コロナ下での生活は非日常である。が、すべてが非日常ではない。コロナが話題に上らなかった頃はただの日常であると思っていた。が本当は全てが日常ではない。
日常で行われる予定だったオリンピックは非日常。コロナ下で行われるかもしれないオリンピックも非日常。どちらにしても非日常下で、日常が無くなるわけではない。
「非日常下の日常を生きていかないといけない」
わけである。
固定的な日常があるわけではない。日常も変化する。非日常によって、日常の変化が大きくなり、それが認識しやすくなったのだ。悪い変化ばかりではない。もちろん、非日常によって日常がより良きものに変化することもあるだろう。
オリンピック自国開催という非日常は、日常をより良きものに変えるものだろうか?
今回のオリンピックが開催されるかどうかはわからない。が、今後「オリンピック自国開催」という非日常が日常をより良きものにするのか?は熟考すべきだろう。
コロナ下でオリンピック自国開催が行われる(かもしれない)という非日常下で、今日も日常は続く…。
今日はここまで。文責 江口
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