「お灸を据える」…、かなり古びた言い方である。今の時代、灸の据え方を間違えると、体罰、虐待、ハラスメントになってしまう可能性すらある。本来は健康のため、体調を整えるために灸は使う。使い方と据える場所がポイントになる。※もっと細かく言えば、百草の量、練り方、そもそも別の熱源を使う…、などプロの知識、技術があるだろう。
熱(源)、熱さだけを使って、戒め、懲らしめ、罰に使うことが「お灸を据える」ということになる。文字通り、罰としてお灸を据えられた経験がある人はもはや少ないだろう。
お灸を据えるには、お灸がないといけない。与党にお灸を据えるには対立軸、すなわち野党がしっかりしないといけない。だから、「2大政党制が必要だ」なんて話になるのだが、
「与党にお灸を据えるのために野党がしっかりしないといけない」×
「しっかりした野党が、与党のお灸を据えることになる(こともある)」〇
のはず。
政治家のお灸は、国家のために政策を考え、実行するなどといった政治力である。
政治家のお灸が、国を癒す、整える、発展させるのが本来の形だ。
お灸にならないのではなく、実は「お灸がない」…、なんてことが無ければいいのだが…。
今日はここまで。文責 江口
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