豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

ドーナツとドーナツの穴 第278回『持つ責任』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第278回は『持つ責任』

 何かを持ちたいと思うことは「欲」である。
当然、何かを「持つ」ということはそれに伴う責任を負う。
所有、飼育、共存、共生、保有、確保、…
言い方はともかく「持つ」権利には責任が伴う…。

その責任を果たさない、果たせないと問題とみなされる。少なくともいまの日本はそうである。



 責任には基本際限がない。だから法律上決める必要がある。これは(所有、持つということに対する)欲に際限がないことの裏返しでもある。

ただし、欲はコントロール可。だから責任もコントロール可ともいえる。というか、日常は欲も責任もお互いコントロールしながら生きているから、法律云々まで行くことはそう多くはない。



 欲も責任もコントロールできなくなると、コントロールを誰かにゆだねるしかない。そうしないとその集団そのものの存続が脅かされる。それが法律などといった集団の決め事である。



 持てるから持ちたいのか、持ちたいから持つのか、とりあえず持つのか、誰もが持っているから持つのか、仕方なく持つのか…。

持つ動機は関係ない。持っているという自覚があるかどうかも関係ない。持った瞬間に責任は生じている。



 数日前、大阪で家屋が突然倒壊しているニュースを見かけた。
見るからに年月を経ている石垣の上に建っていた。
その石垣の下の土地では工事が行われていた。

工事の持ち主(施主あるいは施工主)
石垣の持ち主
住宅の持ち主
住宅を建てる許可権を持っている持ち主
工事の許可権を持っている持ち主
等々……

出来事そのものの要素もあるが、場合によってはそれ以上に、持ち主の数≒欲の数≒責任の数がコントロールを難しくする。



「ドーナツ」=『何かを「持つ」ということはそれに伴う責任を負う。』

「ドーナツの穴」=『持てるから持ちたいのか、持ちたいから持つのか、とりあえず持つのか、誰もが持っているから持つのか、仕方なく持つのか…。

持つ動機は関係ない。持っているという自覚があるかどうかも関係ない。持った瞬間に責任は生じている。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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