人生はスポーツではない。スタートがすでに違うのだ。これに異論がある人はいないだろう。ひとそれぞれ生まれた環境が違う。
環境だけでない。生まれ持った個性、才能にも差がある。これもスタートが違う原因になる。才能も人それぞれ違う。
人生のスタートにはムラがある。これは事実である。環境の面からみても、才能の面からみてもそうである。機会は平等に…、とは思うが、最初の「入口」は残念ながら違うし変えられない。ただしそこからは選べる…。もちろん選択による難易度はあるにしても…。
人生のスタートにムラがあるとは、「生まれた時代」も選べないことを含んでいる。スマホが、生まれたときからある世代と、ワイヤーにつながれた電話が普通に使われて、パソコンがまだ珍しかった時代の世代とは、明らかに差がある…。情報に対する感度というか、対応する速度が全く違うのだ…。
逆に、日本の人口が増え、内需が活発だった時代、早い話が経済成長している時代に生きてきた世代と、経済成長が鈍化している時代に生きている世代の経済格差も厳然と存在している。※年金制度などは、基本的に後に生まれた世代ほど確実に損である。
選べないことをいつまでも考えたり、悔やんだりしても仕方がない…。時間は選べること、未来に使うべきである。少なくとも、
「これから自分がやること」
は選べるのは事実なのだから…。
『(人生の)スタートにはムラがある』
これは受け入れたほうがいい。だが、スタートしてからどうするのかは選べる。もし自分が今苦しい状況にあるとき、スタートの問題はもちろんあるが、選択の問題、選択してからの行動の問題も忘れてはいけない。スタートのムラだけに全ての原因を押し付けるには、ちょっとムリがある。
『(人生の)スタートにはムラがあるが、それを起きたことの原因のすべてにするにはムリがある』
変化の大きな時代は、ゴールにもムラがあるのだが、それはまた次回…。
今日はここまで。文責 江口
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