいいし、繊細アピール?は、少なくとも僕には届いていない…、と話を聞きながら考えてしまった。



 繊細な人についてよく感じるのは、繊細さが向かう先以外には鈍感だったり、あるいは繊細さが向かう先以外には気が回らなくなるくらい繊細であるということ。見方や状況によっては粗雑、大胆、鈍感な行動をしていることが多いということ。

繊細さが過ぎると、大胆(粗雑)な人よりも大胆に見えることがある。


 繊細さの極近距離にある種の鈍感さ(粗雑さ)が同居している。繊細とはそういうことなんだろう。ということは、鈍感さ(粗雑さ)の極近距離にはある種の繊細さが潜んでいるということでもある。



 とまあ、粗雑に「繊細」について考えてみたが、繊細に関する繊細さは僕には少ないようである。



 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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