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ドーナツとドーナツの穴 第71回『余生』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第71回は『余生』


 島田紳助さんが引退後、初めて動画出演したことで話題になっている。misonoさんのユーチューブチャンネルに出演し、現時点で200万回以上、再生されているらしい。
その動画はこちら↓


 島田紳助さんを久々に見て、思い浮かんだのが「余生」という言葉だった。そこで今回はそれを取り上げることにした。これまでの仕事を辞め、やりたいことをやっている…、充実した人生だというニュアンスで本人は語られている。それはその通りなんだろうと思う…。

……

 多くの人の現実として、「余生」という言葉がしっくりくる人は少ないのではないだろうか?余生とは、やりきった「余りの人生」という意味だ。それをのんびり過ごそうという話には、少しの憧れはあるが多分うまくはいかない。※もちろん、うまくいっている人もいるだろうが…。


 そもそも、仕事が好きでたまらない人、やりたいことがたくさんある人は、「余生」なんて考えず、文字通り、

『死ぬまで人生を駆け抜けていたい』

と思うはずだ。そんなことすら意識せずに……。

不安にかられて、「死ぬまで何かをやっておかないと」生きていけるかわからない…、そういう人も多いと思う。「余りの人生」なんてとんでもない…、今日を必死に生きている…、それが普通だ。


 余生ははじめられるが終わりがない。もっといえば、突然終わる可能性がある。だからそこからのんびり…、なんて計画が難しいのだ。結果的に「余生」に見えることはあっても、狙って「余生」を過ごすのは相当困難な話なのだ。金銭的な余裕がどんなにあったとしてもだ。そもそも、金銭的余裕のある人に、

「余生」

を過ごしている人がそんなにいるのだろうか?むしろ、「生涯現役」くらいのバイタリティがあるからこそ、金銭的余裕が生まれるはずだし、そんな人は、

『プライベートと仕事を区別せず楽しんでいる』

人が多い印象がある。つまり余生とは無縁な人たちではないだろうか?


 セミリタイアして、「余生」を過ごす人もゼロではない。だが、「余生」を全うできる人は相当少ないはずだ。

「始めることはできるが、終わりが見えない(見えにくい)」

のが余生だからだ。あっ、人生そのものがそうなのか……。人生は始まるもので、始められるものではないという違いがあるが。「余生と無縁な凡人」である僕はそう思う…。


「ドーナツ」= 『余生』

「ドーナツの穴」= 『余生を過ごすこととは、始められるが終わりが見えないという相当困難なことなのである』



今日はここまで。文責 江口
20230111.bmp
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