昨日TVをザッピングしていると、相手にドッキリを仕掛けていると思わせるドッキリが放送されていた。この企画が面白いのは、仕掛けられる相手にも相手にドッキリを仕掛けていると思わせていること。つまり、
「登場人物全てがドッキリを仕掛けている側」
だと思い込んだ状況で番組が進行していること。騙す側が、同時に騙される側でもある状況が面白かった…。
騙す、騙されるで言えば、騙す側が賢く、騙される側が愚かなんて言い方をよく耳にする。ここでいう賢さとは、その状況で持っている情報量の違いである。確率的に情報量が多い方が騙しやすいし、騙されにくい。
「登場人物全てが仕掛ける側だと思っているドッキリ」というのは、自分の方が「裏(真)の情報を持っている」という意識で、お互い相手をドッキリにひっかけようとするわけである。だが実際に情報量に差はない。時間制限があるので番組としては成り立っていたが、当然その場の収拾はつかない。どんどんあらぬ方向にいくということを面白おかしく放送していた…。
そこには、自分を賢い(≒自分の方が情報量が多い)という思い込みが起こす滑稽さがあった。実際は同じくらいの賢さ、情報量、力量なのである。それを自分(だけ)が知らない、わからない…。リアルと同じである。日常にも上記のようなことは溢れている。
非日常という体を取りながら、日常にあることを描く。だから日常で理解できるし笑える。あり得ない体で、ありふれたあり得る話だから理解できる。しかも自分にも降りかかっているありふれたことなのかもしれないのに、あり得ない体だから受け入れられる。
面白いドッキリが、恐ろしくもあるのはそういうところである。
今日はここまで。文責 江口
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本人です。カウント用
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