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ドーナツとドーナツの穴 第258回『生きた教材』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第258回は『生きた教材』

 「死んだ教材(こんな単語があるのか?)」が教材になるかどうかはともかく、今、現実に起きた、経験した事象について考え、学ぶことは良いことである。コロナ禍の体験も、「生きた教材」になれば少しは報われるとも思う。
※コロナ禍の真っ只中にいる人々はそれどころではないだろうが…。



 コロナに対する政府の、ともすれば場当たり的な対処を批判する人もいるが、良し悪しはともかく、予想外、未知のことに対しては、場当たり的でも対処するしかない。問題は、場当たりで対処した経験を活かして、場当たり的対処を減らせるかどうかである。



 コロナ禍で、場当たり的対処をするしかない状況は今後もあるだろう。ただ、これまでの場当たり的対処を、それこそ「生きた教材」に出来ていれば、場当たり的対処すべきことは変化する。少なくとも既知のことについてはきちんと対処できるようになるはず。場当たり的対処する場面に成長が見られれば、批判も少なくなるのではないか。



 起きたことや経験が、生きた教材・死んだ教材に分類されるのではない。「起きたこと、経験を生きた教材にできるかどうか?」ということである。経験を生かすも殺すも自分次第。使える使えないも自分次第。そもそも使うか使わないかも自分次第…。




「ドーナツ」=『「死んだ教材(こんな単語があるのか?)」が教材になるかどうかはともかく、今、現実に起きた、経験した事象について考え、学ぶことは良いことである。』

「ドーナツの穴」=『起きたことや経験が、生きた教材・死んだ教材に分類されるのではない。「起きたこと、経験を生きた教材にできるかどうか?」ということである。経験を生かすも殺すも自分次第。使える使えないも自分次第。そもそも使うか使わないかも自分次第…。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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