『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。
『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。
そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。
第302回は『備えと蓄え』
備蓄なんて言葉もあるが、備えと蓄えは同義ではない。通常は、備えの一部に蓄えがある。蓄えだけで備えが完了するわけではない。
過ぎた蓄えに対しては、不要な管理が増える。商いには、適正在庫なんて言葉もあるくらいだ…。当然、不要な蓄え≒不良在庫は蓄えではない。
備えと蓄えを混同すると悲劇である。備えているつもりで蓄えているだけの人もたまに見かける。備えるために蓄えていたのが、「蓄えるために蓄えている」に変化していることに本人は気付かない。当然、蓄えても備えが不十分となる。悲劇、いやっ、傍から見れば喜劇にも映る。
一方、備えるにもコストがかかる。
想定できる最大限の脅威に備えるコスト。
その備えを維持するコスト。
……
想定を下げる、あるいは維持期間を短くする。備えるコストを下げるにはそれしかない。生きること(人生)に備えるのが、難しいのは当然である。
脂肪も飢餓に備えるために蓄えているものが、いつの間にか不良在庫化している。不要に蓄えようとするのが生き物の性…。放っておいても「蓄える」方向に人は動く。浪費や中毒といった蓄えとは逆に思える行動も、本来「蓄えられないもの」を蓄えようとしているからハマる。刹那の満足、快楽を永遠に…、は不可能。絶対に続かない、蓄えられないから刹那なのだ。
そう思うと備えるには「捨てる」「整理する」といった方向付けが必要になる。世界的な宗教や哲学の多くも執着や固執を「捨てる」方向に志向する。
知性(理性)によって「備蓄」することを覚えた人類の「蓄え」が暴走するのは感性(野生)によるもの。
野生化した「蓄え」を理性によって調整しようとするのが「捨てる」ということ。
不必要なものを「捨てる」という理性が生み出すのが、ポイ捨てや不法投棄といった野生化した「捨てる」という行為。
備えはバランス。蓄えはそのバランスを調整する一部分である。蓄えだけでは備えられない。
「ドーナツ」=『備蓄なんて言葉もあるが、備えと蓄えは同義ではない。』
「ドーナツの穴」=『備えはバランス。蓄えはそのバランスを調整する一部分である。蓄えだけでは備えられない。』
今日はここまで。文責 江口
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