豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

ドーナツとドーナツの穴 第276回『報い』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第276回は『報い』


 「報いる」と書くと、自分にとっての善行に対する恩返し的なことをイメージすることが多い。
「報い」と書くと、誰かの悪行に対する報復とか罰を思い浮かべる。
どちらも個人的な感想である。



 「報い」そのものは誰かの行為に対するリアクションだ。先に「報い」があるわけではない。報いが先に来るのは、報いの蓋然性を持ち込んで、善行を促し悪行を抑制する場合などだ。



 実生活では(誰にとって、何にとっての)善行か悪行かはあえてはっきりさせない、あるいははっきりしない場合も少なくない。

コロナ下で開催される「オリンピックは善行か悪行か?」

に明確な答えがないのがその例である。



 「報い」そのものに善悪はない。どこまでいっても、行為に対するリアクションだ…。ということは、善悪がはっきりしない行為に対しても「報い」があるということになる。
アクションがあればリアクションがある…。それ自体はシンプルな話…。




 話を難しくしているのは、「行為」より先に「報い」を求めたり、「報い」を恐れたり、「報い」でコントロールしたりしようとする行為者の存在…。

善行は報いに関係なく善行。悪行は報いに関係なく悪行。行為はコントロール可。報いはコントロール不可。

予想は出来ても、コントロールできないのが「報い」。

コントロールできるところはどこなのか?それが問題だ…。


「ドーナツ」=『「報い」そのものに善悪はない。どこまでいっても、行為に対するリアクションだ…。』

「ドーナツの穴」=『行為はコントロール可。報いはコントロール不可。

予想は出来ても、コントロールできないのが「報い」。

コントロールできるところはどこなのか?それが問題だ…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
この記事へのコメント
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