『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。
『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。
そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。
第268回は『献身が献身を呼ぶ』
類は友を呼ぶ、同種のものは自然に集まりやすい。人同士が集まるから街が出来るし、鴨同士も近所の水辺でやはり集まっている。
発信者の意図に関わらず、受信した情報をもとに人は集まる。他人に献身を求めるなれば、少なくとも自分も献身的でなければならない。自分が献身的であったとしても、他人も献身的に接してくれるとは限らない。が、献身的でないよりは確実に献身的になってくれる可能性は高くなる。
周囲が優しくないのなら、かなりの確率で自分が周囲に優しくないのだ…。
保身は保身を呼ぶ
利己は利己を呼ぶ
献身が献身を呼ぶ
優しさが優しさを呼ぶ
……
発した情報の切り取られ方で、受信する側の反応は変わってしまう。切り取り方の問題はもちろんある。が、何故そういう切り取られ方をしてしまうのかという問題もある。そういう切り取り方をする人が集まっているとするならば、自分にも「都合よく情報を切り取って発信する」という要素があるのかもしれない。
都合の良い切り取りは都合の良い切り取りを呼ぶ
献身を呼ぶには、献身を呼ぶ前に「献身的」であることが前提である。呼んで人が集まったら自分も献身的になろう…。それでは献身は集まらない。本当に献身的だと受け取られる人は、何よりまず、ただ「献身的」なのである。
「ドーナツ」=『献身が献身を呼ぶ』
「ドーナツの穴」=『呼んで人が集まったら自分も献身的になろう…。それでは献身は集まらない。本当に献身的だと受け取られる人は、何よりまず、ただ「献身的」なのである』
今日はここまで。文責 江口
この記事へのコメント
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本人です。カウント用
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