『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。
『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。
そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。
第255回は『収拾』
騒動はいずれ収拾する。収拾させようと思っても、なかなか収拾できないことも少なくないが、いずれ必ず収拾する。「時が解決する」とは文字通り真実の言葉である。※終息は「不作為の収拾」という場合もある。
騒動の当事者と関係者がいなくなれば騒動は収拾する。だから、何らかの意図が働かなければほとんどの騒動は100年程で収拾する。騒動が収拾した結果を、次世代に伝えるようにするために歴史に残したりするのは、収拾した後とも見れるが、騒動の残り火を残すようなことでもある。
歴史は一方から見れば騒動が収拾した顛末、もう一方から見ればまだ収拾させたくない、あるいは騒動の最中であることを示すもの。
メディアが、事件や騒動が起きた時、騒ぎ立てるだけで収拾しないのは『騒ぎ立てた時点でメディア側から見れば収拾している』状況だからだとみることも出来る。 『今日は報道するようなことが何もありませんでした…』、という報道は多分成り立たない。
『騒ぎ立てるようなことが何も起きない状況』≒『何かが収拾している状況』
それこそ、メディアにとっては大騒動すべき状況なのだから…。
いつの間にか報道するために騒動を探す…、なんてことになったりすることも多いのではないだろうか?騒動が多すぎて、収拾する前に騒動が次の騒動に埋もれていく時代。騒動が収拾しないまま、終息していくようにも見える。収拾を疎かにする傾向はメディアだけの傾向ではない…。
「ドーナツ」=『騒動はいずれ収拾する。』
「ドーナツの穴」=『騒動が多すぎて、収拾する前に騒動が次の騒動に埋もれていく時代。騒動が収拾しないまま、終息していくようにも見える。収拾を疎かにする傾向はメディアだけの傾向ではない…。』
今日はここまで。文責 江口
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