豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

ドーナツとドーナツの穴 第263回『悪球打ち』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。

 第263回は『悪球打ち』


 エンゼルスの大谷選手の13号ホームランが話題になっている。ホームランの数はもちろんだが、打った球が完全なボール球だったことが注目されている。※地面からどれくらいの高さのボール球かを解説した記事もあったようである。



 野球をかじったことのある人ならばわかるが、本来ボール球に手を出すことは良くないこととされている。「選球眼の良し悪し」というのが、名バッターの基準になるくらいだから、本来ならば、「喝!」と某番組で叫ばれても仕方のないようなボールである。が、おおむね大谷選手のホームランを讃えている意見がほとんどである。

その理由は、
『悪球打ちが讃えられるくらいの成績を残しているから』
である。また大谷選手の代名詞である二刀流が許されているのも、
『二刀流が許されるくらいの成績を残しているから』
である。



 終わりよければ全て良し、結果よければ全て良しもっと過激に、結果さえだせばなんでもあり…

というのはやや極論だが、結果が出ているからこその「悪球打ち」の賞賛である。



 漫画の世界では、「悪球打ち」で有名な「ドカベン 岩鬼」というキャラクターがいた。
『安定して、悪球をきちんと打てる』
という安定しているのかしていないのか、よくわからないのがたまらない魅力のキャラクターだったと記憶している。



 どこかに「安定」があるから「不安定」を許容できる。
安定して「不安定」であるという「安定」もある。
結果が出ているから、許容できる「不安定」の範疇に収まっている。

……

 大谷選手の悪球打ちは、ある瞬間、その一球の結果である。通常の一定期間の安定した結果があるからこそ、「その一球」の(好)評価がある。

日常(通常)の結果があるからこそ、瞬間の結果も賞賛される。
普段(日常)をおろそかにするものに、その瞬間は訪れない…。


「ドーナツ」=『大谷選手の悪球打ちが評価されている』

「ドーナツの穴」=『大谷選手の悪球打ちは、ある瞬間、その一球の結果である。通常の一定期間の安定した結果があるからこそ、「その一球」の(好)評価がある。』





 今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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