『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。
『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。
そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。
第253回は『見返り前提はどうかと思うが見返りそのものは悪くない』
「見返りを求める」なんて言うように、「見返り」という言葉にはネガティブなイメージの方が強い。「良い見返りですね」とか「今回の見返り、助かったよ」なんて使い方は基本しない。
見返りとは、相手の行為、行動に対する保証、担保、お返しあるいは、そのお返しされたものそのものを意味する。ふるさと納税の返礼品など、いわゆる「見返り」の代表みたいなものである。
※そういえば、返礼品という言葉にはネガティブなイメージは少ない。「見返り品」というネーミングならどうだっただろう?
見返りを受ける側が、求められる行動をする前から見返りを求める、あるいは見返りの内容を決めるというのがいまいちなのだ。見返りを返す側が、してもらった、あるいは求めた行動に関して感謝を示すのは問題ない。
※返礼品という言葉にネガティブなイメージが少ないのは、「選択肢ある見返り」という側面があるからでは?とも思う。
※税額の控除があるという「見返り」が前提である制度だから…、という身も蓋もない理由もあるだろうが…。
見返りという言葉にネガティブなイメージがつきやすいのは、人とのやりとりで「損したくない」あるいは「損した」という本能が人にはあるからだ。
見返りに対して求めた行為がいまいちならば、見返りした側が「損した」と考える傾向が強い。逆に求められた行為に対し、見返りがいまいちならば、行為を求められた側が「損した」と考えるケースが多いだろう。
見返りに対して、「損した」という人の思いの方が強く残る、あるいは強調されるから「見返り」はネガティブになる。
見返りで得している人は、わざわざ得していることをオープンにする人は少ないだろうし、見返りを求めない人は、そもそも損得では動かないから、当然損得のどちらもそこにはない。
結果、見返りのポジティブな部分は表に出にくい…。というところではないだろうか。
見返りに損得感情が絡むから、見返りはネガティブなイメージになりやすいのである。損得の視点から見るから「見返り」が美しくないのである。「見返り」そのものは悪くない。
本文に関係ないが、見返り美人は見返らなくても美人である。
後ろを「見返る」という行為がその美しさを際立たせているのだ。※当然視覚的な効果もあるだろう。
それにプラスして、見返り行為に対して「得した」というその場面をみた人の心情が重なるから、見返り美人はより美人に見える…、のである。
「ドーナツ」=『「見返り」という言葉にはネガティブなイメージの方が強い。』
「ドーナツの穴」=『見返りに損得感情が絡むから、見返りはネガティブなイメージになりやすいのである。損得の視点から見るから「見返り」が美しくないのである。「見返り」そのものは悪くない。』
今日はここまで。文責 江口
この記事へのコメント
194
本人です。カウント用
コメントを書く