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ドーナツとドーナツの穴 第266回『罪と罰、罰と罪』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第266回は『罪と罰、罰と罪』


 罪を犯さないようにするため、戒めのために罰がある。罪を犯したら罰を受ける。これが正しい順序である。ただ罰を受けたら罪がなくなる…、なんてことはない。集団で決められた制度、ルールの問題を一旦横に置けば、やはり罪は罪なのだ。



 罪を犯した人が一定程度「きつく」感じないと罰の意味がない。罰が軽い、あるいは権利を保護されたような罰だと、『罰を受けるから罪を犯してもいい』『罰を受けたいから罪を犯す』なんて逆転現象がおこることもある。



 罪の大きさと罰の大きさのバランスが難しい。罪が大きいのに罰が小さい、罪が小さいのに罰が大きい…。そこに悲劇が起こる。そしてその悲劇によって、罪と罰のバランスが調整されていく…。

「罪を憎んで人を憎まず」などと聞くが、その罪を決めているのも人である。当然罰も人が決める。赦すのも人なのだが…。



 罪があって罰がある。罰があって罪があるのではない。そういう意味では、罪と罰という順序で思考するのが自然である。が、現実は罰の大きさで罪を軽んじていることも少なくない。その流れで罰と罪という順序で思考していることも多い。罰と罪という順序の思考は、それこそ思考の順序がすでに罪かも知れない…。



「ドーナツ」=『罪と罰という順序で思考するのが自然である。』

「ドーナツの穴」=『現実は罰の大きさで罪を軽んじていることも少なくない。罰と罪という順序で思考していることも多い。罰と罪という順序の思考は、それこそ思考の順序がすでに罪かも知れない…。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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