『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。
『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。
そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。
第281回は『主役と脇役』
主役がいて脇役がいる。脇役がいて主役がいる。たとえ一人芝居であってもも自分以外の誰か(何か)を想定したり、想像したりして芝居は成り立っている。
…という芝居が成り立つのも観客がいてこそである。そして、観客は芝居があるから存在する。
一方だけで、一方的になりたっているものはない。一方的な思い込みが、本来共存が前提であるもう一方を追い込む…。結果、自分も追い込んでいく。
傍からみれば「愚かな」行為だが、なかなか止められない。※自分もその愚かな一人である。
追い込まない、追い込まれないバランス…。成り立つ、成り立たせるバランス…。
名作の多くは、アンバランスに見えても、必ずどこか絶妙なバランスで成り立っている。
もちろん、作品が生み出された時代とのバランスもあるだろう…。
主役にしろ、脇役にしろ、自分が成り立っているなら誰かがバランスをとっている。自覚できなくても、それだけは間違いない。バランスをとっている側なら、主役も脇役も関係ない。
真の意味で主体的に物事に関わる人とは、自覚、無自覚に関わらず、バランスをとる側の人のことである。
(名)脇役がいてこその…、(名)主役がいてこその…、(名)作品があってこその…、(名)観客がいてこその…、(名)社会があってこその…。
「主役がいて脇役がいる。脇役がいて主役がいる。』
「ドーナツの穴」=『バランスをとっている側なら、主役も脇役も関係ない。真の意味で主体的に物事に関わるとは、バランスをとる側の人間のことである。』
今日はここまで。文責 江口
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本人です。カウント用
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