豊中 訪問看護は「あったかリハビリ」へ

ドーナツとドーナツの穴 第256回『手探り』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第256回は『手探り』

 未知のもの、分野等を知る過程において、最初は誰しも手探りである。手探りを積み重ねて、知見や知識が増えていく。そしてそれを使って、さらに先の、奥の未知のものを探求する。



多くの知識、知見を持った人は「手探り」真っ只中の人でもある。

『知っているからこそ(さらに)手探り≒深掘り』

し続けているわけである。



 手探りは手間である。が、誰かがその手間をかけたから後続は手探りする必要もなければ、手間もかからない。



 教育とは、先人たちが手探ってきた歴史と手探りの仕方、手探りすることの意味を教えることでもある。手探りすることの意味を知っていれば、もっと新人には優しくなり、より先人には感謝できるだろう。



 それぞれの状況、立場、経験で人は手探りしている。手探りし続けるしかない。サボることはできるが。人だけではない。猫や犬、生命は未知のものに対して「手探り」で近づき、そして知ろうとしている。

老い、老化とは「手探り」をサボっている状態、あるいはサボっていることが多くなっていく状態。…なのかも知れない。



「ドーナツ」=『人だけではない。猫や犬、生命は未知のものに対して「手探り」で近づき、そして知ろうとしている。』

「ドーナツの穴」=『老い、老化とは「手探り」をサボっている状態、あるいはサボっていることが多くなっていく状態。…なのかも知れない。』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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